明治印譜
明治時代の印譜からです。

これをみて真っ先に目がいってしまうのは多分左端の印影でしょう。

明治時代らしくありませんが、既にこの頃ハートマークは日本でも使われていたのですね。
ついハートに目がいきがちですが、右側の印影も風情があっていいものです。

明治39年とありますので、明治時代の終盤ですね。
これ↑はゴム印ではなく木口(一般的な印鑑)です。

これもゴム印ではなく木口ですので、凄いです。
当時の職人さんの技量はもちろん、仕事に対する姿勢は学ぶものが多くあります。

-------------------------------------------------------
1文字の篆刻手彫り体験ができる「第23回 蔵書印まつり」もいよいよ今月末に迫ってきました。

23年も続けますと、そこそこ有名になり、遠くは四国や中国地方からご来場される方も居らっしゃいます。
混雑が予想されますが、神田では古本まつりが開催されていますので、本好きの方にはいろいろ楽しめる
2日間になると思います。

これをみて真っ先に目がいってしまうのは多分左端の印影でしょう。

明治時代らしくありませんが、既にこの頃ハートマークは日本でも使われていたのですね。
ついハートに目がいきがちですが、右側の印影も風情があっていいものです。

明治39年とありますので、明治時代の終盤ですね。
これ↑はゴム印ではなく木口(一般的な印鑑)です。

これもゴム印ではなく木口ですので、凄いです。
当時の職人さんの技量はもちろん、仕事に対する姿勢は学ぶものが多くあります。

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1文字の篆刻手彫り体験ができる「第23回 蔵書印まつり」もいよいよ今月末に迫ってきました。

23年も続けますと、そこそこ有名になり、遠くは四国や中国地方からご来場される方も居らっしゃいます。
混雑が予想されますが、神田では古本まつりが開催されていますので、本好きの方にはいろいろ楽しめる
2日間になると思います。
朱白文相間印
前回に続いて明治時代の印譜から。

今回は上段左から二番目の印影についてです。

このブログでは「巴」または「朱白混合」としてお馴染みの作風ですが、篆刻用語では朱白文相間印と言います。
篆刻と実用印は多少事情が異なりますが、業界の慣習での呼び名ではなく、印章用語として知られている名前で
今後このブログでは呼ばせていただこうかと考えております。
今ではこの作風は大変珍しいものですが、昔は少ないながらも意外と使われていた作風です。
今回は続編も考えております。
ブログ編集者

今回は上段左から二番目の印影についてです。

このブログでは「巴」または「朱白混合」としてお馴染みの作風ですが、篆刻用語では朱白文相間印と言います。
篆刻と実用印は多少事情が異なりますが、業界の慣習での呼び名ではなく、印章用語として知られている名前で
今後このブログでは呼ばせていただこうかと考えております。
今ではこの作風は大変珍しいものですが、昔は少ないながらも意外と使われていた作風です。
今回は続編も考えております。
ブログ編集者
朱白文相間印 (稲妻型 小判)
前回の記事で「続編を考えております」と予告したのですが、「あれも書こう」「これも書こう」と欲張った考えをしてしまい、
肝心な更新が疎かになってしまっております。
「あれもこれも」という欲は抑え、続編を二つに分ける事にしました。
と、前置きはこの位までにして、今回まずは印章資料「印海」から。

朱白文相間印というタイトルでどの印影を紹介したいか、おわかりですね。

今巷の印章店ではほとんど朱白文相間印の紹介はされていないと思いますが、昭和50年に出版されたこの資料(印海)
にはポツンポツンと載っております。
中央で稲妻型になっている作風ですが、実はこれ、この資料独特のものではなく、明治時代からあるきちんとした作風なのです。

これは当店が所有する明治時代の印譜で、このブログ再登場の印影です。
二つの資料を紹介した理由は、「別々の資料でも同じ作風」という事を伝えたかったからです。
朱白の角度は異なりますが、それは彫った職人が異なれば必然的なものですが、この稲妻型朱白文相間印は
昔はごく一般的な作風であった事を知っておいて下さい。
「昔はごく普通な作風が、今では珍しくなってしまった」・・・
「古き良き時代」というありふれた表現になりますが、埋もれてしまった逸品、こんな作風いいと思いませんか?
稲妻型の朱白文相間印、更に続編を考えております。
もう少々お付き合い下さい。
------------------------------------------------------------
週末に茨城へ行く事が恒例になってしまいました。
何かで見たのですが、茨城県は魅力度ランキングでワーストワンだそうですね。
それは茨城の魅力を知らない方が多いようで残念です。
まあ、そんな私も茨城の魅力のごく一部しか知らないのですが、いいところですよ。

いつもの定点観測スポットではありませんが、よく行く石岡市の風景です。

蕎麦(?)畑も多くあります。

都内ですとまずお寺となるでしょうが、これは普通の民家です(石岡市柿岡)
他人の家をジロジロ見るのは良くないかも知れませんが、そこらじゅうにこんな古民家がある街・
茨城県は素晴らしいです。



