印鑑の上下のしるしについて
タイトルに違和感がある人は多いと思います。
正式には印鑑ではないですよね。
それにつきましてはトップページまたはこちら→印鑑と印章をお読み下さい。
今回も前回同様、「自分では当たり前と思っていた事でも、お客様には当たり前ではなかった」についてですが、
これも同じく「前にも書きましたが改めて紹介」で、今回はハンコの上下のしるしについてです。
まずはこちらをご覧下さい。

これは東京印章協同組合の昭和47年の印章カタログから、実印紹介のページを撮影したものです。
まず初めに答えを言ってしまった様なものですが、左ページの分も含めて全て上下のしるしが付いていますよね。
しかし今は巷で実印を注文すると上下のしるし有無は聞かれず、無条件でしるし無しににされる事が多いです。
その理由として
ハンコ(特に実印)を捺す時は重要な時だから、しるしを頼りにして簡単に捺すのではなく、印面を見てしっかり確認して
捺す事が重要です。
そして、一息ついている時に「この書類に本当に捺印していいのか、考える時間的余裕をもって捺す事が重要です」
などといいう説明がされます。 (もう一つありますが、それは後半に)
この様な説明を受けますと大抵の人が「なるほど!」と納得してしまうのではないでしょうか。
上の写真でわかると思いますが、昔のハンコは大抵上下のしるしが付いていた事をまずは知っておいて下さい。
そして、「重要な書類に捺印する時は印面を見て・・・」という話、これは昭和40年代以降に印相屋さんが盛んに宣伝した
セールストークという事をお伝え致します。
(印相屋さんとは、今でいう開運印鑑販売店の事です)
「セールストークのどこがいけないの? 注意喚起をしてくれていい事じゃないですか!」と思う人も多いと思います。
でも、これってよく考えるとおかしな話なのです。
①上下のしるし付きの印鑑を使っていた昔の人は、注意散漫で大切な実印を軽い気持ちで捺していたのでしょうか?
そんな訳ありませんよね。
②上下のしるしを見て一息ついてよく考える?
大切な書類に逆さまに捺印してしまったらみっともないですので、一息つく余裕より、ハンコに意識を集中させますよね。
一息つくどころか、一時とはいえ書類の重要性から頭が離れ、ハンコの上下を確かめるという作業に気持ちを集中
させなければいけません。
一方、ハンコに上下のしるしが付いていれば、余計な作業をせず書類の重要性に集中して捺印出来ます。
ぜひ①と併せてこの事を考えてみて下さい。
重要な書類に捺印する際に、わざと不便なハンコを使うなんて、おかしいと思いませんか?
という事は、サインが主流の欧米では、気軽にサインしてしまわないよう、わざと使いづらいペンを用いているのでしょうか?
そもそも、印相屋さんが昭和40年代にハンコの買い替えを促す為に考えたセールストークにのせられてしまうのって
嫌だと思いませんか?
(誤解しないでいただきたい点がありますので、それは最後に)
一つの資料だけですと「たまたまでしょ?」と勘繰られてしまうかも知れませんので、もう一つ資料を。

これは東日本印判用品商工組合が昭和49年に発行した印判用品綜合カタログの印材紹介のはじめのページです。
向かって右側は象嵌(ぞうがん)がほどこされたものですので上下のしるしはありませんが、左のページは上下のしるしである「丹」が
全て付いた印材です。
仮に「印鑑(実印)は大切な書類に捺すものなので、上下のしるしは無い方がいい」という慣習がきちんとした話であるなら
印章協同組合や印判用品商工組合がカタログに大きく載せるでしょうか?
(カタログ内の印材は象嵌など例外を除き、ほとんどに上下のしるしが付いています)
上下のしるしで、長方形の金属を埋めたしるしを丹(たん)といいます。
これは印判用品綜合カタログによりますと、短冊から「たん」と呼ばれるようになったとの事です。
(現在は「短」ではなく「丹」と呼ばれています)
また、削ったタイプのしるしは「当たり」「指型」「さぐり」などと呼ばれています。
明確な規定はありませんが、印材のランクとしては(象嵌などの例外を除き)上から丹入り、当たり付き、無地(しるし無し)
として扱われてきました。
ここで誤解しないでいただきたい事は、しるし無しがいけないのか?という事ですが、印相体の様に存在そのものがいけない
訳ではありません。
高級印材である象嵌で文様がある印材の多くが上下のしるしはありませんし、
上に書きました①と②の話を踏まえた上でしるし無し(無地)を選ぶのは問題ありません。
最後に
今の実印の上下のしるしが無いもう一つの理由は・・・
印相屋さんの古典的なセールストークの一つに「ハンコは自分の体だから、傷を付けない方がいい」 という話があるからです。
これはしるしを傷と悪意ある言葉で表現している時点で、「おかしい」と感じる人も居ると思います。
(上下のしるしと傷は明らかに別物ですよね)
ハンコは大切なもので、印影は契約締結などの手段になりますので、比喩として「自分の分身」に例えられる事はありますが
ハンコ本体(印章)を御神体みたいに自分の体に例える言い伝えはありません。
そのそも昔の印鑑は、現在のように円柱型というものは少なく、多くの印鑑は装飾がほどこされたものだったのです。

