手彫りゴム印
ブログの更新自体がご無沙汰気味ですが、手彫りゴム印の紹介は本当にご無沙汰になっておしました。
あまりに久しぶりですので、どれをブログで紹介したら、ほぼわからなくなってしまいましたので、
印譜最初のページから紹介させていただきます。

大正時代の手彫りゴム印 印譜です。

データーゴム印ですが、13.10.31というのは、もちろん大正13年の事です。

仏壇卸商「ヤマウ」伊藤商店さんでしょうか。



印章店が納品した手彫りゴム印印譜の同じページに押されたものですが、近江彦根(滋賀県)と小樽市(北海道)の
ゴム印が混ざっていますね。
仲間仕事の請負という事も考えられなくもありませんが、現在の様に郵便状況が良くはなかったでしょうから、
仲間仕事なのかどうかはわかりません。
電話が呼び出しとなっており、その桁数の少なさと、その左側の「電畧(略)」というのが時代を感じさせてくれます。
ブログ編集者
あまりに久しぶりですので、どれをブログで紹介したら、ほぼわからなくなってしまいましたので、
印譜最初のページから紹介させていただきます。

大正時代の手彫りゴム印 印譜です。

データーゴム印ですが、13.10.31というのは、もちろん大正13年の事です。

仏壇卸商「ヤマウ」伊藤商店さんでしょうか。



印章店が納品した手彫りゴム印印譜の同じページに押されたものですが、近江彦根(滋賀県)と小樽市(北海道)の
ゴム印が混ざっていますね。
仲間仕事の請負という事も考えられなくもありませんが、現在の様に郵便状況が良くはなかったでしょうから、
仲間仕事なのかどうかはわかりません。
電話が呼び出しとなっており、その桁数の少なさと、その左側の「電畧(略)」というのが時代を感じさせてくれます。
ブログ編集者
手彫り印鑑 學校積金書上帳
明治九年の學校積金書上帳からです。
多分今回で4回目の紹介になると思います。


明治初期ですと、まだまだ黒印が多いようですね。

二つとも部分的に虫喰いがあり少々残念です。
小判型の印影は、江戸時代に多かった唐草模様の名残りに似ていますが、この状態からではよくわかりませんね。

続いて太枠細字の素晴らしい印影です。
太枠細字の場合は、この様な角ばった印篆で枠に文字を付けない作風が一番多く、これぞハンコらしいハンコと
言えるのではないでしょうか。
パソコンでご覧の方は是非、印影(モニター)を離れた位置から見てみて下さい。

右側は虫喰いが生じてしおり残念ですが、中央(左側)は虫喰いもなく左右の空間を十分にとった素晴らしい作風です。
よくお客様から「文字って印面いっぱいに広げて枠に何か所も付けなくちゃいけないんですよね?」という
質問をよくいただきます。
印面いっぱいに広げる作風ももちろんありますが、この様な作風も素晴らしいものとして昔からあり、
「文字を枠に付けなくちゃいけない」などという慣習は全くありません。

これは太枠細字ですが、文字をいっぱいに広げた作風で、文字が枠に何か所も付いております。
実は、この作風はそれ以外にも隠れた特徴がある個性的な作風なのですが、すみません。
これは後々紹介させていただきますので「後での楽しみ」とさせて下さい。
江戸時代から明治時代に流行った作風で、お店で販売する準備が出来てから紹介させていただきます。
勿体ぶってしまいすみません。

左右の空間を十分にとった印篆(中央)と、そして唐草模様の名残りなのか、龍刻の名残りなのか判別は難しいですが、
今はまず無い(しかしこの時代は多かった)作風の印影です。

最後は太枠の八方崩しですね。
よく開運印鑑サイトで、「印相体は別名八方崩しと呼ばれ・・・」など、間違った事が書かれておりますが、
太枠細字ですので、印相体ではありません。
ブログ編集者
---------------------------------------------------
過去の写真ですが、ブログで紹介していなかったものを紹介させていただきます。


薬王山 西光寺
これは東京都江戸川区の明福寺へ三井親和の扁額を見に行った時に、その近所で見つけた扁額です。

これは恐らくこのブログで3回目位の紹介になる、埼玉県春日部市の香取神社にある副島種臣の扁額です。
篆刻美術館に行く時に通るので、この香取神社には何回も立ち寄ってきました。
逆光気味の写真になってしまったので一旦ボツにしましたが、この場で紹介させていただきます。