私の写真では凄さが伝わらないかも知れませんが、圧倒される太さです。
何度も被雷したそうで、木の先端に避雷針が設置されています。
根本の太さから換算しますと、順調であれば現在の3倍位の高さだったのではないでしょうか。
とはいえ、それ程の高さですと倒壊の可能性も高いでしょうから、被雷などいくつもの条件が重なってここまで
成長したのでしょうね(と勝手に想像)

ここは佐久良 東雄(さくら あずまお)さんという方の旧宅だそうで、国指定の史跡とされています。
現在もお住まいの方が居らっしゃいますので、2枚だけ撮らせていただき早々と退散。

母屋も長屋門も茅葺屋根の素晴らしい古民家です。
ここで「佐久良 東雄さんってどんな方だったんだろう?」とインターネットで検索してみたところ、素晴らしいものを発見
してしまいました。

旧宅は石岡市でしたが、連休を利用して翌日は土浦市へドライブ。
都内から日帰りで楽に行けて自然を楽しめるところも茨城県の魅力です。
茨城県土浦市 善応寺。

井戸ですが、地元の人が利用しているようです。


井戸の先には小さな池があり、ホテイアオイ(?)で埋め尽くされておりましたが、澄んだ水でコイが泳いでおりました。

ここに来た理由はズバリこれです。
あまりに素晴らしい草書体ですので、別の角度からもう一枚。

文字は「聖観音」ですが、これはかなり崩された草書体ですので、判読は困難ですよね。
それにしても素晴らしい扁額です。

善応寺さんのみではありませんが、ご多聞に漏れず唐草文様が多数。

この写真では見づらいかも知れませんが、中央に唐草と両端には龍です。
唐草と龍は印章彫刻でも用いられる吉祥文様です。

この辺りは真鍋宿と呼ばれていた宿場町だったそうで、今でも多くの名残りがあります。


ワーストワンだろうが何だろうが、私にとって魅力たっぷりの茨城県。
渋滞も少なくいいところですよ。
ブログ編集者
肝心な更新が疎かになってしまっております。
「あれもこれも」という欲は抑え、続編を二つに分ける事にしました。
と、前置きはこの位までにして、今回まずは印章資料「印海」から。

朱白文相間印というタイトルでどの印影を紹介したいか、おわかりですね。

今巷の印章店ではほとんど朱白文相間印の紹介はされていないと思いますが、昭和50年に出版されたこの資料(印海)
にはポツンポツンと載っております。
中央で稲妻型になっている作風ですが、実はこれ、この資料独特のものではなく、明治時代からあるきちんとした作風なのです。

これは当店が所有する明治時代の印譜で、このブログ再登場の印影です。
二つの資料を紹介した理由は、「別々の資料でも同じ作風」という事を伝えたかったからです。
朱白の角度は異なりますが、それは彫った職人が異なれば必然的なものですが、この稲妻型朱白文相間印は
昔はごく一般的な作風であった事を知っておいて下さい。
「昔はごく普通な作風が、今では珍しくなってしまった」・・・
「古き良き時代」というありふれた表現になりますが、埋もれてしまった逸品、こんな作風いいと思いませんか?
稲妻型の朱白文相間印、更に続編を考えております。
もう少々お付き合い下さい。
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週末に茨城へ行く事が恒例になってしまいました。
何かで見たのですが、茨城県は魅力度ランキングでワーストワンだそうですね。
それは茨城の魅力を知らない方が多いようで残念です。
まあ、そんな私も茨城の魅力のごく一部しか知らないのですが、いいところですよ。

いつもの定点観測スポットではありませんが、よく行く石岡市の風景です。

蕎麦(?)畑も多くあります。

都内ですとまずお寺となるでしょうが、これは普通の民家です(石岡市柿岡)
他人の家をジロジロ見るのは良くないかも知れませんが、そこらじゅうにこんな古民家がある街・
茨城県は素晴らしいです。



私の写真では凄さが伝わらないかも知れませんが、圧倒される太さです。
何度も被雷したそうで、木の先端に避雷針が設置されています。
根本の太さから換算しますと、順調であれば現在の3倍位の高さだったのではないでしょうか。
とはいえ、それ程の高さですと倒壊の可能性も高いでしょうから、被雷などいくつもの条件が重なってここまで
成長したのでしょうね(と勝手に想像)

ここは佐久良 東雄(さくら あずまお)さんという方の旧宅だそうで、国指定の史跡とされています。
現在もお住まいの方が居らっしゃいますので、2枚だけ撮らせていただき早々と退散。

母屋も長屋門も茅葺屋根の素晴らしい古民家です。
ここで「佐久良 東雄さんってどんな方だったんだろう?」とインターネットで検索してみたところ、素晴らしいものを発見
してしまいました。

