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明治印譜 (小判型)

前回の印譜の続きです。

印相体 明治時代の印譜


小判型、書体(漢字部分)は隷書体です。

印相体 明治時代の印譜

シャッタースピードの関係でこちらの方が薄く見えていますね。

パソコンモニターの違いにより見え方はそれぞれ微妙に違うと思いますが、本来の朱色とはこの様な色を指します。

昔の法人印は大きなものが多かったですね。

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恒例の郊外、いつもの茨城です。

今日は古民家散策は無しで、管理する山に行ってきました。

といっても、もちろん山全体ではなく山のごくごく一部なのですが・・・

印相体 茨城の旅館

のんびり行くのが好きなので下道で行く事が多いのですが、旅館の看板が目に留まりました。

本日紹介の印鑑は旅館のものなので、せっかくですので旅館繋がりで・・・

書かれている電話番号は左から82-に見えてしまうかも知れませんが、8みたいに見えるのは電話マークですので

実際は2-0052ですね。

調べると今の電話番号にも下4桁「は共通している様なのですが、いつの頃作った看板なのでしょうか。

そんなに古い看板に見えませんが、当時のままの看板を使っているなんで、いい感じを出していますね。

(ネットに載せてしまいましたが、国道沿いの目立つ看板ですので問題無いでしょう)

印相体 茨城の自然

この先のトンネルを抜ければ一気に田舎へ突入です。

トンネルが出来る前は山越えしていくか、遠回りをして行っていたので、トンネルが開通し随分便利になりました。

印相体 茨城の梅

梅は終わりで、これから実となる事でしょう。

印相体 茨城のモミジ

モミジの花も終わりで、ブーメランの様な対にになった大量の実を付けます。

印相体 茨城の桜

梅もモミジも花は終わりで、今は桜です。

印相体 佐藤錦

今回は平たんな部分の雑草を少し焼き、さくらんぼの苗を植えてみました。

ホームセンターの係員さんのアドバイスでは、1種類で受粉させても実がならないとの事で、佐藤錦と高砂を購入。

硬い地面を一部耕し、2本植えてみました。

他にも果実は植えてあるのですが、柚子は香りを楽しむ果実で、栗は料理しなければ食べられない。

梅もそうです。

以前は梅酒や梅ジャムを作っていましたが、お酒はほぼやめた事と、梅ジャムは砂糖を大量に使用するので

体によくないか心配で、ここ何年もつくっていません。

そこで、洗うだけでそのまま食べられる果実を植えてみたかったので、今回はまず試験的に2本を植えてみました。

今年の夏は、古民家より園芸になりそうです。


印相体 茨城の山

これは定点観測スポットですが、夕日の景色もいいものです。

ブログ編集者



夏目印 ダルマ印 坪付き印 挽上印

タイトルにいくつも書いてしまいましたが、形状はどれも同じ印章を指します。

印判用品綜合カタログ(昭和49年発行)によりますと「柘が夏目(棗)と表現し、黒水牛はヒキアゲ(挽上げ)