味わいのある篆書体で、何度見ても飽きない素晴らしい扁額です。

香取神社には、他にも素晴らしい文化財的な古い美術品があります。






この紗綾形の柱は、三井親和の石碑を見に行った際の近くの神社のものです。
紗綾形、青海波、そして唐草模様は私の大好きな吉祥文様です。
吉相ではありませんよ。
吉祥です。

その神社で見つけた扁額ですが、素晴らしい篆書体だと思ったらやはり江戸時代に書かれたものの様です。
(寛政九年と書かれています)
はんこの印善
多分今回で4回目の紹介になると思います。


明治初期ですと、まだまだ黒印が多いようですね。

二つとも部分的に虫喰いがあり少々残念です。
小判型の印影は、江戸時代に多かった唐草模様の名残りに似ていますが、この状態からではよくわかりませんね。

続いて太枠細字の素晴らしい印影です。
太枠細字の場合は、この様な角ばった印篆で枠に文字を付けない作風が一番多く、これぞハンコらしいハンコと
言えるのではないでしょうか。
パソコンでご覧の方は是非、印影(モニター)を離れた位置から見てみて下さい。

右側は虫喰いが生じてしおり残念ですが、中央(左側)は虫喰いもなく左右の空間を十分にとった素晴らしい作風です。
よくお客様から「文字って印面いっぱいに広げて枠に何か所も付けなくちゃいけないんですよね?」という
質問をよくいただきます。
印面いっぱいに広げる作風ももちろんありますが、この様な作風も素晴らしいものとして昔からあり、
「文字を枠に付けなくちゃいけない」などという慣習は全くありません。

これは太枠細字ですが、文字をいっぱいに広げた作風で、文字が枠に何か所も付いております。
実は、この作風はそれ以外にも隠れた特徴がある個性的な作風なのですが、すみません。
これは後々紹介させていただきますので「後での楽しみ」とさせて下さい。
江戸時代から明治時代に流行った作風で、お店で販売する準備が出来てから紹介させていただきます。
勿体ぶってしまいすみません。

左右の空間を十分にとった印篆(中央)と、そして唐草模様の名残りなのか、龍刻の名残りなのか判別は難しいですが、
今はまず無い(しかしこの時代は多かった)作風の印影です。

最後は太枠の八方崩しですね。
よく開運印鑑サイトで、「印相体は別名八方崩しと呼ばれ・・・」など、間違った事が書かれておりますが、
太枠細字ですので、印相体ではありません。
ブログ編集者
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過去の写真ですが、ブログで紹介していなかったものを紹介させていただきます。


薬王山 西光寺
これは東京都江戸川区の明福寺へ三井親和の扁額を見に行った時に、その近所で見つけた扁額です。

これは恐らくこのブログで3回目位の紹介になる、埼玉県春日部市の香取神社にある副島種臣の扁額です。
篆刻美術館に行く時に通るので、この香取神社には何回も立ち寄ってきました。
逆光気味の写真になってしまったので一旦ボツにしましたが、この場で紹介させていただきます。

味わいのある篆書体で、何度見ても飽きない素晴らしい扁額です。

香取神社には、他にも素晴らしい文化財的な古い美術品があります。






この紗綾形の柱は、三井親和の石碑を見に行った際の近くの神社のものです。
紗綾形、青海波、そして唐草模様は私の大好きな吉祥文様です。
吉相ではありませんよ。
吉祥です。

その神社で見つけた扁額ですが、素晴らしい篆書体だと思ったらやはり江戸時代に書かれたものの様です。
(寛政九年と書かれています)
はんこの印善
今体派(今體派) 大篆・柳葉篆・笹文字
篆刻の今体派(きんたいは:今體派)をWikipediaで調べますと「装飾過多で卑俗に陥っていた」と酷い事が
書かれておりますが、それは江戸時代中期の事。
商業的な謳い文句に伴い創作された印相体とは異なり、美的観点から生まれた作風であり、どんな批判があろうと
私は好きな作風です。
こういう考えは、今はごく僅かな少数派であり、今では今体派どころか「笹文字」という作風も知られなくなってしまいました。
今回は大正時代の印章店のカタログからです。