これは上で紹介した印判用品綜合カタログから明治時代の印章カタログのページを写したものですが
昔の実印はこんな形で、円柱型は少なく装飾があり、鈕(ちゅう)というつまみが付いているものも多々ありました。
鈕は主に動物の形が用いられましたが、想像上の動物や瓦の形のものもありました。
これでわかると思いますが、ハンコが自分の体である訳がありません。
仮に「自分の体」であるなら、鈕は動物ではなく、人の形をしているはずです。
ブログ編集者
正式には印鑑ではないですよね。
それにつきましてはトップページまたはこちら→印鑑と印章をお読み下さい。
今回も前回同様、「自分では当たり前と思っていた事でも、お客様には当たり前ではなかった」についてですが、
これも同じく「前にも書きましたが改めて紹介」で、今回はハンコの上下のしるしについてです。
まずはこちらをご覧下さい。

これは東京印章協同組合の昭和47年の印章カタログから、実印紹介のページを撮影したものです。
まず初めに答えを言ってしまった様なものですが、左ページの分も含めて全て上下のしるしが付いていますよね。
しかし今は巷で実印を注文すると上下のしるし有無は聞かれず、無条件でしるし無しににされる事が多いです。
その理由として
ハンコ(特に実印)を捺す時は重要な時だから、しるしを頼りにして簡単に捺すのではなく、印面を見てしっかり確認して
捺す事が重要です。
そして、一息ついている時に「この書類に本当に捺印していいのか、考える時間的余裕をもって捺す事が重要です」
などといいう説明がされます。 (もう一つありますが、それは後半に)
この様な説明を受けますと大抵の人が「なるほど!」と納得してしまうのではないでしょうか。
上の写真でわかると思いますが、昔のハンコは大抵上下のしるしが付いていた事をまずは知っておいて下さい。
そして、「重要な書類に捺印する時は印面を見て・・・」という話、これは昭和40年代以降に印相屋さんが盛んに宣伝した
セールストークという事をお伝え致します。
(印相屋さんとは、今でいう開運印鑑販売店の事です)
「セールストークのどこがいけないの? 注意喚起をしてくれていい事じゃないですか!」と思う人も多いと思います。
でも、これってよく考えるとおかしな話なのです。
①上下のしるし付きの印鑑を使っていた昔の人は、注意散漫で大切な実印を軽い気持ちで捺していたのでしょうか?
そんな訳ありませんよね。
②上下のしるしを見て一息ついてよく考える?
大切な書類に逆さまに捺印してしまったらみっともないですので、一息つく余裕より、ハンコに意識を集中させますよね。
一息つくどころか、一時とはいえ書類の重要性から頭が離れ、ハンコの上下を確かめるという作業に気持ちを集中
させなければいけません。
一方、ハンコに上下のしるしが付いていれば、余計な作業をせず書類の重要性に集中して捺印出来ます。
ぜひ①と併せてこの事を考えてみて下さい。
重要な書類に捺印する際に、わざと不便なハンコを使うなんて、おかしいと思いませんか?
という事は、サインが主流の欧米では、気軽にサインしてしまわないよう、わざと使いづらいペンを用いているのでしょうか?
そもそも、印相屋さんが昭和40年代にハンコの買い替えを促す為に考えたセールストークにのせられてしまうのって
嫌だと思いませんか?
(誤解しないでいただきたい点がありますので、それは最後に)
一つの資料だけですと「たまたまでしょ?」と勘繰られてしまうかも知れませんので、もう一つ資料を。

これは東日本印判用品商工組合が昭和49年に発行した印判用品綜合カタログの印材紹介のはじめのページです。
向かって右側は象嵌(ぞうがん)がほどこされたものですので上下のしるしはありませんが、左のページは上下のしるしである「丹」が
全て付いた印材です。
仮に「印鑑(実印)は大切な書類に捺すものなので、上下のしるしは無い方がいい」という慣習がきちんとした話であるなら
印章協同組合や印判用品商工組合がカタログに大きく載せるでしょうか?
(カタログ内の印材は象嵌など例外を除き、ほとんどに上下のしるしが付いています)
上下のしるしで、長方形の金属を埋めたしるしを丹(たん)といいます。
これは印判用品綜合カタログによりますと、短冊から「たん」と呼ばれるようになったとの事です。
(現在は「短」ではなく「丹」と呼ばれています)
また、削ったタイプのしるしは「当たり」「指型」「さぐり」などと呼ばれています。
明確な規定はありませんが、印材のランクとしては(象嵌などの例外を除き)上から丹入り、当たり付き、無地(しるし無し)
として扱われてきました。
ここで誤解しないでいただきたい事は、しるし無しがいけないのか?という事ですが、印相体の様に存在そのものがいけない
訳ではありません。
高級印材である象嵌で文様がある印材の多くが上下のしるしはありませんし、
上に書きました①と②の話を踏まえた上でしるし無し(無地)を選ぶのは問題ありません。
最後に
今の実印の上下のしるしが無いもう一つの理由は・・・
印相屋さんの古典的なセールストークの一つに「ハンコは自分の体だから、傷を付けない方がいい」 という話があるからです。
これはしるしを傷と悪意ある言葉で表現している時点で、「おかしい」と感じる人も居ると思います。
(上下のしるしと傷は明らかに別物ですよね)
ハンコは大切なもので、印影は契約締結などの手段になりますので、比喩として「自分の分身」に例えられる事はありますが
ハンコ本体(印章)を御神体みたいに自分の体に例える言い伝えはありません。
そのそも昔の印鑑は、現在のように円柱型というものは少なく、多くの印鑑は装飾がほどこされたものだったのです。

