中輪・細篆書体(太枠細字)
江戸時代晩期から明治初期にかけての印譜です。

向かって右側、横に走る黒い線は虫喰いの跡です。
残念ですが、江戸時代の印譜という事を考えますと、これでも保存状態はいい方ではないかと思います。

本日はこの印影。
変わった作風ですね。
「分銅型もどき」とでもいいましょうか。
この作風は私は他に記憶ありません。
変わった作風に目が行きがちですが、姓2文字+名前3文字という左右異なる字数でも「四」の高さを抑える事で
何の違和感も生じさせない字配りにも注目して下さい。
他の書体ではなかなか出来ない事です。
篆書体の素晴らしさ、職人の気配りがわかる印影です。
----------------------------------------------------------
ここのところブログの更新及び、郊外散策の紹介がなかなかできませんでした。
体調が万全でなかった事と、帳簿などの仕事が溜まってしまい、日曜日でもなかなか出掛けられませんでした。
久しぶりの郊外です。



以前にも紹介した様な景色 ↑ に見えるかも知れませんが、ここは初めて通る道だったと思います。
この先行き止まりの様な雰囲気でしたので、手前から撮影。
遠慮がちに撮ったので小さくしか写っておりませんが、こんな茅葺屋根の長屋門の家なんかで暮らしてみたいものです。

これは私が管理しているヤマユリですが、笹と似ているので雑草を刈る時には特に注意しておかないと、
間違って刈ってしまいます。
写真で見ると、似ているものの違いがわかりますが、実際はエンジン刈払機で一気に刈りとるので、予めヤマユリの
場所に目印を付けておいて刈らないと、残すのはまず無理です。

これは私が管理している梅林です。
雑草だらけで 「管理なんかしているのか?」 と言われてしまいそうですが、今年は全く管理しておりませんでした。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉がありますが、私は「雑草刈らず、梅も切らない馬鹿」ですね。
以前の記事→ 4月19日のブログ と同じ梅です。

こんな姿になってしまいごめんなさい。

一方、柘は順調です。
というより 「成長が遅いので変化が全くわからない」 というのが現実です。
肥料を多く施して大きくさせたいものですが、肥料過剰=病気や虫食いの元ですので、最小限の肥料に留めております。

ところ変わって、こちらは年に1~2回扁額などを見に行くお寺です。
実は、以前にも紹介したお寺です→以前の記事


「興味本位で訪れてほしくないお寺」という事を前の記事で書きましたが、そう書いている本人が頻繁に行ってしまっては
いけませんね。
言い訳になりますが、倒壊してしまう前に記憶で残しておきたいお寺なので、年に1~2回は行く様に心掛けているのです。

このお寺は廃墟状態ですが、墓地でもあり石碑(墓石含む)が多くあります。
上の写真中央(背の高い石碑)は、篆書体でない事は残念ですが、江戸時代のものです。

こちらは明治2年建立のようです。
お参りをしてからの撮影です。


こちらはいつの建立か記録するのを忘れましたが、波磔(はたく)のハッキリとした隷書体が素晴らしいですね。
ブログ編集者

向かって右側、横に走る黒い線は虫喰いの跡です。
残念ですが、江戸時代の印譜という事を考えますと、これでも保存状態はいい方ではないかと思います。

本日はこの印影。
変わった作風ですね。
「分銅型もどき」とでもいいましょうか。
この作風は私は他に記憶ありません。
変わった作風に目が行きがちですが、姓2文字+名前3文字という左右異なる字数でも「四」の高さを抑える事で
何の違和感も生じさせない字配りにも注目して下さい。
他の書体ではなかなか出来ない事です。
篆書体の素晴らしさ、職人の気配りがわかる印影です。
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ここのところブログの更新及び、郊外散策の紹介がなかなかできませんでした。
体調が万全でなかった事と、帳簿などの仕事が溜まってしまい、日曜日でもなかなか出掛けられませんでした。
久しぶりの郊外です。



以前にも紹介した様な景色 ↑ に見えるかも知れませんが、ここは初めて通る道だったと思います。
この先行き止まりの様な雰囲気でしたので、手前から撮影。
遠慮がちに撮ったので小さくしか写っておりませんが、こんな茅葺屋根の長屋門の家なんかで暮らしてみたいものです。

これは私が管理しているヤマユリですが、笹と似ているので雑草を刈る時には特に注意しておかないと、
間違って刈ってしまいます。
写真で見ると、似ているものの違いがわかりますが、実際はエンジン刈払機で一気に刈りとるので、予めヤマユリの
場所に目印を付けておいて刈らないと、残すのはまず無理です。

これは私が管理している梅林です。
雑草だらけで 「管理なんかしているのか?」 と言われてしまいそうですが、今年は全く管理しておりませんでした。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉がありますが、私は「雑草刈らず、梅も切らない馬鹿」ですね。
以前の記事→ 4月19日のブログ と同じ梅です。