昔の印章店のカタログはいい印鑑を知る上で、いいヒントが沢山書かれている貴重な資料です。
「ヒント」という遠回しな情報ではなく、直接的な資料となります。
大正時代ですので、まだ印相体はありません。

ピックアップした印影以外はボカしを入れてしまい申し訳ございません。
(じっくり紹介したいので、今回は中央の「ソ」のみの紹介とさせていただきます)
篆書体の先端が窄まって(尖って)いますね。
このブログではお馴染の柳葉篆、別名笹文字または大篆風の篆書体です。

赤枠は私が加工したものですが、古い印章カタログを見ているだけで心が和む昨今です。
(本来「印章」と書くべき言葉を、このブログでは度々「印鑑」と書いております)
ブログ編集者
----------------------------------------------
今回も過去に撮った写真です。
埼玉県新座市にある金鳳山 平林寺です。

茅葺屋根が美しい仏殿です。
ここに江戸時代の書家:三井親和(みつい しんな)が揮毫した扁額があります。

右から左へ「無形元寂寥」と書かれております。
三井親和は篆刻家としても有名ですが、それより何と言っても江戸時代に「親和染め」という染め物が流行したぐらい
書家として有名です。
書籍でみますと書家全体からしての取扱いは小さなものですが、江戸時代の篆書体では著名な書家です。
今体派を象徴する笹文字で書かれた篆書体は絶品ですね。





天明元年(1781年)揮毫のようです。
調べると、志賀島で金印が発見される数年前です。


庭が広いお寺や神社は大抵綺麗な庭園があるものですが、平林寺の庭園も素晴らしいものです。
これは樹齢約500年だそうです。 (高野槇)
山水画に描かれる様な荒々しい姿が圧巻です。

今回の写真は何年か前の紅葉の季節でしたので、もみじが綺麗でしたが、新緑の季節も美しいのでしょうね。

将軍家に仕えた人達の墓地もあり、墓石に明治初期の篆書体も見る事ができます。
ブログ編集者
書かれておりますが、それは江戸時代中期の事。
商業的な謳い文句に伴い創作された印相体とは異なり、美的観点から生まれた作風であり、どんな批判があろうと
私は好きな作風です。
こういう考えは、今はごく僅かな少数派であり、今では今体派どころか「笹文字」という作風も知られなくなってしまいました。
今回は大正時代の印章店のカタログからです。

昔の印章店のカタログはいい印鑑を知る上で、いいヒントが沢山書かれている貴重な資料です。
「ヒント」という遠回しな情報ではなく、直接的な資料となります。
大正時代ですので、まだ印相体はありません。

ピックアップした印影以外はボカしを入れてしまい申し訳ございません。
(じっくり紹介したいので、今回は中央の「ソ」のみの紹介とさせていただきます)
篆書体の先端が窄まって(尖って)いますね。
このブログではお馴染の柳葉篆、別名笹文字または大篆風の篆書体です。

赤枠は私が加工したものですが、古い印章カタログを見ているだけで心が和む昨今です。
(本来「印章」と書くべき言葉を、このブログでは度々「印鑑」と書いております)
ブログ編集者
----------------------------------------------
今回も過去に撮った写真です。
埼玉県新座市にある金鳳山 平林寺です。

茅葺屋根が美しい仏殿です。
ここに江戸時代の書家:三井親和(みつい しんな)が揮毫した扁額があります。

右から左へ「無形元寂寥」と書かれております。
三井親和は篆刻家としても有名ですが、それより何と言っても江戸時代に「親和染め」という染め物が流行したぐらい
書家として有名です。
書籍でみますと書家全体からしての取扱いは小さなものですが、江戸時代の篆書体では著名な書家です。
今体派を象徴する笹文字で書かれた篆書体は絶品ですね。





天明元年(1781年)揮毫のようです。
調べると、志賀島で金印が発見される数年前です。


庭が広いお寺や神社は大抵綺麗な庭園があるものですが、平林寺の庭園も素晴らしいものです。
これは樹齢約500年だそうです。 (高野槇)
山水画に描かれる様な荒々しい姿が圧巻です。

今回の写真は何年か前の紅葉の季節でしたので、もみじが綺麗でしたが、新緑の季節も美しいのでしょうね。

将軍家に仕えた人達の墓地もあり、墓石に明治初期の篆書体も見る事ができます。
ブログ編集者