これは上で紹介した印判用品綜合カタログから明治時代の印章カタログのページを写したものですが
昔の実印はこんな形で、円柱型は少なく装飾があり、鈕(ちゅう)というつまみが付いているものも多々ありました。
鈕は主に動物の形が用いられましたが、想像上の動物や瓦の形のものもありました。
これでわかると思いますが、ハンコが自分の体である訳がありません。
仮に「自分の体」であるなら、鈕は動物ではなく、人の形をしているはずです。
ブログ編集者
太枠・細字
今回も再登場シリーズで失礼します。
まずは明治時代の印譜から。

左ページ上から5番目の印影です。

どっしりとした太枠に小さな細篆書体で、周囲に大きな空間が広がっています。
「これは例外的な印影ですよね?」と想像される方も多いと思いますが、実は僅かながら存在した作風です。

何度か紹介している実印集(實印集)です。

これは小さな空間に何と4文字が彫られています。
ご自身の名前が小さい事を嫌うお客様も多いですが、大きければ大きいほど目立つというものでもありません。
こんな小さくでも、枠と文字とのバランスで個性が大変目立つ印鑑となります。
もちろん「目立てばいい」というものでもありませんが。
-----------------------------------------------------------
ゴールデンウィークは少々仕事をしましたが「やはり息抜きが必要」と理由を付けていつもの郊外へ。

すっかり定点観測ポイントと化した場所の田んぼに、水が入り田植えが始まりました。

この様な光景は見ているだけで癒されます。

ブログ編集者
まずは明治時代の印譜から。

左ページ上から5番目の印影です。

どっしりとした太枠に小さな細篆書体で、周囲に大きな空間が広がっています。
「これは例外的な印影ですよね?」と想像される方も多いと思いますが、実は僅かながら存在した作風です。

何度か紹介している実印集(實印集)です。

これは小さな空間に何と4文字が彫られています。
ご自身の名前が小さい事を嫌うお客様も多いですが、大きければ大きいほど目立つというものでもありません。
こんな小さくでも、枠と文字とのバランスで個性が大変目立つ印鑑となります。
もちろん「目立てばいい」というものでもありませんが。
-----------------------------------------------------------
ゴールデンウィークは少々仕事をしましたが「やはり息抜きが必要」と理由を付けていつもの郊外へ。

すっかり定点観測ポイントと化した場所の田んぼに、水が入り田植えが始まりました。

この様な光景は見ているだけで癒されます。

ブログ編集者
木口界の偉人
「いきなりモザイクで何なんですか?」とでも言われそうな写真ですみません。
今回のメインは左下の落款です。

昭和近年の印譜ですので、メインの印影はモザイクを掛けさせていただきました。
今回は知る人ぞ知る印章業界の偉人の先生(故人)の印鑑です。

名前を伏せて「知る人ぞ知る」など、意味深な説明で申し訳ございませんが、検索エンジンに引っかからない為に
あえて名前を伏せさせていただきました。
これは篆刻ですが、この先生は木口の偉人として業界に知れており、「知る人ぞ知る」ではなく「業界で知らない人は居ない」
と言っていいほど偉大な方です。
「業界では知らない人が居ない」位の偉大な先生ですので、私が評価してしまうのは失礼ですのであえて名前は伏せておきます。
今回のメインは左下の落款です。

昭和近年の印譜ですので、メインの印影はモザイクを掛けさせていただきました。
今回は知る人ぞ知る印章業界の偉人の先生(故人)の印鑑です。

名前を伏せて「知る人ぞ知る」など、意味深な説明で申し訳ございませんが、検索エンジンに引っかからない為に
あえて名前を伏せさせていただきました。
これは篆刻ですが、この先生は木口の偉人として業界に知れており、「知る人ぞ知る」ではなく「業界で知らない人は居ない」
と言っていいほど偉大な方です。
「業界では知らない人が居ない」位の偉大な先生ですので、私が評価してしまうのは失礼ですのであえて名前は伏せておきます。
蝌蚪文
蝌蚪文(かとぶん)です。
蝌蚪とはおたまじゃくしの事で、実はこのブログ再登場です。
すっかりご無沙汰の百體千字文です。
百書体の一部しか紹介しておりませんでしたが、早くも蝌蚪文は再登場です。 (右側です)


どうしておたまじゃくしなのか、一目瞭然だと思いますが、念の為の説明です↓(前回と同文です)
「昔、漆を棒に付けて文字を書くと墨のようにスムーズに書けず、このような墨溜まりならぬ漆溜まりが出来て
おたまじゃくしのような形になったので、後世になって蝌蚪文字と呼ばれるようになった文字です」
という事です。

まさにおたまじゃくしそのものという感じですね。

なぜ百書体の一部しか紹介していないのに、早くも再登場なのかと言いますと・・・

こちらは池永道雲の印稿です。
印譜には虫食いが発生していますが、虫食いの後に製本されたのがわかります。
(捺されていたゴム印により製本は大正時代と思われます)

蝌蚪文を印鑑にするとこうなります。
蝌蚪とはおたまじゃくしの事で、実はこのブログ再登場です。

すっかりご無沙汰の百體千字文です。
百書体の一部しか紹介しておりませんでしたが、早くも蝌蚪文は再登場です。 (右側です)


