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京都七福神

京都七福神の続きです。

最後の七番だけうっかり残しておりました。

御朱印 手彫り



御朱印 手彫り

布袋尊(和尚) 大福寺

御朱印 手彫り

京都七福神とは違う様ですが、もうひとつ御朱印を

御朱印 手彫り


瑞寶山 城興寺

御朱印 手彫り

御朱印 手彫り

角印に楷書体は似合わない場合がありますが、フォントとは違う手仕事の味が感じられる楷書で、これはまた別ですね。


ブログ編集者

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シルバーウィークの連休はとうに過ぎましたが、連休中に訪れたところを順不同で。

自然

いつもと同じ郊外ですが、いつもと同じ場所でも二つとして同じ景色が無い自然はいいものです。

「二つとして同じものが無い」など、わざとらしく手彫り印鑑と絡めてみました。

椿

椿も種を付け、すっかり秋模様です。

後ろにボヤけてうっすら赤く見えるものは彼岸花です。

栗の木

栗も実を付け中に食べ頃に見えるものがあったので、頑張って昇ってみましたが、子供の頃は何て事なかった木昇りも

大人では易々と昇る事ができません。

栗

目当ての実が採れましたが、実際手にとって見ると意外と小さな実でがっかり。


池

ところ変わって、こちらは私が子供の頃、友達とよく釣りをした池です。

外観はあまり変わっておりませんが、子供の頃は居なかった外来魚だらけなのが残念でなりません。

講安寺


再度場所は変わり、こちらは文京区湯島にある講安寺です。

講安寺

宋朝体の雰囲気がある書体で、これはなかなか見ない扁額ですね。

講安寺

講安寺

専修山↑


扁額

こちらは同じく湯島の麟祥院です。

扁額

海東法窟




はんこの印善

江戸時代の庶民の印影

このブログを始めてかれこれ5年近くになります。

当初はブログにありがちな「勝手気ままに」という謳い文句で自由に書いておりましたが、お陰さまでご覧いただける方が

少しずつ増えてきて、リンクなどを頼りに励ましやアドバイスなどのご連絡をいただける様になりました。

そうしますと、読んでいただいている事を意識し、いつの間にか「勝手気まま」という訳にはいかなくなってきてしまい、

いろいろなご意見を基に前半は印章資料、たまに後半は私生活の事を書くというパターンが定着してしまいました。

あっ、励ましやご意見いただける事を迷惑がっている訳ではもちろんありませんよ。

「読んでいただいている」という事を意識した構成になってしまったなと感じる様になりましたので、ここで一旦軌道修正

させていただきます。

簡単に言いますと、堅苦しくない文章にしようかと思います。

ただ、軌道修正してもまた元に戻ってしまう可能性も大ですけどね。

江戸時代の手彫り印鑑の取材

昨日の事ですが、外務省からの委託で取材の方が居らっしゃいました。

取材の目的(理由)は「海外へ日本文化を発信する」というテーマで、今回は江戸時代の庶民が使っていた印鑑の紹介

との事です。

実は、午前中は酔っ払いに故意に店の外壁を汚され、警察に来てもらったりして全く仕事になりませんでした。

故意に汚されるとさすがの私も腹が立ちますよ。

故意と過失は違いますからね。  

??このフレーズ、どこかで聞いた事あります?

