明治初期の太枠細篆書体
ここのところ慌ただしく、更新が疎かになっておりました。
・・・というセリフは何度書いてしまった事でしょうか。
話は繋がりませんが、今回は江戸後期から明治初期に掛けての実務印・印譜からです。

私は「江戸後期~明治初期の庶民が使っていた印影」と聞くだけで気分が高まります。
それが書類などに押されていて不鮮明なものならガッカリですが、これは当時の印判師が残した記録ですので、
どの印影も鮮明に残されております。

どっしりとした太枠に絶妙な墨溜まり、そして古き良き時代を象徴する「中」(右)の折り畳み。
今この作風を彫るお店は当店以外はほとんど無いでしょうが・・・などとちゃっかり自分のお店を宣伝してしまいますが
それにしても素晴らしい作風です。
ブログ編集者
------------------------------------------------------------
先週土曜日の事ですが、仕事を中座して気分転換に上野の不忍池(しのばずのいけ)を散歩してきました。

この時期の不忍池は蓮で有名ですが、近くで見ると池全体が蓮のジャングルになっています。
都会の貴重な緑ですが、単なる緑ではなく、青粉の発生を防ぎ水の浄化に役立っているのではないでしょうか。
仏画そのものの様な綺麗な花も咲いています。

不忍池といえば弁天堂、弁天堂と言えば私にとってこの石碑です。
平林惇徳による大篆風の石碑です(1760年)
大篆風といえばこのブログではすっかりお馴染みの柳葉篆・笹文字で、心越から三井親和に続く今體派(今体派)の作風です。

実は、何年か前に私が他のサイトで紹介したもので、今回は二度目の紹介です。

石碑に関しては、印章店としての基本的な知識しかない私ですが、江戸時代の石碑には篆書体そのものが少なく、
しかもその大半は小篆風であり、大篆風の石碑は数が少ないと思います。
そんな貴重さもあって、これは大好きな石碑の一つです。

弁天堂入口に二対あるのですが、その一つは出店によって常時見えなくなってしまっているのが残念です。

同じ弁天堂で、これも大好きな石碑の一つです。

先程とかわって、こちらは絶妙な小篆風です。


波磔(はたく)が美しい明治時代の隷書体です。

これは半分以上が破損しておりますが、こちらも素晴らしい篆書体です。

建立が見えなかったのか、写真撮るのを忘れたのかははっきり覚えておりませんが、周りの石碑の現況と比較しますと
江戸時代のものではないでしょうか。

これは青銅製の琵琶。
ご覧の通り明治19年。


大篆に始まり、小篆、そして最後は素晴らしい印篆。
ひょっとして不忍池の弁天堂はハンコ屋の為にあるのでは?・・・というのは冗談ですが。
途中、出店を批判するかの様な言葉を書いてしまいました。
でも(弁天堂の別の出店で)豚玉焼きというのを食べてみたら凄く美味しかったです。
出店も弁天の参拝を楽しくさせるいい雰囲気を出していて、この時期の散歩には最高ですよ。
ちなみに弁天堂の御朱印は復刻判ですが当店で作成しました。
・・・というセリフは何度書いてしまった事でしょうか。
話は繋がりませんが、今回は江戸後期から明治初期に掛けての実務印・印譜からです。

私は「江戸後期~明治初期の庶民が使っていた印影」と聞くだけで気分が高まります。
それが書類などに押されていて不鮮明なものならガッカリですが、これは当時の印判師が残した記録ですので、
どの印影も鮮明に残されております。

どっしりとした太枠に絶妙な墨溜まり、そして古き良き時代を象徴する「中」(右)の折り畳み。
今この作風を彫るお店は当店以外はほとんど無いでしょうが・・・などとちゃっかり自分のお店を宣伝してしまいますが
それにしても素晴らしい作風です。
ブログ編集者
------------------------------------------------------------
先週土曜日の事ですが、仕事を中座して気分転換に上野の不忍池(しのばずのいけ)を散歩してきました。