と呼ばれたようで、夏目は抹茶入れ、ヒキアゲ(挽上げ)はロクロで挽揚げたと表現したのかも知れません」とあります。

しかし、当店にある古い資料を照らし合わせても夏目とダルマ印、坪付き印、挽上げはそれぞれどう違うのか、

よくわからないところがあります。

ですので、当店では夏目印(棗印)、ダルマ印(達磨印)、坪付き印、挽上げ印は全て同じ形状を指すと考える事にします。

やたら堅苦しい言い回しからはじめてしまいましたが、今日はそんな夏目印もしくはダルマ印の中でも今では大変貴重な

牛角印材を紹介させていただきます。

印相体 牛角 ダルマ印 夏目印 挽上印

牛角(旧称オランダ水牛)白上、ダルマ印です。

実は何年も前にビンテージをブログに載せて「そのうち」と考えていたのですが、日常の仕事に追われそのままにしておりました。

度々「ビンテージ品はまだありますか?」とお問い合わせをいただきますので、時間がある時に徐々にとなりますが、

販売ページを作成していきたいと思います。

印相体 牛角 ダルマ印 夏目印 挽上印

左から印章本体、鞘(サヤ)、坪(朱肉入れ)となっております。

天然素材ですので均一の模様ではありませんが、極上部位を用いた印材です。

おそらく、今から40年位前に作られたものではないかと思います。

印相体 牛角 ダルマ印 夏目印 挽上印

別の角度から見ますと、鞘(サヤ)の中央に白いものが見えますが、これは傷でも染みでもなく、天然の模様です。

遅ればせながらもホームページで宣伝となりましたが、こちらは古い印材ですので鞘(サヤ)が若干緩い事と

ビンテージ感がありますので、ご来店いただき実際の印材をご覧いただいた上で、ご購入いただければと思います。

牛角ダルマ印の紹介はこちら→ホームページへ

上に「ご来店いただき・・・」と書きましたが、遠方の方はご来店が難しいと思いますので、鞘の緩さとビンテージ感を

ご理解いただければ、ご来店いただけない場合でもお承りさせていただきます。

印材だけでも今では大変珍しいものを、ネット上では片手で数えても指が余る数しかされていない「正真正銘の手彫り

でお承りさせていただきます。



ブログ編集者




いろいろな小判型印鑑

明治時代の印譜より。

印相体 明治時代の印鑑

(印章業に従事する人以外で)この1枚を見ただけで心踊る人は、ハンコマニアと言ってもいいのではないでしょうか。

このページに特別の意味がある訳ではないのですが、印相体が作られる前、そして機械彫りがない明治時代の印譜は

いい物が多く、印章の知識を得る為にも貴重な資料となります。

印相体はさて置き「印影だけなのに機械彫りが無い時代が関係するのですか?」と疑問を持つ方も居らっしゃると思います。

「機械彫りはあくまでも彫刻方法なのに、印影に関係するの?」といった具合で・・・

答えは、大いに関係あります。

まず第一は文字。

機械彫りは主にパソコンフォントで彫られます。

手彫りは人の手書き文字。

その違いは腕に係ります。

一日中パソコン画面に向かって印章彫刻機械を操作している人と、一日中手彫りをしている人とでは、

おのずと技量に差が出ます。

これ以上は特に長い説明は不要だと思います。

という事で、今回は「古き良き時代」に多かった小判型印鑑です。

印相体 明治時代の小判型印鑑

右側の端正な楷書体もいいものですが、目立つのは中央の封緘印です。

小判型の中に絶妙に収まる印篆。

この小判型印鑑は、今の一般的な小判型よりも少しふっくら形ですね。

よく見ると左のラグビーボールの様な形の小判型印鑑も封緘印ですね。

印相体 小判型印鑑

印影が小判型印鑑なら、こちらは小判型印章です。

全て小判型で、向かって右が今の一般的な三八小判です。

印相体 小判型印鑑

斜めより真上からの方がわかりやすいと思いますので、上から撮影。

向かって右から三八小判、それを少しふっくらさせた小判、反対に細くした小判、そして15ミリ小判(五分小判)です。

よく「ホームページにあるだけしかやっていないですか?」とお問い合わせをいただきますいが、答えは逆です。

ホームページは商品のごく一部です。

柘の小判型だけでもこんな感じで揃っています。  (もっと多くありますが)

「でも、普通と違うやつは値段がぐっと高くなるんでしょ?」・・・

と心配しないで下さい。

サイズがほぼ同じでしたら、値段の違いは(オーダーケース分を除き)印材特注料金の違いだけです。

写真左は15ミリですので15ミリ相当+2,000円程度、他は普通の小判型と比べて1,000円程度の差です。

(左から二番目の細小判は+2,000円です)