聞いた事無ければ、「故意と過失は違います」 に 「印鑑」 を加え検索してみて下さい。

話は逸れてしまいましたが、「江戸時代の庶民が使っていた印鑑」って、ドンピシャリじゃないですか。

ここであえて、書籍資料から呉昌碩(ごしょうせき)や徐三庚(じょさんこう)の印影を出して 「こういうのじゃなくていいんですか?」

と尋ねましたが、言うや否や 「いえいえ、庶民の印影を求めていたんです」と、嬉しい言葉。

博物館など探し回ったらしいですが、ある事はあるものの、古文書の一部に押されているのみで、印影にピックアップした

資料はなかなか見つからないとの事です。

ちなみに明治時代もありますけど・・・と奥から印譜を取り出そうとしましたが、明治じゃダメであくまでも江戸時代のものが

必要らしいです。

江戸時代の手彫り印鑑の取材

この写真の方は映像会社の方で、外務省の職員さんではありません。

実は、このブログには以前、予告編としてチラッと載せただけの「とっておき資料」を取材されていきました。

「へ~実物があるんですね~」「知ってはいましたが、もう存在しないと思っていました」と最高に嬉しい言葉をいただきました。

何の事だか言わず意味深な表現で申し訳ございません。

いずれ紹介させていただきます。


せっかくですので、つい最近紹介したばかりですが、御条目五人組御仕置帳(五人組帳)の続きを。

御条目五人組御仕置帳

寛政9年(1797年)、まさに江戸時代の庶民の印影帳です。

御条目五人組御仕置帳


御条目五人組御仕置帳

日本史で必ず習う五人組です。

御条目五人組御仕置帳

向かって右からの紹介ですが、いきなり素晴らしい印影ですね。

薄いのが残念でなりませんが、きれいな唐草模様が丁寧に彫られているのははっきりと見る事ができます。

現在の唐草模様も似た感じで、「どこが違うの?」と言われても困るのですが、見る感情として、江戸時代を意識した

現代の唐草模様ではなく、江戸時代の本物の唐草模様だと思うだけで私は感動してしまいます。

興味無い人から見れば変な人でしょうけど。

御条目五人組御仕置帳

印面一杯に広げた作風と、それとは対照的に左右に十分空間をとった作風、どちらも印鑑として問題ありません。

御条目五人組御仕置帳

中央と右は、これも江戸時代には多かった「唐草の名残り」です。

左右に彫られているものがそれです。

御条目五人組御仕置帳

この時代は印の持ち主と印文が一致しないものも、そして間違った篆書体も多く、また印判師ではなく庶民本人が彫ったものも

多かったと文献には書かれております。

印鑑帳(江戸時代の印鑑登録)


前半で勿体ぶってしまった資料の一部を紹介させていただきます。

江戸時代の印鑑帳です。

「単なる印鑑の記録簿でしょ?」 と思われるかも知れませんが、これは庶民の実印が登録されている当時の公文書で、

現在の印鑑登録制度の原点になったものです。

外務省の取材の方が感激してくれた姿に、私も感激してしまいました。

私が彫っている姿は取材されませんでしたので、お店の宣伝にはなりませんが、それでも喜んでもらえると嬉しいです。

「復興大臣之印」 を彫った時はあっさり(私の姿が)ボツになったので、今回は是非載せていただきたいものです。

(年末位に外務省のホームページで紹介されるとの事でした)

印鑑帳

これは印鑑帳の一部で天保5年、1834年の印鑑記録です。

Wikipediaで天保5年を調べると、三菱の創始者である岩崎弥太郎や福沢諭吉の生まれた年と載っていました。

「幕末動乱前の静けさ」とでも言うべき時代でしょうか。

印鑑帳(江戸時代の印鑑登録)


印鑑帳(江戸時代の印鑑登録)


ブログ編集者

江戸時代の庶民の印影2

前回に引き続き江戸時代の庶民の印影です。

江戸時代が続いていますので「2」としましたが、この印譜はブログに何回も登場しているものです。

江戸時代の手彫り印鑑

この印譜は江戸時代末期から明治初期にかけてのものですが、前記事で紹介した外務省の取材では、明治が混ざるという

理由でボツになりました。

このページは右端の御朱印を除いて全て黒印ですので江戸時代の分と思われますが、印譜に江戸と明治ではっきりとした

線引きがされていないので、念には念をとの理由でです。

江戸時代の手彫り印鑑

これぞ正しく「江戸時代」という雰囲気なんですけどね。

江戸時代の手彫り印鑑

現在の岡山県辺りの商人が使っていた判でしょう。

「備中 東大島」と検索すれば少ないながらも情報が出てきますね。

確かな情報か否か確認できませんので、詳細は控えますが、情報を見分ける「眼」を持てば、インターネットは実に便利な

道具ですね。

ブログ編集者

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前の記事で「堅苦しくない文章にする」と軌道修正宣言をしましたが、かといってラフな言葉では文が進まず

どうしたらいい事やら・・・

ここは当初の通り、「勝手気まま」という方針で続けさせていただきます。

「勝手きまま」と言ってしまえば、堅苦しく書いても急にラフな文章になっても言い訳ができますからね。

自然の風景

1週間遅れの写真ですが、どんなに忙しくても週に一度は休みをとります。

出来る限り郊外へ行く様にしております。

田圃

癒される田園の長閑(のどか)な風景がTPPでどうなってしまうのでしょうか。

店を営む者としての立場で考えれば「経済は発展する」に限りますが、この様な長閑な田園風景を犠牲にしてしまうなら

「衣食住」さえ不自由しなければいいと私個人としては考えております。

「TPPで日本の農業が打撃を受ける事がほぼ確実」という報道に対し、複数の評論家さんは「農業も経済と競争原理は一緒」

とおっしゃっておりましたが、昔から競争はしていたからこそ、生産性やブランド力がアップした事は紛れもない事実です。

その反面、この様な長閑な光景に都会の競争原理を持ち込んでいいのでしょうか。

農地面積は毎年減少の一途、そして農業従事者の平均年齢は66歳との事です。

目まぐるしい都会の時間を、こののんびりとした田舎には持ち込みたくはないですね。

(とはいえ、TPPについて私の考えは「出遅れ」はいけないですが、トータルでは可の無く不可もなくという意見です)