この時期の不忍池は蓮で有名ですが、近くで見ると池全体が蓮のジャングルになっています。
都会の貴重な緑ですが、単なる緑ではなく、青粉の発生を防ぎ水の浄化に役立っているのではないでしょうか。
仏画そのものの様な綺麗な花も咲いています。

不忍池といえば弁天堂、弁天堂と言えば私にとってこの石碑です。
平林惇徳による大篆風の石碑です(1760年)
大篆風といえばこのブログではすっかりお馴染みの柳葉篆・笹文字で、心越から三井親和に続く今體派(今体派)の作風です。

実は、何年か前に私が他のサイトで紹介したもので、今回は二度目の紹介です。

石碑に関しては、印章店としての基本的な知識しかない私ですが、江戸時代の石碑には篆書体そのものが少なく、
しかもその大半は小篆風であり、大篆風の石碑は数が少ないと思います。
そんな貴重さもあって、これは大好きな石碑の一つです。

弁天堂入口に二対あるのですが、その一つは出店によって常時見えなくなってしまっているのが残念です。

同じ弁天堂で、これも大好きな石碑の一つです。

先程とかわって、こちらは絶妙な小篆風です。


波磔(はたく)が美しい明治時代の隷書体です。

これは半分以上が破損しておりますが、こちらも素晴らしい篆書体です。

建立が見えなかったのか、写真撮るのを忘れたのかははっきり覚えておりませんが、周りの石碑の現況と比較しますと
江戸時代のものではないでしょうか。

これは青銅製の琵琶。
ご覧の通り明治19年。


大篆に始まり、小篆、そして最後は素晴らしい印篆。
ひょっとして不忍池の弁天堂はハンコ屋の為にあるのでは?・・・というのは冗談ですが。
途中、出店を批判するかの様な言葉を書いてしまいました。
でも(弁天堂の別の出店で)豚玉焼きというのを食べてみたら凄く美味しかったです。
出店も弁天の参拝を楽しくさせるいい雰囲気を出していて、この時期の散歩には最高ですよ。
ちなみに弁天堂の御朱印は復刻判ですが当店で作成しました。
御条目五人組御仕置帳(寛政9年)
久しぶりの紹介となりますが、寛政9年(1797年)の御条目五人組御仕置帳です。

江戸時代の庶民の印影を見る事が出来る貴重な資料です。

篆刻の印影は字典などで簡単に手に入れる事ができますが、庶民の印影は博物館の資料などをガラス越しに見る位しか
目にする事はあまりないのではないでしょうか。

印影が鮮明でない事が残念ですが、偏や旁の単体でしたらはっきりと見えていますね。
向かって左の印影の文字の左右にあるものは、唐草模様の名残りです。

唐草の名残りが多いですね。
一部破損しているのが非常に残念です。
破損部分の左側は、綺麗に整った印篆だと思います。
綺麗な印影を見てみたかったです。

これ(一番右)は私の大好きな足長の篆書体です。
印章教科書(非売品)では「悪い例」とされており、今この様な作風はまず見られませんが、昔は結構ありました。
ちなみにこの作風、私は大好きですので「悪い例」などという言葉に負ける訳にはいきません。
まあ、私一人が「風情があっていい作風ですよ」と言っても説得力がありませんので、図書館などで篆刻印譜を見る
機会があったら、この作風を探してみて下さい。
篆刻関係の字典を見れば結構簡単に探せるはずです。
(茨城県古河市に行ける方は、篆刻美術館二階の資料がお勧めです)

江戸時代はやはり篆書体だけですね。
もちろん、もっと古い時代には官印として古印体や隷書体もありましたが、江戸時代の庶民の印影はほぼ100%
篆書体であったと思われます。

黒印だけではつまらないという方の為に、他の印譜からも紹介させていただきます。
明治後期の印譜より。

膨大な印影がある為にランダムで紹介してきたら、どれを紹介してどれがまだだったかわからなくなってしまった印譜です。

ですので、もしかすると二度目の紹介になってしまう場合もありますが、今回は3つ。
適度な墨溜まりのある太枠細篆書体の角印。(右)
良く見るとこれも封印なんですね。
そして小判型封緘印。