旧宅は石岡市でしたが、連休を利用して翌日は土浦市へドライブ。
都内から日帰りで楽に行けて自然を楽しめるところも茨城県の魅力です。
茨城県土浦市 善応寺。

井戸ですが、地元の人が利用しているようです。


井戸の先には小さな池があり、ホテイアオイ(?)で埋め尽くされておりましたが、澄んだ水でコイが泳いでおりました。

ここに来た理由はズバリこれです。
あまりに素晴らしい草書体ですので、別の角度からもう一枚。

文字は「聖観音」ですが、これはかなり崩された草書体ですので、判読は困難ですよね。
それにしても素晴らしい扁額です。

善応寺さんのみではありませんが、ご多聞に漏れず唐草文様が多数。

この写真では見づらいかも知れませんが、中央に唐草と両端には龍です。
唐草と龍は印章彫刻でも用いられる吉祥文様です。

この辺りは真鍋宿と呼ばれていた宿場町だったそうで、今でも多くの名残りがあります。


ワーストワンだろうが何だろうが、私にとって魅力たっぷりの茨城県。
渋滞も少なくいいところですよ。
ブログ編集者
手彫り印鑑 「朱白文相間印 編」
朱白文相間印が続きますが、今回は昔の印影ではなく当店で実際に彫らせていただいたお客様の
手彫り彫刻工程写真を紹介させていただきます。
その前に復習として・・・
手彫り印鑑として販売されている印章(印鑑)の99.9%は手彫りされていません。
「それはいくらなんでも大げさでしょ?」 とか
「1級技能士さんのお店らしいから、ここは大丈夫」
「ホームページで実際に彫っている写真が載っています」
まあ、こんな感じで私の言葉は信じられないかも知れませんが、そんな場合は是非お目当てのお店に問い合わせて下さい。
問い合わせ方法とポイントはこちら→正真正銘「手彫り印鑑」のお店の探し方
私の言葉を信じられない人は、なおさら問い合わせをしてみて下さい。
さて、前置きが長くなりましたが朱白文相間印を実際に手彫りする写真を紹介させていただきます。
ブログ等に掲載をご承諾いただきましたお客様へ、心より御礼申し上げます。

まずは印材の印面を整え朱墨を塗り、文字割り振りの目安となる字割り線を引きます。
そして逆さ文字を手書きしますが、全日本印章業協会の彫刻定義では手書き文字を転写する方法も
手彫りとして認められています。

黒墨で書きながら朱墨で修正して書き進めていきます。

字入れの後は次の工程である荒彫りに入ります。

大きさを比較するものはありませんが、彫刻台の木目をご覧になって下さい。
木目の細かさは木の材質により異なるものの、小さな印面である事がおわかりいただけるかと思います。

上の写真と向きが変わっておりますが、逆から撮ったのではなく、彫りやすい方向に彫刻台を向けて彫っている為です。

朱文部分の荒彫りがほぼ終わる段階です。

次は白文(白抜き)部分の手彫りです。
朱文部分に比べて彫る面積が少ないので、楽そうに思われるかも知れませんが、文字を少しでもはみ出して彫る事ができない
ので、慎重に彫る必要があります。

これも彫る方向を変えて彫りやすい角度から彫ります。

最後は印面に墨を塗って見やすくして仕上げです。

実際の印章(印鑑)は小さなものですので、印影は小さな画像で紹介させていただきます。
正真正銘の手彫りで朱白文相間印をホームページから注文できるお店としては、多分当店だけだと思います。
あくまでも多分ですけど、おそらく他にはないと思います。
参考です→朱白文相間印
ブログ編集者
手彫り彫刻工程写真を紹介させていただきます。
その前に復習として・・・
手彫り印鑑として販売されている印章(印鑑)の99.9%は手彫りされていません。
「それはいくらなんでも大げさでしょ?」 とか
「1級技能士さんのお店らしいから、ここは大丈夫」
「ホームページで実際に彫っている写真が載っています」
まあ、こんな感じで私の言葉は信じられないかも知れませんが、そんな場合は是非お目当てのお店に問い合わせて下さい。
問い合わせ方法とポイントはこちら→正真正銘「手彫り印鑑」のお店の探し方
私の言葉を信じられない人は、なおさら問い合わせをしてみて下さい。
さて、前置きが長くなりましたが朱白文相間印を実際に手彫りする写真を紹介させていただきます。
ブログ等に掲載をご承諾いただきましたお客様へ、心より御礼申し上げます。

まずは印材の印面を整え朱墨を塗り、文字割り振りの目安となる字割り線を引きます。
そして逆さ文字を手書きしますが、全日本印章業協会の彫刻定義では手書き文字を転写する方法も
手彫りとして認められています。

黒墨で書きながら朱墨で修正して書き進めていきます。

字入れの後は次の工程である荒彫りに入ります。

大きさを比較するものはありませんが、彫刻台の木目をご覧になって下さい。
木目の細かさは木の材質により異なるものの、小さな印面である事がおわかりいただけるかと思います。

上の写真と向きが変わっておりますが、逆から撮ったのではなく、彫りやすい方向に彫刻台を向けて彫っている為です。

朱文部分の荒彫りがほぼ終わる段階です。

次は白文(白抜き)部分の手彫りです。
朱文部分に比べて彫る面積が少ないので、楽そうに思われるかも知れませんが、文字を少しでもはみ出して彫る事ができない
ので、慎重に彫る必要があります。