どうしておたまじゃくしなのか、一目瞭然だと思いますが、念の為の説明です↓(前回と同文です)
「昔、漆を棒に付けて文字を書くと墨のようにスムーズに書けず、このような墨溜まりならぬ漆溜まりが出来て
おたまじゃくしのような形になったので、後世になって蝌蚪文字と呼ばれるようになった文字です」
という事です。

まさにおたまじゃくしそのものという感じですね。

なぜ百書体の一部しか紹介していないのに、早くも再登場なのかと言いますと・・・

こちらは池永道雲の印稿です。
印譜には虫食いが発生していますが、虫食いの後に製本されたのがわかります。
(捺されていたゴム印により製本は大正時代と思われます)

蝌蚪文を印鑑にするとこうなります。
龍刻(龍紋)
お馴染みの明治印譜です。

今回は久しぶりに龍刻(龍紋)の印鑑を紹介させていただきます。

龍は実在する動物ではありませんが、霊獣と呼ばれ頭は駱駝(ラクダ)、角は鹿、目は兎、蛇の首に鯉の鱗などを組み合せた
想像上の動物で、吉祥文様として皇帝の衣装や宮廷の器に用いられました。
ですので、龍の文様をあしらった印鑑を「開運印鑑」と呼ぶのでしたら問題ないと考えますが、そこに彫られる文字は
伝統的な書体である必要があります。

上は篆書体、でこちらは隷書体です。
明治時代は(丸型より少なかったとはいえ)個人の角印もありました。

こちらは小判型にうまく龍をあしらった印鑑です。
伝統文字で彫られた開運印鑑ですね。
明治時代の印章文化は、本当に素晴らしいです。
ブログ編集者

今回は久しぶりに龍刻(龍紋)の印鑑を紹介させていただきます。

龍は実在する動物ではありませんが、霊獣と呼ばれ頭は駱駝(ラクダ)、角は鹿、目は兎、蛇の首に鯉の鱗などを組み合せた
想像上の動物で、吉祥文様として皇帝の衣装や宮廷の器に用いられました。
ですので、龍の文様をあしらった印鑑を「開運印鑑」と呼ぶのでしたら問題ないと考えますが、そこに彫られる文字は
伝統的な書体である必要があります。

上は篆書体、でこちらは隷書体です。
明治時代は(丸型より少なかったとはいえ)個人の角印もありました。

こちらは小判型にうまく龍をあしらった印鑑です。
伝統文字で彫られた開運印鑑ですね。
明治時代の印章文化は、本当に素晴らしいです。
ブログ編集者
印相体
このブログではお馴染みの印相体についてです。
「それは何度も読みました」と苦言を呈されてしまいそうですので、印相体そのものについて今回はあっさりと。

赤枠の中をご理解いただければ、印相体について多くの説明は必要ないでしょう。
でも、一つの資料だけですと信用するのに躊躇するでしょうから、もういくつか。

これは印章業界誌の10年位前の記事からですが、上の赤枠と併せてお読みいただければ、印相体は最近創られた変なもの
である事がおわかりいただけるかと思います。
更にもう一つ、同じ印章業界誌から。