今はこの様な印文は回文(二重の丸枠にし、外苑に沿って社名等)で内丸には肩書きというパターンが多いですが
これは4+5+3で、左右は低く、中央は長くする適度なバランスのある作風です。
(この時代は回文と半々位でした:印影資料より)
ブログ編集者

江戸時代の庶民の印影を見る事が出来る貴重な資料です。

篆刻の印影は字典などで簡単に手に入れる事ができますが、庶民の印影は博物館の資料などをガラス越しに見る位しか
目にする事はあまりないのではないでしょうか。

印影が鮮明でない事が残念ですが、偏や旁の単体でしたらはっきりと見えていますね。
向かって左の印影の文字の左右にあるものは、唐草模様の名残りです。

唐草の名残りが多いですね。
一部破損しているのが非常に残念です。
破損部分の左側は、綺麗に整った印篆だと思います。
綺麗な印影を見てみたかったです。

これ(一番右)は私の大好きな足長の篆書体です。
印章教科書(非売品)では「悪い例」とされており、今この様な作風はまず見られませんが、昔は結構ありました。
ちなみにこの作風、私は大好きですので「悪い例」などという言葉に負ける訳にはいきません。
まあ、私一人が「風情があっていい作風ですよ」と言っても説得力がありませんので、図書館などで篆刻印譜を見る
機会があったら、この作風を探してみて下さい。
篆刻関係の字典を見れば結構簡単に探せるはずです。
(茨城県古河市に行ける方は、篆刻美術館二階の資料がお勧めです)

江戸時代はやはり篆書体だけですね。
もちろん、もっと古い時代には官印として古印体や隷書体もありましたが、江戸時代の庶民の印影はほぼ100%
篆書体であったと思われます。

黒印だけではつまらないという方の為に、他の印譜からも紹介させていただきます。
明治後期の印譜より。

膨大な印影がある為にランダムで紹介してきたら、どれを紹介してどれがまだだったかわからなくなってしまった印譜です。

ですので、もしかすると二度目の紹介になってしまう場合もありますが、今回は3つ。
適度な墨溜まりのある太枠細篆書体の角印。(右)
良く見るとこれも封印なんですね。
そして小判型封緘印。

今はこの様な印文は回文(二重の丸枠にし、外苑に沿って社名等)で内丸には肩書きというパターンが多いですが
これは4+5+3で、左右は低く、中央は長くする適度なバランスのある作風です。
(この時代は回文と半々位でした:印影資料より)
ブログ編集者
印鑑簿 (小判型・巴ほか)
もう何回も紹介している印鑑簿です。

今やありきたりの言葉になってしまった感じはありますが、「古き良き時代」である昭和以前の実務で使われる印鑑の
大量の記録があるこの分厚い印鑑簿は、印章業界の貴重な財産であるといえると考えております。

偉そうな事を言ってしまい失礼致しました。
例によって(ご存命ではないとは推測しますが)住所、氏名、印鑑の三点が揃っている帳簿ですので、一部モザイクで失礼します。

楷書体ですので一見ありきたりの感じがしますが、手彫り印鑑で楷書体を彫るのは初心者には難題で、熟練の技術が
必要です。
一般の方に篆書体は見慣れてなくても、楷書体は誰もが馴染んでいる書体だからです。
また、篆書体は1つの文字で複数種類があるので、作風も多様になりますが、
楷書体は新旧俗字や職人の個性こそあるものの、篆書体のように多様化されていない為です。