こんな姿になってしまいごめんなさい。

一方、柘は順調です。
というより 「成長が遅いので変化が全くわからない」 というのが現実です。
肥料を多く施して大きくさせたいものですが、肥料過剰=病気や虫食いの元ですので、最小限の肥料に留めております。

ところ変わって、こちらは年に1~2回扁額などを見に行くお寺です。
実は、以前にも紹介したお寺です→以前の記事


「興味本位で訪れてほしくないお寺」という事を前の記事で書きましたが、そう書いている本人が頻繁に行ってしまっては
いけませんね。
言い訳になりますが、倒壊してしまう前に記憶で残しておきたいお寺なので、年に1~2回は行く様に心掛けているのです。

このお寺は廃墟状態ですが、墓地でもあり石碑(墓石含む)が多くあります。
上の写真中央(背の高い石碑)は、篆書体でない事は残念ですが、江戸時代のものです。

こちらは明治2年建立のようです。
お参りをしてからの撮影です。


こちらはいつの建立か記録するのを忘れましたが、波磔(はたく)のハッキリとした隷書体が素晴らしいですね。
ブログ編集者
明暗寺 虚無僧の印章 (番僧)
時代劇に、深編笠(天蓋)姿に尺八を吹いて行脚する虚無僧の姿を一度は見た事があるでしょう。
今回はその虚無僧が全国を遊脚する際に必要だった通行手形代わりの証書です。

京都明暗寺(みょうあんじ)と千葉県松戸市の一月寺はその虚無僧の拠点となったお寺ですが、これは明暗寺のものです。

「明暗寺番僧」 「勇鳳」

「合鑑」 「勇鳳」
子供みたいな事を言いますが、タイムスリップして、江戸時代の本物の虚無僧が実際に街角で尺八を吹いている
姿を見てみたいものです。
----------------------------------------------
ブログ編集者
土曜日の夜に突然思いつき、一泊旅行に出発しました。

夜10時頃の出発でしたので、この写真は帰りの風景です。

都県境に来て、矢切りの渡しへちょっと寄り道。
真っ暗でしたが、デジカメは感度がいいので夜景が撮れますね。
ピントはあまくなってしまいましたが、
周囲にコウモリがうじゃうじゃ居たので、写真を撮ろうとして20回位チャレンジしました。

スピードが速く、その上不規則に飛ぶのできちんとした写真がなかなかとれず・・・

何とかコウモリらしい写真がこれです。
何千匹、いや、江戸川が東京と接する範囲だけでも何万匹も居ると思います。
近くに洞窟など無いのに、この何万匹ものコウモリは日中どこで休んでいるのでしょうかね。
今回はその虚無僧が全国を遊脚する際に必要だった通行手形代わりの証書です。

京都明暗寺(みょうあんじ)と千葉県松戸市の一月寺はその虚無僧の拠点となったお寺ですが、これは明暗寺のものです。

「明暗寺番僧」 「勇鳳」

「合鑑」 「勇鳳」
子供みたいな事を言いますが、タイムスリップして、江戸時代の本物の虚無僧が実際に街角で尺八を吹いている
姿を見てみたいものです。
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ブログ編集者
土曜日の夜に突然思いつき、一泊旅行に出発しました。

夜10時頃の出発でしたので、この写真は帰りの風景です。

都県境に来て、矢切りの渡しへちょっと寄り道。
真っ暗でしたが、デジカメは感度がいいので夜景が撮れますね。
ピントはあまくなってしまいましたが、
周囲にコウモリがうじゃうじゃ居たので、写真を撮ろうとして20回位チャレンジしました。

スピードが速く、その上不規則に飛ぶのできちんとした写真がなかなかとれず・・・

何とかコウモリらしい写真がこれです。
何千匹、いや、江戸川が東京と接する範囲だけでも何万匹も居ると思います。
近くに洞窟など無いのに、この何万匹ものコウモリは日中どこで休んでいるのでしょうかね。
印鑑簿 (唐草模様入りの印影)
何回か紹介している明治時代の印鑑簿からです。