「言い伝え無きものに開運なし」 という事ですね。
私が長々説明するより、シンプルにお読みいただけた方がよくご理解いただけるかも知れません。
最後にもう一つ。

これは今から40年以上前に印章業界で販売されたポスター(2枚分)です。
上がポスターで、下が作者様の感想です。
赤枠の中は一言一句重要なヒントとなりますので、何度かお読みいただけますでしょうか。
今回は別の視点から印相体と開運印鑑について書いてみようかと思います。
私が開運印鑑や印相体についてネットで本当の事を公開して7~8年だと思いますが、あちこち沢山書いているので
反響はそれなりに多くあります。
まずは苦笑い編
「あなたの説ってすごいですよね」
これを笑い話にしてしまいますと消費者様は気分が悪いでしょうが、これは消費者様ではなく誤情報を流布している
印章業界がいけないのです。
印鑑について詳しい事は一般消費者様にはなかなかわからないと思いますので、本当の事を書いても一つの説
と考えられてしまう事はいたしかたありません。
また、最近こんなサイトからお問い合わせやご注文のお客様が来てくれます。
実印作成におすすめの通販サイトナビ
(↑このサイトに関しての言及は避けておきます)
次に「歪曲解釈」編
ネットで印章業界の正しい説明をしたところ、多くの応援とともに、誤解、歪曲解釈、中傷が生じております。
歪曲解釈、中傷は私のお店の名前は書かれていませんが、そこから経由してお客様がサイトに来てくれますので
おのずと知る事が出来ます。
特定のサイトをピックアップしての批判は慎むべきでしょうが、先にこちらの事を書かれた様ですので、
後からこちらが書く事は問題ないでしょう。
と、前置きが長くなりましが歪曲解釈編
「印相体は有識者が『よくない』と言ってるからダメとしている印章店がありますが、個人の考えの問題でそんな事はない」
ダメとしている印章店とはまさに私のお店の事ですね(笑)
印相体は有識者が良くないと言ってるからダメなのではなく、ダメな書体を有識者が言葉にしているのです。
「有識者」と「ダメ」の順番を変えるだけですが、意味がまるで変ってしまいますね。
次に「都合のいい解釈編」
「印相体はダメという人が居るらしいけど、買うお客様が望めば印相体でいいんじゃない?」
これは深く考えなければ「その通り」と思われがちな事ですが、「お客様を裸の王様にしていいのですか?」と言えば
おわかりいただけるのではないでしょうか。
今一つわからないという方はこちら→ 開運印鑑Q&A のQ29をお読み下さい。
上のリンク先のQ29に重ねて説明しますが、テレビで「開運なんでも鑑定団」という視聴者の骨董品の価値を
鑑定する番組がありますよね。
例えば、本人価格は数十万円のものが、鑑定結果は数千円とか・・・
印相体で彫られたハンコがまさにこれです。
ここで仮に「骨董品は流通価値があるのに対し、個人名が書かれた印章は流通価値が無いから番組とは比較出来ない」
などと反論する方が居るとしたら、言葉はキツいですが、その方はハンコの本当の価値を理解するのは難しいかと思います。
(キツい表現で申し訳ございません)
最後に「中傷編」
どのように中傷されているかは、「批判の応酬」という負の連鎖を避ける為、今は言及を避けます。
歪曲解釈と同様、私の店名は伏せつつ、私のお店を特定する表現で中傷されています。
なぜ店名が伏せられているのに、私がわかるのでしょうか?
それは、中傷サイトからお客様が流れて来るからです。
「そんな強がり言っちゃって。 実は四六時中ネットを監視しているんでしょ?」
中傷者からはこう思われてしまうかも知れませんが、ネット専業店ではありませんので、サイト監視は事実上無理です。
まあ、何を書こうが中傷者さんには通じないと思いますが、実は中傷者さんにはわからない盲点があるのです。
中傷者さんもこのブログを欠かさずチェックしていると思いますので、詳しくは後日きちんと文章を考え改めるとして、
今回は少しだけ。
「私のサイトを紹介しちゃっていいんですか?」
「見せない方がいいんじゃないですか?」
私が書いている事が真実か嘘かは、印章のプロでしたらわかるはずです。
私が書いている事、読まれちゃっていいんですか?
ブログ編集者
戦前の御朱印
戦前の御朱印帳からです。


輪郭状に龍紋(龍刻)が彫られた素晴らしい御朱印です。

親子二重枠に細篆書体で、こちらも素晴らしい印鑑です。
印文から察しますと京都の佛光寺さんの御朱印の様ですが、現在の御朱印とは随分違うようです。
ブログ編集者


輪郭状に龍紋(龍刻)が彫られた素晴らしい御朱印です。

親子二重枠に細篆書体で、こちらも素晴らしい印鑑です。
印文から察しますと京都の佛光寺さんの御朱印の様ですが、現在の御朱印とは随分違うようです。
ブログ編集者
大正時代の印章カタログより
大正時代の印章カタログより

何度も書いたセリフですが、この時代に印相体は存在しませんでしたので、当然印影見本に印相体はありません。
「印相体は八方崩しから進化したもので・・・」?
勝手に進化させちゃマズいでしょ(笑)
篆書体の八方崩しと印相体は別物です。
今の常用漢字も、元はといえば利便性を考え篆書体から隷書体へ進化させ、その後草書体、行書体などは
全て「書の進化」と言っていいと思いますが、印相体だけは異質な経緯で昭和になって創り出された書体です。
(詳しくはこちら→ 印相体について をご覧下さい)
写真をアップする今気付いたのですが、向かって左ページのタイトル「木印代用人造水牛印」とありますね。
ラクト印材の様なものだと思いますが、見てみたいです。
大正時代のカタログであるヒントとなる回転印です。
これも何度目かのセリフですが、大正30年代まで使える仕様になっているゴム印です。
見えている部分だけで30年代ですので、もしかすると40年代までの仕様かも知れませんが、ゴム印は消耗品ですので
程々の使用で交換が必要になりますね。
今回はこのカタログのなかから二つピックアップ。

印影が半分しか写っていない親子二重枠の角印もいいものですが、今回は「ハ」の丸型印です。
枠と文字との間に十分な空間をとった字配りです。
日本銀行「総裁之印」も十分な空間をとった素晴らしい字配りですが、それよりも空間スペースを多くとっています。
一方こちらは

上は4文字なのに対し、こちらは6文字ですので条件が違いますが、印面いっぱいに広がる篆書体です。
端部の文字が枠に接する箇所で文字が欠けて見えるのはおわかりでしょうか。
わかりやすいのは右上の「宮」という字でしょうか。
「宮」の右側が枠によって文字が欠けて見えますよね。
「印面いっぱいに文字を広げて下さい」とご希望するお客様は結構多いですが、この説明をすると
たいてい「文字が欠けるのは困る」とおっしゃります。
しかし、印章の慣習としては何も問題ない事を上の見本をもってご理解下さい。
また、文字を無理に変形させると印相体の様になってしまう場合もありますので、あくまでも文字の基本を守りつつ
印面いっぱいに広げる事が必要です。 (印相体でも欠けて字配りする場合は多いですが)
「欠ける」と聞きますと「文字の一部を失う」という感じで嫌がる方や、枠と文字との空間が広いと「何か足りない」
という心証を持たれる方も居らっしゃるかも知れませんが、印鑑は印面全体のバランスや文字の美で価値が決まりますので
その辺はあまり気になさらず、お任せいただければと思います。
------------------------------------------------------------
日曜日に春日部まで行く用事がありましたので、江戸川付近のお気に入りの場所に行ってみました。