これも彫る方向を変えて彫りやすい角度から彫ります。

最後は印面に墨を塗って見やすくして仕上げです。

実際の印章(印鑑)は小さなものですので、印影は小さな画像で紹介させていただきます。
正真正銘の手彫りで朱白文相間印をホームページから注文できるお店としては、多分当店だけだと思います。
あくまでも多分ですけど、おそらく他にはないと思います。
参考です→朱白文相間印
手彫り印鑑の注文をご検討のお客様へ (免責事項)
当店では手彫り印鑑をご注文いただきました全てのお客様へ、彫刻途中の写真を差し上げております。
ホームページ上で紹介している写真は、写りが良いものを選んだ上でお客様のご承諾をいただき掲載
しているものです。
写真は素人撮影ですので、写り具合の悪い場合やデータの損失、またはうっかり撮り忘れも有り得ます。
(写真を差し上げるサービスを行ってから撮り忘れは一度もありません)
これらの理由により写真を差し上げられない場合でも、間違い無く手彫りを行っております。
その為、写りの悪い場合や、写真そのものが差し上げられない場合でも、返金等は出来ません事を
ご理解下さいませ。
(写真の写りの悪さ、及び差し上げられない場合差し上げられない事は免責とさせていただいております)
尚、当店の彫刻方法は「手彫り」と「手仕上げ」の彫刻方法でお承りさせていただいておりますが
写真サービスは手彫り印鑑のみとなります。
ブログ編集者
開運印鑑の傷跡
久しぶりに開運印鑑の話で、今回は復習編です。
そもそも開運印鑑というのはごく最近出てきた名前で以前は印相印と呼ばれていました。
以前といっても古来からのものではありませんので、昭和40年代の事です。
(それ以前に開運印鑑はありませんでした)
当時は開運という前向きな言葉ではなく、「あなたのハンコは凶印ですよ」とハンコに無知な消費者様の不安を煽り
印相体という書体を新しく作って販売されていたのです。
そのハンコを印相印といい、印相印を販売する業者は印相屋と呼ばれていました。
今でもコテコテの印相屋さんは健在のようですが、大部分の印相屋さんは「印相体はハンコに適したいい書体です」
「開運印鑑で幸せを」 など方針を変更して商売をしております。
「開運印鑑で幸せになるのは買ったお客様ではなく、売ったハンコ屋だ」 というのは、印章業界ではよく語られる笑い話です。
「でも私、開運印鑑を買ってから本当にいい事ばかりなんです」という方。
その様な経験をお持ちの方は、是非こちら→開運印鑑Q&A をお読み下さい。
さて、前置きが長くなりましたが、昭和40年代初頭に突如現れた開運印鑑は印章文化を激変させてしまいました。
今の印章業界に大きな傷跡を残しております。
一番の傷は何と言っても印相体です。
「え~ また印相体の話?」という方も居ると思いますので、今回印相体はひとまず置いておいて、他の傷についての話をします。

これは再登場となりますが、東京印章協同組合が昭和47年に発行した印章カタログで、このページは個人の実印を
紹介するページです。 (個人の実印紹介ページはこのページのみです)
印材を見てみて下さい。
スキャンした画像ですので、少々荒れておりますが、拡大したのが下の画像です。