時間があれば、ホームページからでもご注文可能な様にさせていただきます。



ブログ編集者





手彫りゴム印と坂野家住宅

久しぶりになりますが、手彫りゴム印の紹介です。

大正時代の手彫りゴム印印譜から。

手彫りゴム印 印相体

向かって右ページの名判を紹介。

手彫りゴム印 印相体

波打つ様な独特の作風で、いかにも大正ロマンと言った作風ですね。

もちろんこれは文字も手書きです。

上の見開きページとは別のところからですが、もう一つ紹介。

手彫りゴム印

これも素晴らしい。

パソコンフォントでは絶対にない素晴らしい草書体で、筆のかすれまで忠実に手彫りされていますね。

「素晴らしい」という表現が重なってしまいますが、これは本当に素晴らしい。

上の大正ロマンに対して、こちらは(印譜は大正時代のものですが)江戸情緒とでもいったところでしょうか。

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本日は体調が今一つでしたので、家に籠っているつもりでしたが、少し回復したので郊外へドライブ。

場所は茨城県常総市の古民家:坂野家住宅です。

いつものカメラを持っていかなかったので、今回はスマホで撮影です。

私のスマホは写真の画像が悪いので、被写体の素晴らしさが反映されないのですが、

それでもめげずに撮ってきました。

印相体 坂野家住宅

地図ではなかなか辿り着けない様な目立たない場所にあります。

カーナビに感謝しつつ、本当にここでいいのかな?と不安になったその時、その不安を打ち消すよう急に

江戸時代の様な雰囲気に変わります。

坂野家住宅  印相体

期待通りの造りで、入る前から「来て良かった」という感じです。

坂野家住宅  印相体

坂野家はこの地に土着してから500年ほどになるそうで、平成10年を最後にここは市の所有に変わったそうです。

それを逆に考えれば、こんな広大な武家屋敷の様な御殿に平成10年まで一般の方がお住まいだったのですね。

今でも末裔の方が近くで農園を営んでいるでそうです。

坂野家住宅  印相体

ここは隣接する書院:月波楼から撮ったものですが、この書院は大正時代に建てられたそうで、江戸時代そのものという感じの

母屋に対し、こちらは大正ロマンといった感じです。

「それ」を計算して行った訳ではありませんが、ちょうど今日紹介の手彫りゴム印にマッチしていますね。

囲炉裏 坂野家住宅 印相体

太い梁が目立つ土間に続いている部屋の囲炉裏。

こちらは江戸のコーナー。

天保2年に建てられたものと思われるそうです(補修中に天保2年と書かれた札が見つかったとの事です)

山岡鉄舟 印相体

こちらは大正ロマンの書院に飾ってある山岡鉄舟の掛軸。

中村不折 印相体 坂野家住宅

なっ、何とこれは中村不折の書ではありませんか。

中村不折 印相体 坂野家住宅

時間に追われていたので、ふすまの絵も中村不折が書いたものかの確認は出来ませんでしたが、他の訪問者さんは

ほぼスルーしてしまっているところが残念です。

井戸 坂野家住宅  印相体

こういう釣る瓶式の井戸から生活で実際に水を汲んでみる事に憧れます。


スマ-トフォンで撮りますと、いちいちシャッター音がするのでこのへんで写真は控えましたが、ここで紹介した写真より

何倍も魅力がある古民家でした。

幕府の役人が宿泊する部屋も見せていただきましたが、入口も遣いのものと、役人とでは別を使わなければ

ならなかったそうで、入口二つが隣接していたり、使用人である女中さんの部屋が、まるで物置きの様な狭く窓も小さい

部屋で、昔の身分の違い、男尊女卑をまざまざと見せつけられたものともなりました。

豪邸ですが、お風呂は意外と小さく質素。

という事は、お風呂は楽しんで入るところではなく、単に入浴するだけの場所だったのかも知れませんね。

塀で囲まれた敷地の外も、広大な庭園になっており、(これは想像ですが)戦後の農地改革の前までは、周囲一帯

坂野家の土地だったのではないでしょうか。

今回はスマホカメラしかなかった事と、時間に追われていたのでゆっくり出来ませんでしたが、それ故にもう一度来る

理由が出来て良かったなと思います。

帰りは昭和姿の暴走族10台位が進路を妨害していたので、少しは渋滞しましたが、これも田舎のいい光景(?)