このブログでは何度も登場している三井親孝(三井親和の子)が揮毫(きごう)した石碑です。

親孝と見えますが、下の落款は劣化しており判読が困難です。


これも劣化していますが「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿でしょうか。
詳しい謂れはわかりませんので、その辺りは踏み込めずすみません。

石碑の建立は寛政7年の様で、200年以上前になりますから劣化は仕方ありませんね。

そしてこちらは、石碑から歩いてすぐの香取神社です。
これも何度目かのブログ紹介になる副島種臣が揮毫した扁額です。
副島種臣らしい個性的な篆書体が特徴で、何度も見ても飽きません。
「平均的な大きさ」というのは有るのか無いのかはわかりませんが、神社の間口に対し
かなり大きな扁額です。

落款の判読、下はかろうじて読めますが、上はここからでは厳しいですね。

神社仏閣で唐草は珍しくありませんが、何度見てもいいものですね。
ブログ編集者

何度も書いたセリフですが、この時代に印相体は存在しませんでしたので、当然印影見本に印相体はありません。
「印相体は八方崩しから進化したもので・・・」?
勝手に進化させちゃマズいでしょ(笑)
篆書体の八方崩しと印相体は別物です。
今の常用漢字も、元はといえば利便性を考え篆書体から隷書体へ進化させ、その後草書体、行書体などは
全て「書の進化」と言っていいと思いますが、印相体だけは異質な経緯で昭和になって創り出された書体です。
(詳しくはこちら→ 印相体について をご覧下さい)
写真をアップする今気付いたのですが、向かって左ページのタイトル「木印代用人造水牛印」とありますね。
ラクト印材の様なものだと思いますが、見てみたいです。

大正時代のカタログであるヒントとなる回転印です。
これも何度目かのセリフですが、大正30年代まで使える仕様になっているゴム印です。
見えている部分だけで30年代ですので、もしかすると40年代までの仕様かも知れませんが、ゴム印は消耗品ですので
程々の使用で交換が必要になりますね。
今回はこのカタログのなかから二つピックアップ。

印影が半分しか写っていない親子二重枠の角印もいいものですが、今回は「ハ」の丸型印です。
枠と文字との間に十分な空間をとった字配りです。
日本銀行「総裁之印」も十分な空間をとった素晴らしい字配りですが、それよりも空間スペースを多くとっています。
一方こちらは

上は4文字なのに対し、こちらは6文字ですので条件が違いますが、印面いっぱいに広がる篆書体です。
端部の文字が枠に接する箇所で文字が欠けて見えるのはおわかりでしょうか。
わかりやすいのは右上の「宮」という字でしょうか。
「宮」の右側が枠によって文字が欠けて見えますよね。
「印面いっぱいに文字を広げて下さい」とご希望するお客様は結構多いですが、この説明をすると
たいてい「文字が欠けるのは困る」とおっしゃります。
しかし、印章の慣習としては何も問題ない事を上の見本をもってご理解下さい。
また、文字を無理に変形させると印相体の様になってしまう場合もありますので、あくまでも文字の基本を守りつつ
印面いっぱいに広げる事が必要です。 (印相体でも欠けて字配りする場合は多いですが)
「欠ける」と聞きますと「文字の一部を失う」という感じで嫌がる方や、枠と文字との空間が広いと「何か足りない」
という心証を持たれる方も居らっしゃるかも知れませんが、印鑑は印面全体のバランスや文字の美で価値が決まりますので
その辺はあまり気になさらず、お任せいただければと思います。
------------------------------------------------------------
日曜日に春日部まで行く用事がありましたので、江戸川付近のお気に入りの場所に行ってみました。

このブログでは何度も登場している三井親孝(三井親和の子)が揮毫(きごう)した石碑です。

親孝と見えますが、下の落款は劣化しており判読が困難です。


これも劣化していますが「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿でしょうか。
詳しい謂れはわかりませんので、その辺りは踏み込めずすみません。

石碑の建立は寛政7年の様で、200年以上前になりますから劣化は仕方ありませんね。

そしてこちらは、石碑から歩いてすぐの香取神社です。
これも何度目かのブログ紹介になる副島種臣が揮毫した扁額です。
副島種臣らしい個性的な篆書体が特徴で、何度も見ても飽きません。
「平均的な大きさ」というのは有るのか無いのかはわかりませんが、神社の間口に対し
かなり大きな扁額です。

落款の判読、下はかろうじて読めますが、上はここからでは厳しいですね。

神社仏閣で唐草は珍しくありませんが、何度見てもいいものですね。
ブログ編集者
江戸印譜
江戸時代末期から明治初期の印譜からです。
江戸時代末期である事は、印文や作風で間違いないと思うのですが、明治時代初期が含まれているのかは推測です。
(急に朱で捺された印影が増えた部分がある事からの推測です)

江戸情緒あふれる黒肉で捺された印影です。

江戸時代ならではの、屈折の多い崩しが特徴の印篆です。
------------------------------------------------------------
ちょっと前の散策になりますが、台東区の浅草寺に行った時にスマートフォンで撮影したものです。

宝篋印塔 三井親和 揮毫 (楷書体)