今、巷で販売されている印材と大きく異なる点がいくつかありますが、目立つのは上下のしるしだと思います。
組合以外の今のカタログをブログに掲載する事は出来ませんが、どのカタログを見ても一様に上下のしるしはありません。
「上下のしるしって無い方がいいんですよね?」という話、たまに聞きませんか?
これは開運印鑑商法のセールストークから広まった話って知っていましたか?
そのセールストークには二つあります。
① 一つはコテコテの印相屋さんがいう言葉で「ハンコは自分の体だから傷を付けるのは良くない」という話です。
時として捺印は自分の意志、約束事の証明(契約)として自分に変わって重要な役割を果たすので大変重要な物ですが
御神体の様な言い伝えはありません。
上下のしるしが良くないものでしたら、印章協同組合の見本がよりによって全てしるし付きの見本にする訳ありませんよね。
「いっ・・・印章協同組合は秘伝を知らないだけなんだ・・・」 とか言われてしまいそうですが、そんな苦し紛れの屁理屈は
笑ってスルーしましょう。
第一、上下のしるしと傷は全く別物です。
しるしを傷と表現する悪意を考えれば、この話はデタラメという事がわかりますよね。
次にこれは印章業界関係者でも開運印鑑が発祥だと知らない人も多い話です。
② 「重要な書類に捺すハンコは印面を確かめて捺す為に上下のしるしは無い方がいい」 という話です。
これは、重要な書類に捺印する時は、しるしを頼りに気軽に捺すのではなく、印面をしっかり見て上下のしるしを
確認し、一息ついて捺印する。
その一息ついている時に、「この書類に本当に捺していいのか?」と考える余裕が生まれるという話です。
一見、「なるほど~」と思ってしまいそうな理屈ですが、これはよく考えればおかしな話です。
というのは・・・
重要な書類に捺印するという事は、ハンコに上下のしるしがあろうが無かろうが、事前にきちんと考えて捺すものです。
しかも、「捺印」というのはあくまでも作業であって、その目的は契約の締結です。 (契約書に例えた場合)
そんな大切な書類に捺印するのに、わざと不便な印章を用いて一息付くのでしょうか?
大切な契約締結時にハンコを見て「え~っと上はどっちだったっけかな?」と考えながら一息つけろというのでしょうか。
逆さまに捺しちゃっても印鑑が間違いでなければ契約は有効かも知れませんが、逆さまの捺印はどう考えてもおかしいので
きちんと捺す為にも印面に神経を集中させる必要があります。
書類の重要性を考えるのは二の次になってしまいますよね。
重要な書類であればあるほど捺印はスムーズに行うべきです。
第一、その様な慣習が仮に正統なものであるなら、印章協同組合のカタログが全て上下のしるし有りというのは不自然な事です。
ここで誤解しないでいただきたい事は、上下のしるし無しはいけないのか?という事です。
上下のしるしの無い印鑑(印章)は開運印鑑が登場する前から存在しましたし、象嵌(ぞうがん)印材はほとんどしるしが
ありませんので、使用するご本人様が納得していれば問題ないものです。
「じゃ~結局どっちを選べばいいんですか?」というお客様へ。
私としてはまず上下のしるし有りのものをお勧めします。
削るしるし(凹型になるしるし)は「当たり」「さぐり」「指型」などと呼ばれ、金属を埋めるしるしは「丹」(たん)と呼ばれます。
「でも・・・今はほとんどしるし無しが一般的らしいから・・・」とお迷いの方は「上の①②の話は印相屋さんがテキトーに考えた話」
という事を踏まえていればしるし無しでも問題ありません。
ではなぜ開運印鑑は上下のしるしが無いのでしょうか。
二つ理由があります。
一つは印材の作りやすさと彫刻のしやすさです。
印材はしるし無しの方が作成は簡単ですし、彫刻は上下のしるしが無ければズレを気にせず彫れるので手間が減ります。
もう一つがしるしを付けなくなった大きな理由です。
それは、「あなたの印は凶印です」と今使っているハンコ(昭和40年代当時はしるし有りが主流でした)を縁起の悪いハンコ
だと説明し、絶妙なセールストークで「上下のしるしはいけない」「太枠はいけない」「短いハンコは寸足らず」など言って
作り替えを促す為です。
私の説明じゃ信じられないですか?
そんな人はこちらをご覧下さい →東京印章協同組合が作成した印相鑑定業者に注意というチラシ
凶相印などというものはデタラメという事がおわかりいただけましたでしょうか。
何故こんなにインチキがはびこるのでしょうか。
これも再登場ですが、信頼できる株式会社ゲンダイ出版さんの業界誌より (赤線は私が書きました)

どうです?
私の言葉では信じられないかも知れませんが、これは印章業界紙さんに書いてある事です。
「金というものは、取れる内に取る」
これ、わかりますか?
上に書きましたが「開運印鑑で幸せになるのは買ったお客様ではなく、売ったハンコ屋だ」 という話と共通すると思いませんか?
ブログ編集者
そもそも開運印鑑というのはごく最近出てきた名前で以前は印相印と呼ばれていました。
以前といっても古来からのものではありませんので、昭和40年代の事です。
(それ以前に開運印鑑はありませんでした)
当時は開運という前向きな言葉ではなく、「あなたのハンコは凶印ですよ」とハンコに無知な消費者様の不安を煽り
印相体という書体を新しく作って販売されていたのです。
そのハンコを印相印といい、印相印を販売する業者は印相屋と呼ばれていました。
今でもコテコテの印相屋さんは健在のようですが、大部分の印相屋さんは「印相体はハンコに適したいい書体です」
「開運印鑑で幸せを」 など方針を変更して商売をしております。
「開運印鑑で幸せになるのは買ったお客様ではなく、売ったハンコ屋だ」 というのは、印章業界ではよく語られる笑い話です。
「でも私、開運印鑑を買ってから本当にいい事ばかりなんです」という方。
その様な経験をお持ちの方は、是非こちら→開運印鑑Q&A をお読み下さい。
さて、前置きが長くなりましたが、昭和40年代初頭に突如現れた開運印鑑は印章文化を激変させてしまいました。
今の印章業界に大きな傷跡を残しております。
一番の傷は何と言っても印相体です。
「え~ また印相体の話?」という方も居ると思いますので、今回印相体はひとまず置いておいて、他の傷についての話をします。

これは再登場となりますが、東京印章協同組合が昭和47年に発行した印章カタログで、このページは個人の実印を
紹介するページです。 (個人の実印紹介ページはこのページのみです)
印材を見てみて下さい。
スキャンした画像ですので、少々荒れておりますが、拡大したのが下の画像です。