この印鑑簿は印影数が少ないので、1印影ずつ紹介させていただきます。
今回はこれです。

勿体ぶって申し訳ございません。
右は前回紹介したものですが、左は次回の紹介ですので、勿体ぶってしまいました。
それより、唐草模様が左右に彫られている素晴らしい印影をご覧下さい。
写りが今一つなのが残念ですが、明治時代の書類という事を考えれば保存状態はいい方だと思います。
(この場合の印影の不鮮明さは、捺印時からのものだと思われます)
彫られているのは印篆であり、当たり前の事ですが印相体ではありません。
唐草模様は吉祥模様ですので、これを単純に「開運印鑑」と呼ぶのでしたら問題ないと思いますが、
そこに「上下のしるしは良くない」とか「文字を八方向に広げるのがいい」とか「太枠は運気が入らず・・・」などの
言い伝えでも何でもないセールストークが入ってしまったら即アウトです。
開運 「する」「しない」 以前に、そのような話は販売業者が考えた話であり、昔からの言い伝えではありません。
つまり、嘘という事です。
嘘が一つでも混ざれば即アウトですが、世間ではそんな事常識ですよね。
世間の常識が通用しないところが、印章業界のいけないところです。
漢字は「美」と「利便性」の観点から形を変えて発達してきました。
印相体はそのどちらにも該当せず、商業的な「まやかし」を基に作られた書体ですので、印相体=即アウトです。
ここで詳細を書くと長くなりますので、詳しくは過去の記事をご覧下さい→印相体とは
この印鑑簿からは1印影ですので、明治時代の他の印譜から1印影を。

ポツポツポツと太枠・細字(中輪細篆書)があり、小判型や角型も混ざる、明治時代の典型的な実務印譜です。
本日の印影はこちら。

どっしりとした太枠に、十分空間をとり、印篆を横に並べたものです(池山)
これも素晴らしい印影です。
----------------------------------------------------
週末は定例の郊外です。

田圃と山、何回見ても飽きない光景です。
以前「焼き芋」で何回か紹介し、焚火は今期終了と書いたと思いますが、例外で夏の今ですが焚き火をしました。

冬の焚火は暖がとれて気持ちいいのですが、夏の焚火はとにかく暑いです。
当たり前ですよね。
ブログ編集者

この印鑑簿は印影数が少ないので、1印影ずつ紹介させていただきます。
今回はこれです。

勿体ぶって申し訳ございません。
右は前回紹介したものですが、左は次回の紹介ですので、勿体ぶってしまいました。
それより、唐草模様が左右に彫られている素晴らしい印影をご覧下さい。
写りが今一つなのが残念ですが、明治時代の書類という事を考えれば保存状態はいい方だと思います。
(この場合の印影の不鮮明さは、捺印時からのものだと思われます)
彫られているのは印篆であり、当たり前の事ですが印相体ではありません。
唐草模様は吉祥模様ですので、これを単純に「開運印鑑」と呼ぶのでしたら問題ないと思いますが、
そこに「上下のしるしは良くない」とか「文字を八方向に広げるのがいい」とか「太枠は運気が入らず・・・」などの
言い伝えでも何でもないセールストークが入ってしまったら即アウトです。
開運 「する」「しない」 以前に、そのような話は販売業者が考えた話であり、昔からの言い伝えではありません。
つまり、嘘という事です。
嘘が一つでも混ざれば即アウトですが、世間ではそんな事常識ですよね。
世間の常識が通用しないところが、印章業界のいけないところです。
漢字は「美」と「利便性」の観点から形を変えて発達してきました。
印相体はそのどちらにも該当せず、商業的な「まやかし」を基に作られた書体ですので、印相体=即アウトです。
ここで詳細を書くと長くなりますので、詳しくは過去の記事をご覧下さい→印相体とは
この印鑑簿からは1印影ですので、明治時代の他の印譜から1印影を。

ポツポツポツと太枠・細字(中輪細篆書)があり、小判型や角型も混ざる、明治時代の典型的な実務印譜です。
本日の印影はこちら。

どっしりとした太枠に、十分空間をとり、印篆を横に並べたものです(池山)
これも素晴らしい印影です。
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週末は定例の郊外です。

田圃と山、何回見ても飽きない光景です。
以前「焼き芋」で何回か紹介し、焚火は今期終了と書いたと思いますが、例外で夏の今ですが焚き火をしました。

冬の焚火は暖がとれて気持ちいいのですが、夏の焚火はとにかく暑いです。
当たり前ですよね。
ブログ編集者
0.1%の手彫り印鑑(小判型・行書体)
久しぶりの紹介になりますが、手彫り印鑑の彫刻工程写真の紹介です。
インターネット上で 「手彫り印鑑」 として販売されているハンコの99.9%は手彫りされていない現状がありますので
ここでは、実際にお客様からいただいた注文品を手彫りしている途中の写真を紹介させていただきます。
まずは、ブログ掲載をご承諾いただけたお客様のご厚意に心より御礼申し上げます。
「手彫り」 という言葉に惹かれ注文したハンコが、見ていないところで機械彫りされていたなんて事だったら大変です。
今はスマートフォンでも気軽に写真が撮れる時代です。
インターネットで「手彫り印鑑」を注文する際は、必ず下の様な彫刻途中の写真を撮ってもらいましょう。
ポイントは「途中」です。
きりのいいところの写真では意味ありません。
それでは、実際の彫刻途中の写真をご覧下さい。