山東京伝机塚の碑 書案之紀

波磔(はたく)が美しい隷書体の石碑(江戸時代)
全て何度も行った石碑ですが、いいものは何度見ても感動を味わえます。
スマートフォンで撮影したものは縦長で見づらいですね。
失礼しました。
ブログ編集者
江戸時代末期である事は、印文や作風で間違いないと思うのですが、明治時代初期が含まれているのかは推測です。
(急に朱で捺された印影が増えた部分がある事からの推測です)

江戸情緒あふれる黒肉で捺された印影です。

江戸時代ならではの、屈折の多い崩しが特徴の印篆です。
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ちょっと前の散策になりますが、台東区の浅草寺に行った時にスマートフォンで撮影したものです。

宝篋印塔 三井親和 揮毫 (楷書体)


山東京伝机塚の碑 書案之紀

波磔(はたく)が美しい隷書体の石碑(江戸時代)
全て何度も行った石碑ですが、いいものは何度見ても感動を味わえます。
スマートフォンで撮影したものは縦長で見づらいですね。
失礼しました。
ブログ編集者
江戸印譜2
前回と同じ江戸時代の一般に使われていた印鑑の印譜です。

多少の朱印は混ざりますが、大半は黒肉で捺されています。

これは印面一杯に文字を広げた、江戸時代に多かった作風です。
細枠に細篆書体というのもいいですね。
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こちらは、今年の始めに千葉県松戸市馬橋の水戸街道 (旧道) を散歩していた時に偶然見つけた石碑です。

残念ながら2本中1本が折れてしまっておしますが、やはり興味が湧いてきますね。

200年以上の時を経て、今に至るこの石碑。

落款は劣化して判読が難しいですが、他に花押が彫られています。

水戸街道の旧街道に建っていたという事で、私はてっきり水戸街道の道しるべの為の石碑かと思ってネットで検索してみたら
この先にお寺があるそうで、そこの参道の始まりの石碑だそうです。
ネット情報を鵜呑みにするのは危険ですが、地図で調べると、先には紛れもなくお寺がありました。
(お寺があるとは知らなかったので、寄る事は出来ませんでした)
ブログ編集者

多少の朱印は混ざりますが、大半は黒肉で捺されています。

これは印面一杯に文字を広げた、江戸時代に多かった作風です。
細枠に細篆書体というのもいいですね。
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こちらは、今年の始めに千葉県松戸市馬橋の水戸街道 (旧道) を散歩していた時に偶然見つけた石碑です。

残念ながら2本中1本が折れてしまっておしますが、やはり興味が湧いてきますね。

200年以上の時を経て、今に至るこの石碑。

落款は劣化して判読が難しいですが、他に花押が彫られています。

水戸街道の旧街道に建っていたという事で、私はてっきり水戸街道の道しるべの為の石碑かと思ってネットで検索してみたら
この先にお寺があるそうで、そこの参道の始まりの石碑だそうです。
ネット情報を鵜呑みにするのは危険ですが、地図で調べると、先には紛れもなくお寺がありました。
(お寺があるとは知らなかったので、寄る事は出来ませんでした)
ブログ編集者
唐草文様の開運印鑑
3つ前の記事で書いた大正時代の印章カタログから。

この写真は再利用です。
印影見本はカタログ見開きの最初のページのみですが、今の印章カタログとは全く違う印影ばかりで大変参考になります
その中から今回はこちら。

数字が書かれているのは、注文用の番号ですね。
親子二重枠の角印に、正統派印篆、そして古来から縁起文様として使われてきた唐草文様をあしらった縁起のいい
印鑑です。
中国から日本に伝わった唐草文様は、エジプトやメソポタミアに起源をもつとされていますが、それとは別に
中国では殷の時代から蟠螭文(ばんちもん)といって、龍をあたかも蔓草(つるくさ)の様に連想させる文様も存在したとの事です。
龍は言わずと知れた神獣として信仰を持つ想像上の動物です。 (「日本の伝統文様」より要約抜粋)
唐草文様一つとっても、深い意味がある縁起文様なので、これが印相体で彫られていなければ、縁起のいい開運印鑑
と言ってもいいのですね。
ブログ編集者

この写真は再利用です。
印影見本はカタログ見開きの最初のページのみですが、今の印章カタログとは全く違う印影ばかりで大変参考になります
その中から今回はこちら。

数字が書かれているのは、注文用の番号ですね。
親子二重枠の角印に、正統派印篆、そして古来から縁起文様として使われてきた唐草文様をあしらった縁起のいい
印鑑です。
中国から日本に伝わった唐草文様は、エジプトやメソポタミアに起源をもつとされていますが、それとは別に
中国では殷の時代から蟠螭文(ばんちもん)といって、龍をあたかも蔓草(つるくさ)の様に連想させる文様も存在したとの事です。
龍は言わずと知れた神獣として信仰を持つ想像上の動物です。 (「日本の伝統文様」より要約抜粋)
唐草文様一つとっても、深い意味がある縁起文様なので、これが印相体で彫られていなければ、縁起のいい開運印鑑
と言ってもいいのですね。
ブログ編集者
手彫り印鑑の彫刻工程
久しぶりの手彫り印鑑の彫刻工程写真です。
手彫り印鑑を買う上で写真は重要なポイントになりますが、詳しくはこちら→ 手彫り印鑑の見分け方 をご覧下さい。
まずは、掲載をご容赦いただいたお客様へ、深く感謝申し上げます。