今、巷で販売されている印材と大きく異なる点がいくつかありますが、目立つのは上下のしるしだと思います。
組合以外の今のカタログをブログに掲載する事は出来ませんが、どのカタログを見ても一様に上下のしるしはありません。
「上下のしるしって無い方がいいんですよね?」という話、たまに聞きませんか?
これは開運印鑑商法のセールストークから広まった話って知っていましたか?
そのセールストークには二つあります。
① 一つはコテコテの印相屋さんがいう言葉で「ハンコは自分の体だから傷を付けるのは良くない」という話です。
時として捺印は自分の意志、約束事の証明(契約)として自分に変わって重要な役割を果たすので大変重要な物ですが
御神体の様な言い伝えはありません。
上下のしるしが良くないものでしたら、印章協同組合の見本がよりによって全てしるし付きの見本にする訳ありませんよね。
「いっ・・・印章協同組合は秘伝を知らないだけなんだ・・・」 とか言われてしまいそうですが、そんな苦し紛れの屁理屈は
笑ってスルーしましょう。
第一、上下のしるしと傷は全く別物です。
しるしを傷と表現する悪意を考えれば、この話はデタラメという事がわかりますよね。
次にこれは印章業界関係者でも開運印鑑が発祥だと知らない人も多い話です。
② 「重要な書類に捺すハンコは印面を確かめて捺す為に上下のしるしは無い方がいい」 という話です。
これは、重要な書類に捺印する時は、しるしを頼りに気軽に捺すのではなく、印面をしっかり見て上下のしるしを
確認し、一息ついて捺印する。
その一息ついている時に、「この書類に本当に捺していいのか?」と考える余裕が生まれるという話です。
一見、「なるほど~」と思ってしまいそうな理屈ですが、これはよく考えればおかしな話です。
というのは・・・
重要な書類に捺印するという事は、ハンコに上下のしるしがあろうが無かろうが、事前にきちんと考えて捺すものです。
しかも、「捺印」というのはあくまでも作業であって、その目的は契約の締結です。 (契約書に例えた場合)
そんな大切な書類に捺印するのに、わざと不便な印章を用いて一息付くのでしょうか?
大切な契約締結時にハンコを見て「え~っと上はどっちだったっけかな?」と考えながら一息つけろというのでしょうか。
逆さまに捺しちゃっても印鑑が間違いでなければ契約は有効かも知れませんが、逆さまの捺印はどう考えてもおかしいので
きちんと捺す為にも印面に神経を集中させる必要があります。
書類の重要性を考えるのは二の次になってしまいますよね。
重要な書類であればあるほど捺印はスムーズに行うべきです。
第一、その様な慣習が仮に正統なものであるなら、印章協同組合のカタログが全て上下のしるし有りというのは不自然な事です。
ここで誤解しないでいただきたい事は、上下のしるし無しはいけないのか?という事です。
上下のしるしの無い印鑑(印章)は開運印鑑が登場する前から存在しましたし、象嵌(ぞうがん)印材はほとんどしるしが
ありませんので、使用するご本人様が納得していれば問題ないものです。
「じゃ~結局どっちを選べばいいんですか?」というお客様へ。
私としてはまず上下のしるし有りのものをお勧めします。
削るしるし(凹型になるしるし)は「当たり」「さぐり」「指型」などと呼ばれ、金属を埋めるしるしは「丹」(たん)と呼ばれます。
「でも・・・今はほとんどしるし無しが一般的らしいから・・・」とお迷いの方は「上の①②の話は印相屋さんがテキトーに考えた話」
という事を踏まえていればしるし無しでも問題ありません。
ではなぜ開運印鑑は上下のしるしが無いのでしょうか。
二つ理由があります。
一つは印材の作りやすさと彫刻のしやすさです。
印材はしるし無しの方が作成は簡単ですし、彫刻は上下のしるしが無ければズレを気にせず彫れるので手間が減ります。
もう一つがしるしを付けなくなった大きな理由です。
それは、「あなたの印は凶印です」と今使っているハンコ(昭和40年代当時はしるし有りが主流でした)を縁起の悪いハンコ
だと説明し、絶妙なセールストークで「上下のしるしはいけない」「太枠はいけない」「短いハンコは寸足らず」など言って
作り替えを促す為です。
私の説明じゃ信じられないですか?
そんな人はこちらをご覧下さい →東京印章協同組合が作成した印相鑑定業者に注意というチラシ
凶相印などというものはデタラメという事がおわかりいただけましたでしょうか。
何故こんなにインチキがはびこるのでしょうか。
これも再登場ですが、信頼できる株式会社ゲンダイ出版さんの業界誌より (赤線は私が書きました)

どうです?
私の言葉では信じられないかも知れませんが、これは印章業界紙さんに書いてある事です。
「金というものは、取れる内に取る」
これ、わかりますか?
上に書きましたが「開運印鑑で幸せになるのは買ったお客様ではなく、売ったハンコ屋だ」 という話と共通すると思いませんか?
ブログ編集者
蔵書印まつり、柳葉篆、干支印
タイトルは話題を混ぜただけで、特に他の意味はありません。
明治時代の印譜より。

今回は上段中央より左の太枠印鑑について。
どれもハンコなのですが、「ハンコらしさ」と言えばこの太枠ではないでしょうか。

枠が太い場合、細篆書体の様に文字は細い方が強弱が付いて美しいのですが、これだけ空間が確保できれば
文字が少々太くでもバランスがとれますね。
どっしりとした風格ある印鑑。
いつもと同じ言葉ですみませんが、印鑑は原寸で見るのが一番です、
パソコンでご覧の方はモニターから少し離れて(距離をとって)ご覧になって下さい。
-----------------------------------------------------------
いよいよ今週末に迫ってきました。
第23回蔵書印まつりは10月28日(土曜)、29日(日曜)神保町の印章会館で開催されます。
チケットの下の方に「来年の干支ゴム印をプレゼント」(数量限定)とありますね。