今回は伝統的な小判型印鑑(印章)です。
印面に下書き無しで逆さ文字を手書きする技からご覧下さい。
(紙に手書きしたものを転写する方法も手彫り印鑑の定義として正式に認められているので、当店では転写する場合もあります)
ハンコは「文字が命」ですが、彫る工程も「命同様大切」です。 (※これについては後述します)

最近巷ではめっきり少なくなり、問い合わせでも「タマゴ型」とか「楕円形のハンコ」と表現する方も結構多く居らっしゃいます。
もちろんタマゴ型でも楕円でも間違いない訳ですが、印章業界では昔も今も「小判型」です。

基本としてまずは枠どりから彫り始めます。

印面に凹凸を付ける「荒彫り」を丁寧に彫らなくては、いいハンコはできません。
この小さな印面で、どれだけ丁寧に彫るかが重要なポイントです。

このブログで何度も用いた言葉ですが、「書から印へ変わりゆく醍醐味」 手彫り印鑑の良さは印影だけではありません。

凹凸を出す工程の「荒彫り」ですが、決して雑に彫る意味ではありません。
この下の仕上げ後の写真をご覧いただければ、その意味はわかると思います。

小さな印面に古来からの道具のみを使い文字を彫ってこそ、真の「手彫り」と謳う事が許されるのです。
フォントを用いて機械で彫ったものを 「手彫り」 として販売しているお店も多いですが、技術者が居るお店では
文字を手書き(またはマウスで書く)し、荒彫りを機械で彫り、仕上げを手仕事で行ったものを 「手彫り」 として販売
しているところが大部分です。
でも、荒彫りを機械でこなしてしまったら、どう考えても「手彫り」にはなりません。
お客様側としても「それ、手彫りとは言いませんよね」となるでしょうし、業界関係者はもっとよくわかっております。
ただ、それでも「手彫り」と宣伝するお店は、そうなる事を想定し、「ちょこっとだけ機械で彫りました」 というニュアンスの
表現をしていると思います。
しかし、ちょこっとだけ彫る印章彫刻機械などありません。
ペンシル型機械や昔の大野木式を途中で止めれば可能ですが、これはよく考えてみればおかしな話。
仮に「ちょこっと」だけ機械で彫るのなら、いっその事、全部機械で彫って堂々と「手彫りです」と胸を張ってお客様に
提供すればいいのです。
理屈では簡単な事でも、あえて機械を使うのは理由があるのです。
(ここまで書けばもうわかりますよね)
大変な部分を機械に彫ってもらう為です。
印章彫刻機械というのは、最後まで全て機械で彫ってくれます。
チェーン店さんなどでは、彫ったそのまんまをお客様に提供するのですから「ほとんど」どころか「全て」彫ってくれるのです。
機械の性能としては当たり前の事ですよね。
その仕上がりを自分で調整したければ、完成しているものに印刀を入れればいいだけの話です。
印章彫刻方法を知らない消費者様でも、よく考えればわかると思います。
印章彫刻機械は5万や10万円では買えません。
簡易的なものを除くと、最低100万円単位の金額です。
そんな高価な彫刻機械が、「ちょこっとだけ」しか彫れない性能だったら、売れるでしょうか。
また、メーカー側だって、恥ずかしくて売れないと思いますよ。
彫刻機械販売のターゲットは、全く彫る事ができない人(お店)に対してです。
職人用の「ちょこっとだけ」しか彫らない中途半端な機械など製造も販売もされておりません。
印章彫刻方法の呼び名は公式に決まっております。
公式というのは公益社団法人・全日本印章業協会が定めているからです。
どこかの会社が勝手に定めた訳ではなく、印章組合が定めた訳でもありません。
公益社団法人である全日本印章業協会が定めたものです。
そこには 「手彫り」 「手仕上げ」 「機械彫り」 の3種類の定義があり、その他の定義はありません。
よく 「手仕上げ」に似せた名前で「手彫り仕上げ」という手彫りと紛らわしい名前のハンコが売られておりますが
正式な呼び名ではありませんし、そもそも公式の定義を無視した呼び名で売るのはいかがなものでしょうか。
前の記事で「嘘が一つでもあれば即アウト」と書きましたが、紛らわしい(優良誤認)事もあればアウトですよね。
とにかく高価な「手彫り印鑑」を買う場合は、慎重になりましょう。
印相体は即アウトです。
手彫りの嘘も即アウトです。
手彫り印鑑の偽装は素人さんではなかなか見抜けませんが、どうすれば手彫りか手彫りされていないか見抜く事ができるか・・・