なのでしょうかね(笑)

江戸、大正、昭和を体感出来た貴重な郊外へのドライブでした。


ブログ編集者


明治時代の印譜より

またいつものタイトルに戻ってしまいましたね。

庶民が印章を用いる様になったのは主に明治時代からです。

江戸時代の庶民の印影記録も当店には多数ありますが、篆刻を除く庶民の印章文化が開花したのはやはり明治時代からです。

開花して既に明治時代には頂点に達し、次第に作風が平凡化し、昭和になり印相体という書体がビジネスツールとして創作され

やがて印章彫刻機械が考えだされて、印章文化が堕ちるところまで堕ちてしまった昨今です。

あっ、愚痴を言うつもりはありませんでしたが、明治からの印章文化の流れをごく簡単に書いたら愚痴になってしまいました。

明治時代の印鑑 印相体


明治時代の印譜より今回はこちら。

明治時代の印鑑 

明治時代といえど、とっくにアルファベットは伝来しており、これは外国人の方の実印でしょうか。

詳しくはわかりませんが、「J]がヂエ、「C]が「スー」となっていますね。

カタカナ表記も古さを感じます。


ブログ編集者




龍紋

引き続き明治時代の印譜からです。

明治時代の印鑑 

久しぶりの龍紋です。

尾の先の方が唐草になっていますね。

龍は古代中国由来の想像上の動物で、角は鹿、頭は駱駝(らくだ)、爪は鷹などを組み合わせて構成され、めでたい時に

点の使いとして現れる生き物として崇拝され、皇帝の衣服や宮廷用の器物に数多く用いられました。

ですので、この龍紋をもって開運印鑑というのでしたら私は問題ないと思います。

もちろん、それに誕生日との相性、印材の吉凶を語り出したら(そんな言い伝えはないので)デタラメですが、

龍紋を彫る事によって縁起を担ぐのでしたら問題ありません。

印影文字の書体をご覧下さい。

しっかりとした印篆です。

この時代に印相体は存在しなかったので当然の事ですが、龍紋入りの印を「開運印鑑」と呼ぶには印相体以外で

彫られている必要があります。

きちんとした由来の開運を求めるなら、文字の歴史や由来もしっかりと考える必要があります。



ブログ編集者

(「日本の伝統模様」東京美術 を参考にさせて頂きました)

KF印鑑ケース(印章ケース)

ここのところ急にKF印鑑ケースのお問い合わせが増え、たて続けに牙蓋(朱肉入れに象牙の蓋が付いたタイプ)付き

の注文が相次ぎ、遂に牙蓋が終了してしまいました。

当店にはまだ少数作り置きの牙蓋付きケースを確保してありますが、それは後日ホームページ上で販売させていただきます。

本チャリもほぼ終了してしまったので寂しい限りですが、牙蓋もKF用の本チャリ革も作る職人さんが居ないので、仕方ありません。

それにしても、「ほぼ終了」の「ほぼ」って何?と思った方。

細かいところもよく読んで下さいましたね。

「ほぼ終了」という事は、完全に終了してしまった事とは違うのです。

KF[印章ケース イブシフクリン 手彫り印鑑にはKFケースをどうぞ。 印相体でハンコを作るのはやめましょう。


これはKF本チャリイブシフクリンです。

この何とも言えないゴワゴワ感は本チャリファンにはたまらないものだと思います。

そして本チャリには大変珍しいイブシフクリン。

本チャリ+イブシフクリンは、製造された数は極端に少なく現在では在庫以外は無い再作成不能の逸品です。

(正確にはあと1つだけ作成可能ですが、ご検討中のお客様が居ます)