アケビ

「田舎の長閑な時間」に私も参加しております。

これは私が育てたアケビです。

「育てた」といっても放ったらかしていたら実がなったというだけですが。

アケビ

食べ頃と思いましたが、虫が先取りしていましたので、ここは先客に譲る事にしました。

焚き火

森を管理する上で木の剪定は欠かせません。

力仕事のご褒美として焚火で恒例の焼き芋です。

夕陽

気持ちが癒される郊外も、翌日の仕事を考えると残念ですが夕方には撤収です。

私は東京暮らしですので、たまに行く郊外が楽しみで、何もしないでボケっとしていても楽しめます。

と、書いてしまうと東京が何か悪い場所でもあるかの如き私が思っていると誤解されてしまうかも知れませんが、

東京には東京の良さがあります。

夜景 スカイツリー

徒歩圏にいくつものコンビニがあり、深夜でも食に困らない事。

食生活に限らず生活全般が便利な事。

夜景

木々の緑、山の稜線、古民家が立ち並ぶ街並みなど、田舎の素晴らしいところを挙げたらきりがありませんが

東京は東京で素晴らしいものが沢山あります。

運動不足気味だったので、自転車で一走りしたらきれいな光景が見られました(対岸は千葉県ですが)

日本の風景って素晴らしいですね。

柳葉篆 (明治時代の印譜)+蔵書印まつり

今回は明治中期の印譜からです。

明治時代の手彫り印鑑

この位置からでも素晴らしさが存分に伝わってくるかと思います。

太枠の大きな角印が目立ちますが、今回はこちら。

柳葉篆 (明治時代の手彫り印鑑)

下段、右から二番目の印影です。

印篆の柳葉篆です。

「篆」が続き、「頭痛が痛い」みたいな表現になってしまいましたが、柳葉篆は篆書体を「柳の葉状」にしたものを指し、

個別の「柳葉篆」という種類がある訳ではありませんので、問題ありません。

仮に「印篆の楷書」とかでしたら間違った表現になりますが。

柳葉篆は普通、大篆の様な柔らかい篆書体に用いられるのですが、明治時代の柳葉篆は印篆で用いられる事も

意外とありました。

既にこのブログで紹介済ですが、柳葉篆の九畳篆というのもあります。



明治時代の手彫り印鑑

変わって、こちらは明治後期の印譜から。

明治時代の手彫り印鑑

どっしりとした太枠に、十分空間をとった細篆書体。

今はほとんど彫られていない作風です。

もちろんリクエストいただければ私のお店では彫ります。

作風は印章の慣習に基づいたものを前提にお客様の意向が最優先ですが、大きく二つに分けますと、印影を

誰もが容易に読める作風と、逆に容易には読み辛い作風に分けられます。

「会社内で使うハンコだから読めた方がいい」とか、

「ハンコは指紋と一緒で二つとして同じ物が無い方がいいので、読めない方がいい」 とか、 
(可読性と唯一無二は直接関係ありませんが)

「簡単に読めてしまわないハンコが好きです」とか、お客様側の考えは自由で構わないのです。

ただ、前述した「印章の慣習に基づいたもの」である事は欠かしてはいけない事です。

このブログをお読みいただいている方は、何を指しているかは十分おわかりいただいているかと思います。

明治時代の手彫り印鑑

続いてこちらは、めっきり少なくなった個人の角型認印ですね。

書体は隷書体です。

個人 角印 認印 柘

巷では少ないですが、私のお店ではごく普通に注文をお承りさせていただいております。

今回は二つ宣伝してしまいましたが、ついでですのでもう一つ宣伝を。

第21回 蔵書印まつり

東京印章協同組合主催、第21回蔵書印まつりが、10月31日(土)、11月1日(日)の二日間行われます。

場所は東京都千代田区神田神保町の印章会館です。


ブログ編集者


プロフィール

Author:三代目印章店主
古い手彫り印鑑の印影資料を中心に印相体撲滅に向けてマイペースで記事を書きます。

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