このページ前半のような手彫り途中の写真を撮ってもらう事です。
「そんな事あからさまに疑っているみたいで言いづらい」
普通そう思いますよね。
電話で依頼する事は、このブログを書いている私でも言い辛いです。
でも、インターネットで1日24時間、365日宣伝し販売できる便利なツールでお店側は利益を得ているのです。
それに、手彫りだと信じて買ったハンコが、実は大部分が彫刻機械で彫られていたものだったとしたら、どう思いますか?
「言いづらい」 事と 「騙されるかも知れない」 という現実を天秤に掛けて考えてみて下さい。
「騙されてもいい」と考える人は少数派だと思います。
でしたら、多少遠慮しつつもメールで丁重に依頼してみてはいかがでしょうか。
普通、お客様が喜ぶ事をお店側も望んでいるはずです。
お客様に喜んでいただければ、お店側も職人も喜ぶはずです。
例えば、法人用のいわゆる回文など、文字数が多い印鑑を手彫りするには文字を書くだけでも大変です。
その苦労を写真でわかっていただけた上に、お役様に喜んでいただけるという事は、一石二鳥で
今流の言葉に例えれば「ウイン・ウイン」ならぬ「ジョイ・ジョイ」でいい事だと思います。
法人用の印鑑など、ほっとんど手彫りされていないですよ。
手彫り印鑑を注文する際は、必ず手彫りしている途中の写真をいただけるよう、お願いしましょう。
ここから下は、以前書いた事と同じですが、お店に写真撮影を躊躇している方は必見です。
●今はスマートフォンが普及していますが、スマートフォンを持っていなくても写真入りホームページを開設しているお店なら
デジカメぐらいは持っているはずです。
●「依頼しづらい」ですか? その①
千円位のものでしたら確かにその通りかも知れません。
しかし、高価な手彫り印鑑でしたら、写真ぐらい堂々と依頼してみましょう。
●「依頼しづらい」ですか? その②
心配不用です。
インターネットから会話無しで高価な印鑑を受注するシステムをとっているお店であれば、
その位のお客様の要望に応える道義的義務があると私は思います。
●「怒られそうで心配です」
心配不用です。 そこそこのホームページを持っているお店でしたら、写真サービスの存在は絶対知っているはずです。
●「写真は欲しいけど、でもやっぱり・・・」
お店を疑う問題とは別に、自分の印鑑がどの様に彫られてきたのかという写真は、いい記念になると思いませんか?
このページ前半の写真をご覧下さい。
この写真は、実際のお客様からご注文いただいた手彫り印鑑の彫刻途中の写真です。
単にハンコが届くのではなく、こういう写真も一緒に欲しいと思いませんか?
それでもやはり言いづらいでしょうか。
電話で言いづらかったらメールで依頼してみましょう。
写真が欲しいと依頼しても実際は何だかんだ理由を付けてほとんど断られてしまうと思います。
「手彫りに集中できない」
「彫っている最中に写真は撮れない」
など口実を付けて断られるのがオチです。
●「集中できない」ですか?
写真は一瞬です。
デジカメを用意しておけば、何枚か撮り直したとしても30秒~2,3分位あれば撮れます。
集中は大切ですが、肩こりしないよう程々に休憩しながら彫るのもいいのではないでしょうか。
●「彫っている最中に写真など撮れない」ですか?
さすがに手が3本ある人は居ないでしょうから、彫りながら撮るのは難しいでしょう。
でしたら一旦印刀を置いて撮ればいい事です。
「途中が重要」というのは彫刻刀を動かしている姿が重要なのではなく、途中の印面を撮るのが重要なのです。
●「時間が無い」ですか?
先程も書きましたが、写真を撮るのにそれほど時間は掛かりません。
そんな時間もない程差し迫って彫っているのでしょうか。
実印を1日十数本彫っているとかでしたら時間が無いかも知れませんが、そんな勢いで彫りますと丁寧な
手彫りはできないですよね。
●・・・まさか「写真を撮ると魂が抜ける」など時代遅れの理由を付ける人は居ないでしょう。
●「当店の方針で写真は撮らない」ですか?
漠然としすぎた返答ですね。
お店目線で考えるのではなく、高価な手彫り印鑑をご注文してくれたお客様目線で物を考えられないのでしょうか。
途中で何回か「パチッ」と撮るだけで、お客様に喜んでいただけるのです。
●「疑っているんですか?」など言われたら・・・
