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分銅型印鑑

タイトルの前に・・・

二つ前に「開運印鑑の傷跡」という記事を書きましたが、印章の上下のしるしについて迷っている方へのアドバイスで

説明が言葉足らずの部分がありましたので、少し加筆しました。

読み返してもほとんどの方が気付かないかも知れませんが、誤解がもとで意味が全く違って解釈されてしまっては困るので

加筆訂正させていただきました。

今回は久しぶりの分銅型印鑑です。

分銅(ふんどう)は重さを量る道具という事はご存じだと思いますが、一方お金にまつわる縁起物としてもその形が使われました。

昔の両替商や質屋さんの看板によく用いられ、銀行の地図記号は分銅のマークです。

そう言えば、銀行の地図記号を確認しようと思って検索してみたら、今一部の地図ではこの分銅型の銀行の地図記号は

使われなくなってしまったのですね。

ネット情報を鵜呑みには出来ませんが、本当だとしたら寂しい限りです。

説明が長くなりましたが、明治時代の印譜より。

分銅型印鑑 印相体

もしかするとだいぶ前に紹介した印影の再登場かも知れませんが、この印譜はいくつか分銅型がありますので、

また他のものも紹介させていただきます。

分銅型印鑑 印相体

端正な楷書体に親子二重枠の分銅型印鑑。

もちろんこの時代のものは完全な手彫りです。

職人の技量がわかる素晴らしい分銅型印鑑です。

分銅型印鑑 印相体

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先日茨城県の良さを紹介させていただきましたが、その続きです。

茨城県土浦市 (駅至近)

茨城県 土浦市 倉造り

古民家が綺麗に整備され、観光地化されている箇所があります。

茨城県 土浦市 倉造り

これは蕎麦屋さんです。

土浦市 古民家

これはその蕎麦屋さんの看板ですが、彫刻がほどこされ屋根まで付いた豪勢な看板です。

素晴らしい!

退筆塚 茨城県 土浦市 倉造り

退筆塚と彫られた隷書体が目立つ石碑ですが、私は上に彫られている篆書体の方が興味ありますね。

退筆塚 茨城県 土浦市

今から150年以上前に建てられた石碑のようです。

調べると生麦事件があった年のようです。

退筆塚 茨城県 土浦市


茨城県 土浦市 扁額

近くの神社の扁額です。

先程「隷書体より篆書体」と書きましたが、決して隷書体が嫌いな訳ではありませんよ。

茨城県 土浦市 扁額

こちら別の扁額で、写真では小さくしか写っておりませんが、いい感じの落款が彫られています。

土浦市 古民家

こちらの古民家は漆喰が随分きれいですが、実は東日本大震災で甚大な被害を被ったそうで、修繕費用が●億円掛かったとか・・

一般の方の住宅(空き家)なのですが、外観を見ていたら観光案内の方が「中へどうぞ」と特別に入れてくれました。

横の看板でわかると思いますが、酒屋さんです。

明治時代のこんな商家で分銅型の印鑑が使われている光景を見てみたいものです。

土浦市 古民家

この白い倉は資料館になっており、中に入る事ができます。

資料を見ていたら気になるものを発見。

茨城県 土浦市 倉造り

この辺りの写真で年代が不明との事ですが、恐らく明治か大正時代ではないでしょうか。

「この時代のこんな雰囲気のハンコ屋さんがあったら見てみたいな~」と思ってよく見ると・・・!

茨城県 土浦市 倉造り

手前の左側のお店にゴム印の看板がありました。

紛れもなくハンコ屋さんです。

「でもこの時代、木口ではなくゴム印を宣伝?」と思われるかも知れませんが、明治や大正時代のカタログの中には

ゴム印のページが先頭になっているのもあるのです。

なぜ・・・?

木口(朱肉で捺す印章)はどの印章店でも当たり前であり、もちろんこの頃は全て手彫りですので、わざわざ「手彫り印鑑」など

どのお店もその様な事を謳っておりません。

そうです。 

名工の彫る手彫り印鑑は、ハンコ屋であれば当たり前でしたので、当たり前の事を宣伝しても仕方ないので

あえてゴム印の宣伝をしたものと考えられます。

ちなみに木口は手彫りが原点ですが、実はゴム印は手彫りは後からって知っていましたか?

先に鋳造ゴム印が開発され、後にゴム印も手彫りされる様になったのです。

当然手彫りの方が先の様な気がしますが、意外ですよね。


ブログ編集者


プロフィール

Author:三代目印章店主
古い手彫り印鑑の印影資料を中心に印相体撲滅に向けてマイペースで記事を書きます。

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