そんな幻の本チャリイブシフクリンの在庫分を近日ホームページで販売させていただきます。

実は、こんな勿体ぶらずに販売したいところですが、数量限定受付の設定に時間が掛かっている為

結果的に今回は予告のみとなってしまい申し訳ございません。

こちらは大正時代の印章カタログです。↓

KF本チャリケース 印相体

カタログのケースがKF印章ケース製作所(当時はKF印章サック製作所)のものかは不明ですが、伝統ある本チャリケース。

近々在庫品販売予定です。

ブログ編集者




印面一杯に広がる印篆

明治時代の印譜から続けます。

明治時代の印鑑 印相体

続きを読む

明治印譜

明治時代の印譜の続きです。

明治時代の印鑑 印相体

どっしりとした親子二重枠に極細の印篆。

細文字を最大限に引き立てる太枠がいいポイントとなっております。

ここまで細くするには丁寧な手彫りが必要です。

明治時代の印鑑 

次は古印体の小判型印鑑です。

江戸時代も若干は小判型がありましたが、明治時代になり急速に小判型が広がりました。

荒々しいものの、古印体の特徴である「切れ」をしっかりと出した素晴らしい作風です。

明治時代の印鑑 

これも荒々しい(雑という意味ではありません)古印体ですね。

古印体とは読んで字の如く古い印章をイメージさせる文字で、線にわびさびを付け、時には途切れさせるのが特徴です。

これを説明すると「えっ?自分の名前が切れるのは嫌なんですが・・・」というお客様も居らっしゃいますが、「切れる」という

言葉で(=縁起がよくない様な気がする)ではなく、「文字のわびさび」と考えて下さい。

漢字の起源はご存じ中国ですが、この古印体という書体だけは日本発祥です。

日本発祥ではありますが、今では中国でも古印体の看板などを見掛ける事があります。

明治時代の印鑑 

最後は左右の空間を十分にとった印篆です。

「ハンコは文字を枠に付けなくちゃいけないんでしょ?」 とか

「印面いっぱいに文字が広がらなくちゃハンコっぽくない」というお客様も多いですが、これは何といっても印相体の悪影響です。

こう書きますと「『印面いっぱいに文字を広げるのはいけない』と私が言ってた」と勘違いされた事がありますが、文章をきちんと

お読みいただければ、そんな事はどこにも書いていない事がわかりますよね。

前ページには印面いっぱいに広げた印篆を紹介しましたが、文字の慣習を守っていれば、どちらでもいいのです。

大切な事は「文字の慣習」です。

昭和になってから商業目的に創られた印相体という書体には、文字の「きちんとした」慣習はありません。


ブログ編集者






朱白文相間印

明治時代の印譜を続けます。

明治印譜 


今回はこちら。

明治時代の印鑑 印相体

朱白文相間印(巴型)で彫られた訂正印です。

撮影時にサイズは測りませんでしたが、左に途切れた印影(前回紹介したもの)は多分6ミリ程度だったと思いますので

これは更に小さなものです。

朱白文相間印の訂正印なんて素敵ですね。

ホームページからのご注文は今のところ考えておりませんが、彫刻は出来ますので直接お問い合わせいただけますでしょうか。


ブログ編集者



豊富な作風の明治印譜

毎回タイトルが「明治印譜」では変化ないので、言葉を足しましたが、そんな事はどうでもいいですね。

明治印譜 

端に若干シミがありますが、100年以上前の印譜の割には保存状態は良好だと思います。

明治印譜 印相体

この頃特有の折り畳みを多くした印篆+二重枠で、毎回同じ言葉になりますが、素晴らしい作風です。

印文は「正一」さんですが、一画しかなく縦幅が無い「一」が貧弱に見えないよう、「正」の平行線を多くした考え尽くされた

作風です。

明治印譜 

これは読みやすい楷書体ですが、楷書体で姓2文字+名前3文字を一般的な左右に振り分けた字配りにしますと

文字の大小で違和感が生じます。(あくまでも楷書体の場合です)

その違和感を無くす為の素晴らしい字配りです。

(印鑑登録としてこの様な字配りをご検討される場合は、登録先の自治体に問題ないか確認する事をお勧めします)