まさか「はいそうです」とはいえないでしょうから予め「他のお店でそのようなサービスがあるようなので記念に」
と言えばカドが立たないと思います。
それに加え、「貴店(貴方)の技術に感銘を受け・・・」など伝えればなかなか断りづらいと思います。
前述しましたが、そこそこのホームページを開設しているお店であれば、手彫りの工程写真を付けるお店が
ある事は必ず知っているはずです。
そもそも「疑っているんですか?」という回答は、私からしてみれば話を逸らして写真撮影の要望に応じない
恰好の言い訳にしか聞こえません。
●「プライドのある職人は写真を撮る事などしない」
とか言われたらもっともらしく聞こえてしまいますね。
でも、会話無しのインターネットでクリックと文字入力だけで買い物(印鑑購入)が出来てしまうサイトを
運営しているのであれば、その位の要望には耳を傾ける道義的義務があると思いませんか?
お客様側としてはどう思いますか?
●「工程写真などパフォーマンスに過ぎない」とか言われたら・・・
これももっともらしく聞こえてしまいますね。
でも冷静によく考えてみて下さい。
彫刻工程の写真を撮る事がパフォーマンスになるのでしょうか。
洒落たバーでカクテルを作る時に、ボトルやシェーカーを投げたり回転させたりして作るのは明らかに
パフォーマンスですよね。
それは極端な例としても、普段和服など着ないおそば屋さんで働く人が、お店での仕事中だけ
作務衣に着替えてそばを打つ。
「そば打ち」の事ではなく、作務衣姿で仕事をする事がある意味パフォーマンスではないでしょうか。
印章店でも普段和服など着ない人が、お店の中だけ作務衣姿になっている方は結構居る様です。
ホームページを見ても作務衣姿で篆刻台に向かっている写真が多く見られます。
揶揄する言葉としてのパフォーマンスとは、本来こういう事を差すのだと思います。
いつもと変わらず仕事をしている場面を単に撮影する事をパフォーマンスとは言いません。
写真を撮れる環境があるのに、頑として写真撮影を断られる。
ここまで考えれば何か事情があると勘繰りたくなりませんか?
事情とはズバリ「手彫りじゃないから工程写真は撮れない」という知られたくない事情です。
高価な手彫り印鑑を注文するのであれば慎重になって下さい。
誤解しないでいただきたいのは、手彫りが望ましいですが、手彫り以外はダメだと言っている訳ではありません。
私が言いたいのは、機械彫りがいけないのではなく、虚偽表示=嘘がいけないのです。
(嘘がいけないなんて当たり前ですよね)
尚、本当に手彫りされていたとしても、それが印相体で彫られていたとしたら何の価値も無くなってしまいますので
書体の選択も十分気を付けて下さい。
最後にもう一度
手彫り印鑑をインターネットで注文する時は、必ず彫刻途中の写真撮影を依頼しましょう。
★くれぐれも、冷やかしはやめましょう★
真剣に手彫り印鑑の依頼を検討している方のみお店に問い合わせしてみて下さい。
最後になりましたが、写真の紹介で「※」の「ハンコは文字が命ですが、彫る工程も命同様大切です」について
ここまでお読みいただけた場合は、説明不用だと思います。
・天然ウナギの蒲焼と書いてあるので、高いお金を払ってお店に入ったら、実は養殖物だった。
・天然物の刺身だと思って買ったら、実は養殖物だった。
こんな事ではいけないのは説明するまででもありません。
店主が仮に「ウナギの蒲焼は味が命」 「刺身は味が命」 と言い訳したら、納得いきますか?
味以前に嘘を付く事が即アウトです。
食品の偽装は×でハンコの偽装が○という事はありません。
嘘ばかりの印章業界に注意して下さい。
手彫り印鑑
インターネット上で 「手彫り印鑑」 として販売されているハンコの99.9%は手彫りされていない現状がありますので
ここでは、実際にお客様からいただいた注文品を手彫りしている途中の写真を紹介させていただきます。
まずは、ブログ掲載をご承諾いただけたお客様のご厚意に心より御礼申し上げます。
「手彫り」 という言葉に惹かれ注文したハンコが、見ていないところで機械彫りされていたなんて事だったら大変です。
今はスマートフォンでも気軽に写真が撮れる時代です。
インターネットで「手彫り印鑑」を注文する際は、必ず下の様な彫刻途中の写真を撮ってもらいましょう。
ポイントは「途中」です。
きりのいいところの写真では意味ありません。
それでは、実際の彫刻途中の写真をご覧下さい。