その干支ゴム印とは、東京印章協同組合の名工さん及び近隣県の名工さんが手彫りしたものを版として
ゴム印にしたものです。
そのゴム印にする原版の印章はこちら。

只今それを私が厳重に保管(笑)しておりますが、何とこれは蔵書印まつりで1個1,000円で販売されます。
東京及び近隣県の名工さん達のご協力をいただき、プレゼント用のゴム印原版にさせていただき、その原版印章は
「イベント価格」として破格の1,000円という超お買い得の値段です。
もちろん完全な手彫りです。
ちゃっかり私が彫ったものも混ざっております。
名工さんが彫った完全手彫りの干支印(篆刻)、ぜひ蔵書印まつりでお買い求め下さい。
(只今当店で保管しておりますが、お店では販売できません)
ブログ管理人
明治時代の印譜より。

今回は上段中央より左の太枠印鑑について。
どれもハンコなのですが、「ハンコらしさ」と言えばこの太枠ではないでしょうか。

枠が太い場合、細篆書体の様に文字は細い方が強弱が付いて美しいのですが、これだけ空間が確保できれば
文字が少々太くでもバランスがとれますね。
どっしりとした風格ある印鑑。
いつもと同じ言葉ですみませんが、印鑑は原寸で見るのが一番です、
パソコンでご覧の方はモニターから少し離れて(距離をとって)ご覧になって下さい。
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いよいよ今週末に迫ってきました。
第23回蔵書印まつりは10月28日(土曜)、29日(日曜)神保町の印章会館で開催されます。
チケットの下の方に「来年の干支ゴム印をプレゼント」(数量限定)とありますね。

その干支ゴム印とは、東京印章協同組合の名工さん及び近隣県の名工さんが手彫りしたものを版として
ゴム印にしたものです。
そのゴム印にする原版の印章はこちら。

只今それを私が厳重に保管(笑)しておりますが、何とこれは蔵書印まつりで1個1,000円で販売されます。
東京及び近隣県の名工さん達のご協力をいただき、プレゼント用のゴム印原版にさせていただき、その原版印章は
「イベント価格」として破格の1,000円という超お買い得の値段です。
もちろん完全な手彫りです。
ちゃっかり私が彫ったものも混ざっております。
名工さんが彫った完全手彫りの干支印(篆刻)、ぜひ蔵書印まつりでお買い求め下さい。
(只今当店で保管しておりますが、お店では販売できません)
ブログ管理人
分銅型印鑑
タイトルの前に・・・
二つ前に「開運印鑑の傷跡」という記事を書きましたが、印章の上下のしるしについて迷っている方へのアドバイスで
説明が言葉足らずの部分がありましたので、少し加筆しました。
読み返してもほとんどの方が気付かないかも知れませんが、誤解がもとで意味が全く違って解釈されてしまっては困るので
加筆訂正させていただきました。
今回は久しぶりの分銅型印鑑です。
分銅(ふんどう)は重さを量る道具という事はご存じだと思いますが、一方お金にまつわる縁起物としてもその形が使われました。
昔の両替商や質屋さんの看板によく用いられ、銀行の地図記号は分銅のマークです。
そう言えば、銀行の地図記号を確認しようと思って検索してみたら、今一部の地図ではこの分銅型の銀行の地図記号は
使われなくなってしまったのですね。
ネット情報を鵜呑みには出来ませんが、本当だとしたら寂しい限りです。
説明が長くなりましたが、明治時代の印譜より。

もしかするとだいぶ前に紹介した印影の再登場かも知れませんが、この印譜はいくつか分銅型がありますので、
また他のものも紹介させていただきます。

端正な楷書体に親子二重枠の分銅型印鑑。
もちろんこの時代のものは完全な手彫りです。
職人の技量がわかる素晴らしい分銅型印鑑です。

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先日茨城県の良さを紹介させていただきましたが、その続きです。
茨城県土浦市 (駅至近)

古民家が綺麗に整備され、観光地化されている箇所があります。

これは蕎麦屋さんです。

これはその蕎麦屋さんの看板ですが、彫刻がほどこされ屋根まで付いた豪勢な看板です。
素晴らしい!

退筆塚と彫られた隷書体が目立つ石碑ですが、私は上に彫られている篆書体の方が興味ありますね。

今から150年以上前に建てられた石碑のようです。
調べると生麦事件があった年のようです。


近くの神社の扁額です。
先程「隷書体より篆書体」と書きましたが、決して隷書体が嫌いな訳ではありませんよ。

こちら別の扁額で、写真では小さくしか写っておりませんが、いい感じの落款が彫られています。

こちらの古民家は漆喰が随分きれいですが、実は東日本大震災で甚大な被害を被ったそうで、修繕費用が●億円掛かったとか・・
一般の方の住宅(空き家)なのですが、外観を見ていたら観光案内の方が「中へどうぞ」と特別に入れてくれました。
横の看板でわかると思いますが、酒屋さんです。
明治時代のこんな商家で分銅型の印鑑が使われている光景を見てみたいものです。

この白い倉は資料館になっており、中に入る事ができます。
資料を見ていたら気になるものを発見。

この辺りの写真で年代が不明との事ですが、恐らく明治か大正時代ではないでしょうか。
「この時代のこんな雰囲気のハンコ屋さんがあったら見てみたいな~」と思ってよく見ると・・・!