まずは印面をトクサと呼ばれるヤスリで滑らかにし、朱墨を塗って字割り線を引きます。
そして字割り線を頼りに、印面に逆さ文字を手書きしていきます。

手書き文字を印面に転写する方法も手彫りの定義として認められており、当店でも状況に応じて手書き文字を転写
する場合があります。
機械彫りと手彫りの大きな違いの一つに、この字入れ作業があります。

字入れが終了しましたら、いよいよ凹凸を出す荒彫りです。
手仕上げ、及び機械彫りと手彫りのもう一つの大きな違いは、荒彫りです。

「荒彫り」という呼び名ですが、丁寧な作業が求められます。
細かい部分は自然と土手状になりますが、広い部分はなるべく土手を付けない様に彫るのがいいハンコにする秘訣です。

徐々に荒彫りが進んできます。
お客様にとっては興味深い工程ではないでしょうか。

土手はほとんど付いていない事が、おわかりでしょうか。
土手が多いと、仕上げ作業に支障が出る事と、印面が摩耗するとすぐ印影が変わってしまうという難点があります。
細かい部分には必然的に土手が付くものの、広い部分では土手は極力少なくする事が、いい手彫り印鑑にする必須条件です。
詳しくはこちら→手彫り印鑑の土手についてをご覧になって下さい。
尚、印章彫刻の呼び名は公式に3通りの呼び名があります。
それにつきましてはこちら→印章彫刻作業工程の図表と定義をご覧下さい。
話が逸れましたが、印面に墨を塗りなおして仕上げ作業です。

「土手は全てがいけない」 という意味ではありませんので、誤解の無い様お願いします。
(細密な部分には必然的に土手が出来ます)
「なるべく土手を付けない方がいいなら、耐久性は大丈夫ですか?」 とご心配の方。
耐久性は印材そのものが持っている自然の耐久性が力を発揮します。
柘より水牛、水牛より象牙です。
どれも耐久性、彫りやすさ、捺印性能が最適な為、江戸時代から使われてきた伝統的な印材です。
ブログ編集者
手彫り印鑑を買う上で写真は重要なポイントになりますが、詳しくはこちら→ 手彫り印鑑の見分け方 をご覧下さい。
まずは、掲載をご容赦いただいたお客様へ、深く感謝申し上げます。

まずは印面をトクサと呼ばれるヤスリで滑らかにし、朱墨を塗って字割り線を引きます。
そして字割り線を頼りに、印面に逆さ文字を手書きしていきます。

手書き文字を印面に転写する方法も手彫りの定義として認められており、当店でも状況に応じて手書き文字を転写
する場合があります。

機械彫りと手彫りの大きな違いの一つに、この字入れ作業があります。

字入れが終了しましたら、いよいよ凹凸を出す荒彫りです。
手仕上げ、及び機械彫りと手彫りのもう一つの大きな違いは、荒彫りです。

「荒彫り」という呼び名ですが、丁寧な作業が求められます。
細かい部分は自然と土手状になりますが、広い部分はなるべく土手を付けない様に彫るのがいいハンコにする秘訣です。

徐々に荒彫りが進んできます。
お客様にとっては興味深い工程ではないでしょうか。

土手はほとんど付いていない事が、おわかりでしょうか。
土手が多いと、仕上げ作業に支障が出る事と、印面が摩耗するとすぐ印影が変わってしまうという難点があります。
細かい部分には必然的に土手が付くものの、広い部分では土手は極力少なくする事が、いい手彫り印鑑にする必須条件です。
詳しくはこちら→手彫り印鑑の土手についてをご覧になって下さい。
尚、印章彫刻の呼び名は公式に3通りの呼び名があります。
それにつきましてはこちら→印章彫刻作業工程の図表と定義をご覧下さい。
話が逸れましたが、印面に墨を塗りなおして仕上げ作業です。

「土手は全てがいけない」 という意味ではありませんので、誤解の無い様お願いします。
(細密な部分には必然的に土手が出来ます)
「なるべく土手を付けない方がいいなら、耐久性は大丈夫ですか?」 とご心配の方。
耐久性は印材そのものが持っている自然の耐久性が力を発揮します。
柘より水牛、水牛より象牙です。
どれも耐久性、彫りやすさ、捺印性能が最適な為、江戸時代から使われてきた伝統的な印材です。
手彫り印鑑の注文をご検討のお客様へ (免責事項)
当店では手彫り印鑑をご注文いただきました全てのお客様へ、彫刻途中の写真を差し上げております。
ホームページ上で紹介している写真は、写りが良いものを選んだ上でお客様のご承諾をいただき掲載
しているものです。
写真は素人撮影ですので、写り具合の悪い場合やデータの損失、またはうっかり撮り忘れも有り得ます。
(写真を差し上げるサービスを行ってから撮り忘れは一度もありません)
これらの理由により写真を差し上げられない場合でも、間違い無く手彫りを行っております。
その為、写りの悪い場合や、写真そのものが差し上げられない場合でも、返金等は出来ません事を
ご理解下さいませ。
(写真の写りの悪さ、及び差し上げられない場合差し上げられない事は免責とさせていただいております)
尚、当店の彫刻方法は「手彫り」と「手仕上げ」の彫刻方法でお承りさせていただいておりますが
写真サービスは手彫り印鑑のみとなります。
ブログ編集者