今回は伝統的な小判型印鑑(印章)です。
印面に下書き無しで逆さ文字を手書きする技からご覧下さい。
(紙に手書きしたものを転写する方法も手彫り印鑑の定義として正式に認められているので、当店では転写する場合もあります)
ハンコは「文字が命」ですが、彫る工程も「命同様大切」です。 (※これについては後述します)

最近巷ではめっきり少なくなり、問い合わせでも「タマゴ型」とか「楕円形のハンコ」と表現する方も結構多く居らっしゃいます。
もちろんタマゴ型でも楕円でも間違いない訳ですが、印章業界では昔も今も「小判型」です。

基本としてまずは枠どりから彫り始めます。

印面に凹凸を付ける「荒彫り」を丁寧に彫らなくては、いいハンコはできません。
この小さな印面で、どれだけ丁寧に彫るかが重要なポイントです。

このブログで何度も用いた言葉ですが、「書から印へ変わりゆく醍醐味」 手彫り印鑑の良さは印影だけではありません。

凹凸を出す工程の「荒彫り」ですが、決して雑に彫る意味ではありません。
この下の仕上げ後の写真をご覧いただければ、その意味はわかると思います。

小さな印面に古来からの道具のみを使い文字を彫ってこそ、真の「手彫り」と謳う事が許されるのです。
フォントを用いて機械で彫ったものを 「手彫り」 として販売しているお店も多いですが、技術者が居るお店では
文字を手書き(またはマウスで書く)し、荒彫りを機械で彫り、仕上げを手仕事で行ったものを 「手彫り」 として販売
しているところが大部分です。
でも、荒彫りを機械でこなしてしまったら、どう考えても「手彫り」にはなりません。
お客様側としても「それ、手彫りとは言いませんよね」となるでしょうし、業界関係者はもっとよくわかっております。
ただ、それでも「手彫り」と宣伝するお店は、そうなる事を想定し、「ちょこっとだけ機械で彫りました」 というニュアンスの
表現をしていると思います。
しかし、ちょこっとだけ彫る印章彫刻機械などありません。
ペンシル型機械や昔の大野木式を途中で止めれば可能ですが、これはよく考えてみればおかしな話。
仮に「ちょこっと」だけ機械で彫るのなら、いっその事、全部機械で彫って堂々と「手彫りです」と胸を張ってお客様に
提供すればいいのです。
理屈では簡単な事でも、あえて機械を使うのは理由があるのです。
(ここまで書けばもうわかりますよね)
大変な部分を機械に彫ってもらう為です。
印章彫刻機械というのは、最後まで全て機械で彫ってくれます。
チェーン店さんなどでは、彫ったそのまんまをお客様に提供するのですから「ほとんど」どころか「全て」彫ってくれるのです。
機械の性能としては当たり前の事ですよね。
その仕上がりを自分で調整したければ、完成しているものに印刀を入れればいいだけの話です。
印章彫刻方法を知らない消費者様でも、よく考えればわかると思います。
印章彫刻機械は5万や10万円では買えません。
簡易的なものを除くと、最低100万円単位の金額です。
そんな高価な彫刻機械が、「ちょこっとだけ」しか彫れない性能だったら、売れるでしょうか。
また、メーカー側だって、恥ずかしくて売れないと思いますよ。
彫刻機械販売のターゲットは、全く彫る事ができない人(お店)に対してです。
職人用の「ちょこっとだけ」しか彫らない中途半端な機械など製造も販売もされておりません。
印章彫刻方法の呼び名は公式に決まっております。
公式というのは公益社団法人・全日本印章業協会が定めているからです。
どこかの会社が勝手に定めた訳ではなく、印章組合が定めた訳でもありません。
公益社団法人である全日本印章業協会が定めたものです。
そこには 「手彫り」 「手仕上げ」 「機械彫り」 の3種類の定義があり、その他の定義はありません。
よく 「手仕上げ」に似せた名前で「手彫り仕上げ」という手彫りと紛らわしい名前のハンコが売られておりますが
正式な呼び名ではありませんし、そもそも公式の定義を無視した呼び名で売るのはいかがなものでしょうか。
前の記事で「嘘が一つでもあれば即アウト」と書きましたが、紛らわしい(優良誤認)事もあればアウトですよね。
とにかく高価な「手彫り印鑑」を買う場合は、慎重になりましょう。
印相体は即アウトです。
手彫りの嘘も即アウトです。
手彫り印鑑の偽装は素人さんではなかなか見抜けませんが、どうすれば手彫りか手彫りされていないか見抜く事ができるか・・・
このページ前半のような手彫り途中の写真を撮ってもらう事です。
「そんな事あからさまに疑っているみたいで言いづらい」
普通そう思いますよね。
電話で依頼する事は、このブログを書いている私でも言い辛いです。
でも、インターネットで1日24時間、365日宣伝し販売できる便利なツールでお店側は利益を得ているのです。
それに、手彫りだと信じて買ったハンコが、実は大部分が彫刻機械で彫られていたものだったとしたら、どう思いますか?
「言いづらい」 事と 「騙されるかも知れない」 という現実を天秤に掛けて考えてみて下さい。
「騙されてもいい」と考える人は少数派だと思います。
でしたら、多少遠慮しつつもメールで丁重に依頼してみてはいかがでしょうか。