誤訳防止の為、ブログ上では印文を読まない方針ですが、これは池田さんです。
ちょっと変わった作風ですが、池と田が調和していますね。

明治元年4月7日生まれとありますが、Wikipediaによりますと↓
「慶応4年9月8日より明治に改元したが、『慶応4年をもって明治元年とする』としているため旧暦1月1日に遡って適用される。」
とありますので、江戸時代の年号に換算すると慶応4年4月7日生まれになりますね。
法的な位置付けは別として、実質的に9月8日から明治時代と考えますと、江戸末期の生まれという事になります。
印刷物(=近代的)に江戸時代の名残りがあると不思議な感じがしてしまうのは私だけでしょうか。
(前も似た様な事を書きましたね)
1
続いてこちら、随分丸みがありますが一応小判型です。
珍しい巴のフルネーム印ですね。
しかも篆書体と古印体の混合で、「石」という篆書体が特徴的です。 (でもきちんと字典に載っている形です)

篆書体の五十嵐様、「嵐」の「山」が欠けてしまったのか、わびさびなのかは不明ですが、丁寧に彫られた素晴らしい印鑑です。

手彫りゴム印も素晴らしいです。
「栃木伊藤銀行」 聞いた事ありませんが、検索すると出てきます。
インターネットは「正しいものを見分ける眼」をもって使えば便利なものですね。
但し、印鑑を検索する場合は気を付けて下さい。
「開運印鑑を知るには印相体を知る必要があります」
正しい「眼」をもって満足できるものを探しましょう。

これは形の整った古印体ですね。
文字が一部途切れておりますが、これが正しい古印体です。

最後は太枠細字篆書体です。
0.1%の印章店を探すヒント

今やありきたりの言葉になってしまった感じはありますが、「古き良き時代」である昭和以前の実務で使われる印鑑の
大量の記録があるこの分厚い印鑑簿は、印章業界の貴重な財産であるといえると考えております。

偉そうな事を言ってしまい失礼致しました。
例によって(ご存命ではないとは推測しますが)住所、氏名、印鑑の三点が揃っている帳簿ですので、一部モザイクで失礼します。

楷書体ですので一見ありきたりの感じがしますが、手彫り印鑑で楷書体を彫るのは初心者には難題で、熟練の技術が
必要です。
一般の方に篆書体は見慣れてなくても、楷書体は誰もが馴染んでいる書体だからです。
また、篆書体は1つの文字で複数種類があるので、作風も多様になりますが、
楷書体は新旧俗字や職人の個性こそあるものの、篆書体のように多様化されていない為です。

誤訳防止の為、ブログ上では印文を読まない方針ですが、これは池田さんです。
ちょっと変わった作風ですが、池と田が調和していますね。

明治元年4月7日生まれとありますが、Wikipediaによりますと↓
「慶応4年9月8日より明治に改元したが、『慶応4年をもって明治元年とする』としているため旧暦1月1日に遡って適用される。」
とありますので、江戸時代の年号に換算すると慶応4年4月7日生まれになりますね。
法的な位置付けは別として、実質的に9月8日から明治時代と考えますと、江戸末期の生まれという事になります。
印刷物(=近代的)に江戸時代の名残りがあると不思議な感じがしてしまうのは私だけでしょうか。
(前も似た様な事を書きましたね)

続いてこちら、随分丸みがありますが一応小判型です。
珍しい巴のフルネーム印ですね。
しかも篆書体と古印体の混合で、「石」という篆書体が特徴的です。 (でもきちんと字典に載っている形です)

篆書体の五十嵐様、「嵐」の「山」が欠けてしまったのか、わびさびなのかは不明ですが、丁寧に彫られた素晴らしい印鑑です。

手彫りゴム印も素晴らしいです。
「栃木伊藤銀行」 聞いた事ありませんが、検索すると出てきます。
インターネットは「正しいものを見分ける眼」をもって使えば便利なものですね。
但し、印鑑を検索する場合は気を付けて下さい。
「開運印鑑を知るには印相体を知る必要があります」
正しい「眼」をもって満足できるものを探しましょう。

これは形の整った古印体ですね。
文字が一部途切れておりますが、これが正しい古印体です。

最後は太枠細字篆書体です。
0.1%の印章店を探すヒント