明治印譜 印相体

そしてお馴染みのどっしりとした太枠に細印篆。

何度も書いた事ですが、ハンコは枠も含めた全体で考えるものです。

ご自身の漢字の線が細いからといって「これじゃ貧弱だ」と心配する必要はありません。

使う方のお好みが最優先ですが、どっしりとした太枠と細い文字できちんとバランスはとれているのです。

遠目からご覧いただければ「ハンコらしさ」がよくわかるいい印影だと思います。

明治印譜 

この時代にしては大き目の印鑑です。

ブログで何度も書きましたが、ハンコ本体は印章、印鑑とは印影の事です。

正しくは登録された印影の事を印鑑と言うのですが、少なくともハンコ本体の事を印鑑とは言いません。

今巷でハンコの事は、ほぼ印鑑と呼ばれる様になってしまいました。

と言いつつ「手彫り印鑑」と宣伝している私もいけないのですけどね・・・


ブログ編集者

明治印譜 (角印)

今回も明治時代の印譜です。

といっても、前回の印譜とは別の印譜からです。

明治時代の印鑑 

印鑑マニアの方ならここから見てもワクワクしますね。

「ハンコ本体の事は印章と言います」と前回書きましたが、これは印譜ですのであえて「印鑑マニア」としておきます。

またどうでもいい事を書いてしまいましたが、今回は上の写真右下の角印を紹介。

明治時代の印鑑

細かい印篆が20文字以上彫られていますね。

印文を見ますと尋常高等小学校長印とあります。

どっしりとした太枠の為耐久性も抜群で、作風も素晴らしい印鑑です。

明治時代の印鑑 印相体

このサイズですよ。

定規の1ミリの間隔と比べてみて下さい。

これを手彫りしたとは驚きです。


ブログ編集者

明治印譜 (太枠・細字)

引き続き明治時代の印譜からです。

前回と同じページからですが、写真の角度だけ変えました。

明治時代の印譜


この中から太枠・細字(中輪細印篆)の印影を紹介します。

中輪細篆書体 印相体

定規を当てて撮影するのを忘れましたが、小さい印影である事は紙の肌理(きめ)の細かさなどの雰囲気で

おわかりいただけますでしょうか。

比較するものが写っていないと説得力がありませんが、文字は驚異的な細さです。


ブログ編集者




印篆

今回も引き続き明治時代の手彫り印譜からです。

明治時代の印譜

今回も同じページからの紹介です。

明治時代の印鑑 印相体

サイズは測っておりませんが、今回も小さな印鑑です。

注目は、文字と枠との距離です。

印篆は四角形がベースとなりますので、上下左右2文字ずつを併せ全体で正方形になる文字片が出来ております。

この説明ではちょっとわかりづらいかも知れませんので改めて説明しますと、4文字全体を一つの塊だと考えますと

正方形になりますよね。

それが輪の中にきちんと納まっている正統派の作風です。

枠と文字との距離は離れておりますが、これはあくまでも「作風」という事で問題ありません。

実印の最高の見本の一つとされる日本銀行「総裁之印」も枠と文字との距離は違いますが、同じ様に輪の中に

正方形の印篆がきれいに収まる作風となっております。

ブログ編集者

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今日は千葉県松戸市の本土寺というお寺に行ってきました。

カメラはスマホのみですので、写真はほとんど撮っておりませんが、三枚だけアップさせていただきます。

本土寺

緑が美しい季節は木々を見るだけで気持ちが癒されますね。

ここは別名「あじさい寺」と呼ばれておりますが、花の時期はまだの様で、参拝客は少なかったです。

本堂も撮ったのですが、パソコンで見ますとピンボケでしたので、写真はNGとしておきます。

本土寺 印相体

歴代の住職さん(?)のお墓が並んでおり、文字がきちんと解読できる中で一番古いものを撮りました。

(古いものは劣化して文字があまり読めませんでした)

