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五人組帳

江戸時代の五人組御仕置帳です。

五人組連判帳の一冊より。

五人組御仕置帳

嘉永二年の五人組帳です。


現在、個人の印鑑登録は本人の姓名とは無関係な印文では登録できません。

無関係とは例えば、鈴木さんという人が伊藤というハンコで印鑑登録できないという事です。

「当たり前じゃないか」と思う方も居らっしゃるかと思いますが、印鑑というのは実務的には確固たる本人の

証明となるべきものですので、間違いなく本人の物であれば、例え鈴木さんが伊藤という印鑑を

「本人の証(あかし)」として使用していても問題ないはずです。

指紋やDNA鑑定で本人の特定が可能であっても、指紋に名前は書いてありませんので、それと一緒

と考えればいい訳です。

「何てバカバカしい屁理屈なんだ」と一蹴なさらずに、これは八方崩しの意味を説明する上で重要ですので

頭の片隅にでも入れておいて下さい。

八方崩しの事については後日として今回の印影は五人組帳から
 
五人組御仕置帳の手彫り印鑑

組頭:武兵衛さんの印影が何故かありません。

上段右から  組頭「武兵衛(印無し)」 「市三郎」 「彦七」 「源次郎」 「定七」

五人組御仕置帳の手彫り印鑑


下段右から  組頭「久次郎」  「孫七」  「忠兵衛」 「恒吉」 「虎吉」

五人組御仕置帳の手彫り印鑑

日本の印鑑は中国から伝来したものですが、その後藩札文化を経て明治時代に頂点を迎えます。

実際藩札に係わった印判師はごく僅かです。

本来、藩札の作成方法は偽造防止の為秘密とされてきたので、藩札彫刻師が片手間に印鑑を彫っていたの

ではないのですが、同化していた部分はかなりの範囲である事がわかってきています。

それでも数は少ないものでした。

明治時代に頂点を極めた極上の手彫り印鑑は、藩札が廃止され印判師に転じた人や、逆に印判師が

藩札彫刻師に師事した事で、印章文化が発達してきたのです。

話は大幅に逸れましたが、印章文化が完成する前の貴重な江戸時代の庶民の印影です。

藩札の話をしたのは、藩札とは反対に庶民の印鑑は雑に彫られたものが多かった事の説明です。

江戸時代の手彫り印鑑(五人組御仕置帳)

当時は「待ち彫り」といって、店頭で待っている間に彫ってくれる場合も多かったそうです。

(待ち彫りを今でもやっているお店はあります)

店頭で待っている間に彫ってくれるという事は、お客様側からみれば有り難い事なのでしょうけど

文字は必然的に雑になります。

これが三文判の元祖となります。

話は戻りますが、この当時は印鑑に彫ってある文字と本人が全く違うという事が多々ありました。

それこそ、「印鑑は伊藤と彫ってあっても、これは間違いなくわたくし鈴木のハンコだ」という事です。

五人組御仕置帳(連判状)を見ればよくわかります。


最後は暗く写ってしまったので申し訳ございませんが、紙質も興味深いのでアップにしてみました。

よく見ると和紙にいろいろな物が混ざっています。

写真ではよくわからないかも知れませんが、実物を見ると後から付着したものではなく、紙の繊維に

混ざっているのが見てとれます。

(中央やや右上の茶色いものは肉眼では葉っぱに見えます)

江戸時代の手彫り印鑑(五人組御仕置帳)

何気ない和紙の紙質からも悠久の歴史を感じる事ができます。

ちょっと大げさでしょうか・・







プロフィール

Author:三代目印章店主
古い手彫り印鑑の印影資料を中心に印相体撲滅に向けてマイペースで記事を書きます。

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