手前の左側のお店にゴム印の看板がありました。
紛れもなくハンコ屋さんです。
「でもこの時代、木口ではなくゴム印を宣伝?」と思われるかも知れませんが、明治や大正時代のカタログの中には
ゴム印のページが先頭になっているのもあるのです。
なぜ・・・?
木口(朱肉で捺す印章)はどの印章店でも当たり前であり、もちろんこの頃は全て手彫りですので、わざわざ「手彫り印鑑」など
どのお店もその様な事を謳っておりません。
そうです。
名工の彫る手彫り印鑑は、ハンコ屋であれば当たり前でしたので、当たり前の事を宣伝しても仕方ないので
あえてゴム印の宣伝をしたものと考えられます。
ちなみに木口は手彫りが原点ですが、実はゴム印は手彫りは後からって知っていましたか?
先に鋳造ゴム印が開発され、後にゴム印も手彫りされる様になったのです。
当然手彫りの方が先の様な気がしますが、意外ですよね。
ブログ編集者
二つ前に「開運印鑑の傷跡」という記事を書きましたが、印章の上下のしるしについて迷っている方へのアドバイスで
説明が言葉足らずの部分がありましたので、少し加筆しました。
読み返してもほとんどの方が気付かないかも知れませんが、誤解がもとで意味が全く違って解釈されてしまっては困るので
加筆訂正させていただきました。
今回は久しぶりの分銅型印鑑です。
分銅(ふんどう)は重さを量る道具という事はご存じだと思いますが、一方お金にまつわる縁起物としてもその形が使われました。
昔の両替商や質屋さんの看板によく用いられ、銀行の地図記号は分銅のマークです。
そう言えば、銀行の地図記号を確認しようと思って検索してみたら、今一部の地図ではこの分銅型の銀行の地図記号は
使われなくなってしまったのですね。
ネット情報を鵜呑みには出来ませんが、本当だとしたら寂しい限りです。
説明が長くなりましたが、明治時代の印譜より。

もしかするとだいぶ前に紹介した印影の再登場かも知れませんが、この印譜はいくつか分銅型がありますので、
また他のものも紹介させていただきます。

端正な楷書体に親子二重枠の分銅型印鑑。
もちろんこの時代のものは完全な手彫りです。
職人の技量がわかる素晴らしい分銅型印鑑です。

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先日茨城県の良さを紹介させていただきましたが、その続きです。
茨城県土浦市 (駅至近)

古民家が綺麗に整備され、観光地化されている箇所があります。

これは蕎麦屋さんです。

これはその蕎麦屋さんの看板ですが、彫刻がほどこされ屋根まで付いた豪勢な看板です。
素晴らしい!

退筆塚と彫られた隷書体が目立つ石碑ですが、私は上に彫られている篆書体の方が興味ありますね。

今から150年以上前に建てられた石碑のようです。
調べると生麦事件があった年のようです。


近くの神社の扁額です。
先程「隷書体より篆書体」と書きましたが、決して隷書体が嫌いな訳ではありませんよ。

こちら別の扁額で、写真では小さくしか写っておりませんが、いい感じの落款が彫られています。

こちらの古民家は漆喰が随分きれいですが、実は東日本大震災で甚大な被害を被ったそうで、修繕費用が●億円掛かったとか・・
一般の方の住宅(空き家)なのですが、外観を見ていたら観光案内の方が「中へどうぞ」と特別に入れてくれました。
横の看板でわかると思いますが、酒屋さんです。
明治時代のこんな商家で分銅型の印鑑が使われている光景を見てみたいものです。

この白い倉は資料館になっており、中に入る事ができます。
資料を見ていたら気になるものを発見。

この辺りの写真で年代が不明との事ですが、恐らく明治か大正時代ではないでしょうか。
「この時代のこんな雰囲気のハンコ屋さんがあったら見てみたいな~」と思ってよく見ると・・・!

手前の左側のお店にゴム印の看板がありました。
紛れもなくハンコ屋さんです。
「でもこの時代、木口ではなくゴム印を宣伝?」と思われるかも知れませんが、明治や大正時代のカタログの中には
ゴム印のページが先頭になっているのもあるのです。
なぜ・・・?
木口(朱肉で捺す印章)はどの印章店でも当たり前であり、もちろんこの頃は全て手彫りですので、わざわざ「手彫り印鑑」など
どのお店もその様な事を謳っておりません。
そうです。
名工の彫る手彫り印鑑は、ハンコ屋であれば当たり前でしたので、当たり前の事を宣伝しても仕方ないので
あえてゴム印の宣伝をしたものと考えられます。
ちなみに木口は手彫りが原点ですが、実はゴム印は手彫りは後からって知っていましたか?
先に鋳造ゴム印が開発され、後にゴム印も手彫りされる様になったのです。
当然手彫りの方が先の様な気がしますが、意外ですよね。
ブログ編集者