寛延元年を調べますと1748年とあります。

という事は、今から270年前。

石碑や扁額は篆書体のものが好きですが、270年前の端正な楷書体も、それはそれで素晴らしいですね。

本土寺 像師堂 扁額

木彫りの扁額は新しそうな感じでした。

お問い合わせのお客様へ

お客様へ

何故かここ数日急に問い合わせメールが増えております。

日中はなかなかパソコンに触れられないので、メールの返信は主に仕事を終えた後で行っておりますが、

メールの場合は返信に2~3日いただけますでしょうか。

大変申し訳ございません。

お急ぎの方はお電話下さいませ。

ブログ編集者

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こちらはブログ再登場の大正時代の連判状です。

どれも素晴らしい作風です。

手彫り印鑑の連判 【大正時代】

左端は左右の空間を十分にとった印篆です。

同じ言葉の繰り返しとなりますが、素晴らしい印です。

朱白文相間印

明治時代の印譜を続けます。

お問い合わせいただき、まだ返信していないお客様へ。

「お問い合わせへの返信が済んでいないのに、ブログは更新?」など、とんでもありませんが、つい先ほど仕事を終え

寝る前のほんの10分程度の私の楽しみですので、ご容赦お願い致します。

という事で、事前に撮っておいた明治印譜からの紹介です。

明治時代の手彫り印鑑印譜

今回は左ページの下段中央から朱白文相間印の紹介です。

朱白文相間印

朱白文相間印とは、朱文(文字に朱が付く作風で、一般的に使われているタイプ)と白文(白抜き文字)が一つの印章(印鑑)で

混合している作風を指します。

今はほとんど使われておりませんが、(少ないながらも)昔は今よりは多くありました。

このブログを見ていないお客様に見本の印影を見せますと、「えっ?何ですかこれ!」と驚かれる方も結構居らっしゃいます。

朱白文相間印 印相体

今回も驚異的な細かさです。


ブログ編集者

朱白文相間印2

「最近手を抜いてるね」 「毎日更新すりゃいいってもんじゃないでしょ」

と言われてもいない事を心配しておりますが、ブログ開設当初からお読みいただいている方は趣旨をご存じかも知れません。

私の理想は「1日1印影で毎日更新」です。

それが仕事などで間隔が開いてしまい、補う為に印影をまとめて紹介しているうちに1回の更新を考えるのに時間が掛かり、

それが悪循環になり、結果として更新頻度が落ちてしまっておりました。

またいつ途絶えるかわかりませんが、頑張れるだけ頑張ってみようと思います。

という事で、今回も明治印譜の続きから。

明治時代の印譜 手彫り

今日は右ページ右端の中段からこちら。

朱白文相間印 相関印 印相体

今回も朱白文相間印です。

「えっ?明治時代に印章新体?」と思った人はなかなかの篆書通です。



ブログ編集者

大正時代の手彫りゴム印

大正時代の手彫りゴム印印譜より。

大正時代 手彫りゴム印

大正時代 手彫りゴム印

パソコンフォントとは一味も二味も違う手書き文字の素晴らしい行書体ですが、電話番号は創作書体となっていますね。

番号が「山上六番」というのが、いかにも大正時代という感じです。

テレビも無かったこの頃は、スマートフォンが普及している今の様な未来が待ち受けているとは考えられなかった事でしょう。

私が幼少の頃でも、電話が小型化され歩きながら通話が出来る時代が来るなんて、映画の中の事としてしか

考えられませんでした。

大正時代 手彫りゴム印 印相体

上が「支店」でこちらが「書店」。

「書店」と「支店」は聞き間違えも考えられる発音ですよね。 (注文者の言い間違えは考えにくいと思います)

まさか作り間違えの再作成とか・・・?

お店を営んでいる者として、聞き間違え防止の為、原稿は基本的にお客様に書いてもらいますが、

例外的に電話で聞いたり、対面でもお客様がご高齢で代筆したりする場合があります。

これはどうだったのでしょうか。

大正時代 手彫りゴム印


大正時代 手彫りゴム印 印相体

この行書もパソコンフォントでは出せない手書きならではの味わいです。

電話二二九番というのもいかにも昔という番号でいいですね。


ブログ編集者


江戸時代の手彫り印鑑印譜

明治時代が続いたので、今回は「江戸明治印欧」から(多分)江戸時代のページをご案内。

江戸時代の手彫り印鑑


江戸時代の手彫り印鑑 印相体

いかにも江戸時代といういい感じですが、印文が「油屋」というのもいいですね。

油屋さんという姓の方も居らっしゃいますが、これの印鑑は屋号でしょう。

菜種などから絞った油を売っていたのでしょうか。

江戸情緒溢れる印鑑ですね。


ブログ編集者

江戸明治印譜

前記事の続き、江戸時代と明治時代の混ざった「江戸明治印譜」から。

江戸明治印譜

右上の空白に見える部分に押されている印から。

江戸明治印譜

定規を当てて撮影しなかったので、大きさは何センチ測っておりませんが、かなり大きなもので、お菓子屋さんの印鑑の様です。

他は印章のみの印譜ですので、これだけゴム印という事はないと思いますが、何故か紫で押されており、経年で色が

薄くなってしまっているのが残念です。

これだけですとつまらないと思いますので、もう一つご紹介。
江戸明治印譜 印相体

いかにも江戸時代という畳篆の名残りをもつ印篆。

いつもと同じセリフですが、素晴らしいですね。


ブログ編集者




江戸明治印譜

江戸時代と明治時代が混ざった印譜を続けます。

江戸時代の手彫り印鑑

印面いっぱいに広がる作風が多くありますが、太枠細字や縦画がまっすぐなどの特徴もあり、印相体とは異なります。

そもそもこの時代に印相体は存在しませんでしたので、ある訳ないのですが・・・

印判秘決集という江戸時代の花押の本が「印相の原点」という誤った情報が流布されており、かつて複数の印相業者さんが

訳本まで出版しましたが、「判行」という部分を「印相」と誤訳しております。

印判秘決集で語る印判とは「書判(花押)を意味する場合が多く、現在の印章による印相とは同とはいえないようです」

と業界誌(ゲンダイ出版さんの月刊現代印章より)が書いておりますが、全くその通りです。

まあ、印章や印相の事は書かれていない花押の本ですので当然の事です。

冒頭から「印相」などという縁起の悪い話になってしまいましたので、ここでお口直しに江戸時代の正統派印鑑を

紹介させていただきます。

江戸時代の手彫り印鑑 印相体

画像を二つ貼り付けたかの様に見えるかも知れませんが、何故かこの印譜にはほとんどの印が二つずつ押してあります。

道越とは現在の岡山県の辺りを指すのでしょうか。

江戸時代の手彫り印鑑

こちらは楷書体の柚という字とこの時代特有の折り畳みの多い印篆です。

今はまずこの様な印は使われませんね。

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世間ではゴールデンウィークといえば土曜日からでしょうが、土曜日は仕事がありますので、私は今日からとなります。

行ってまいりました例の茨城県へ。

前に「茨城は渋滞が少ない」と書きましたが、さすがに今日はある程度混みました。

といっても、イライラする程の渋滞ではなく、しかもそれは幹線道路のみ。

ひとたび横道へ入ればいつもと変わらない風景になります。

石岡市 印相体

この先のトンネルを抜ければ一気に田舎へ突入で、場所によっては江戸時代の雰囲気になります。

「江戸時代」とは大げさかも知れませんが、農村特有ののんびりとした風景に変わります。

石岡市 自然

いつもの定点撮影スポットで撮影し、山の中で日中を過ごし夕方帰路へ。

石岡市 田んぼ

何てことはない平凡な休日ですが、私にとっては至福のひと時です。


ブログ編集者
プロフィール

Author:三代目印章店主
古い手彫り印鑑の印影資料を中心に印相体撲滅に向けてマイペースで記事を書きます。

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