普通、お客様が喜ぶ事をお店側も望んでいるはずです。
お客様に喜んでいただければ、お店側も職人も喜ぶはずです。
例えば、法人用のいわゆる回文など、文字数が多い印鑑を手彫りするには文字を書くだけでも大変です。
その苦労を写真でわかっていただけた上に、お役様に喜んでいただけるという事は、一石二鳥で
今流の言葉に例えれば「ウイン・ウイン」ならぬ「ジョイ・ジョイ」でいい事だと思います。
法人用の印鑑など、ほっとんど手彫りされていないですよ。
手彫り印鑑を注文する際は、必ず手彫りしている途中の写真をいただけるよう、お願いしましょう。
ここから下は、以前書いた事と同じですが、お店に写真撮影を躊躇している方は必見です。
●今はスマートフォンが普及していますが、スマートフォンを持っていなくても写真入りホームページを開設しているお店なら
デジカメぐらいは持っているはずです。
●「依頼しづらい」ですか? その①
千円位のものでしたら確かにその通りかも知れません。
しかし、高価な手彫り印鑑でしたら、写真ぐらい堂々と依頼してみましょう。
●「依頼しづらい」ですか? その②
心配不用です。
インターネットから会話無しで高価な印鑑を受注するシステムをとっているお店であれば、
その位のお客様の要望に応える道義的義務があると私は思います。
●「怒られそうで心配です」
心配不用です。 そこそこのホームページを持っているお店でしたら、写真サービスの存在は絶対知っているはずです。
●「写真は欲しいけど、でもやっぱり・・・」
お店を疑う問題とは別に、自分の印鑑がどの様に彫られてきたのかという写真は、いい記念になると思いませんか?
このページ前半の写真をご覧下さい。
この写真は、実際のお客様からご注文いただいた手彫り印鑑の彫刻途中の写真です。
単にハンコが届くのではなく、こういう写真も一緒に欲しいと思いませんか?
それでもやはり言いづらいでしょうか。
電話で言いづらかったらメールで依頼してみましょう。
写真が欲しいと依頼しても実際は何だかんだ理由を付けてほとんど断られてしまうと思います。
「手彫りに集中できない」
「彫っている最中に写真は撮れない」
など口実を付けて断られるのがオチです。
●「集中できない」ですか?
写真は一瞬です。
デジカメを用意しておけば、何枚か撮り直したとしても30秒~2,3分位あれば撮れます。
集中は大切ですが、肩こりしないよう程々に休憩しながら彫るのもいいのではないでしょうか。
●「彫っている最中に写真など撮れない」ですか?
さすがに手が3本ある人は居ないでしょうから、彫りながら撮るのは難しいでしょう。
でしたら一旦印刀を置いて撮ればいい事です。
「途中が重要」というのは彫刻刀を動かしている姿が重要なのではなく、途中の印面を撮るのが重要なのです。
●「時間が無い」ですか?
先程も書きましたが、写真を撮るのにそれほど時間は掛かりません。
そんな時間もない程差し迫って彫っているのでしょうか。
実印を1日十数本彫っているとかでしたら時間が無いかも知れませんが、そんな勢いで彫りますと丁寧な
手彫りはできないですよね。
●・・・まさか「写真を撮ると魂が抜ける」など時代遅れの理由を付ける人は居ないでしょう。
●「当店の方針で写真は撮らない」ですか?
漠然としすぎた返答ですね。
お店目線で考えるのではなく、高価な手彫り印鑑をご注文してくれたお客様目線で物を考えられないのでしょうか。
途中で何回か「パチッ」と撮るだけで、お客様に喜んでいただけるのです。
●「疑っているんですか?」など言われたら・・・
まさか「はいそうです」とはいえないでしょうから予め「他のお店でそのようなサービスがあるようなので記念に」
と言えばカドが立たないと思います。
それに加え、「貴店(貴方)の技術に感銘を受け・・・」など伝えればなかなか断りづらいと思います。
前述しましたが、そこそこのホームページを開設しているお店であれば、手彫りの工程写真を付けるお店が
ある事は必ず知っているはずです。
そもそも「疑っているんですか?」という回答は、私からしてみれば話を逸らして写真撮影の要望に応じない
恰好の言い訳にしか聞こえません。
●「プライドのある職人は写真を撮る事などしない」
とか言われたらもっともらしく聞こえてしまいますね。
でも、会話無しのインターネットでクリックと文字入力だけで買い物(印鑑購入)が出来てしまうサイトを
運営しているのであれば、その位の要望には耳を傾ける道義的義務があると思いませんか?
お客様側としてはどう思いますか?
●「工程写真などパフォーマンスに過ぎない」とか言われたら・・・
これももっともらしく聞こえてしまいますね。
でも冷静によく考えてみて下さい。
彫刻工程の写真を撮る事がパフォーマンスになるのでしょうか。
洒落たバーでカクテルを作る時に、ボトルやシェーカーを投げたり回転させたりして作るのは明らかに
パフォーマンスですよね。
それは極端な例としても、普段和服など着ないおそば屋さんで働く人が、お店での仕事中だけ
作務衣に着替えてそばを打つ。
「そば打ち」の事ではなく、作務衣姿で仕事をする事がある意味パフォーマンスではないでしょうか。
印章店でも普段和服など着ない人が、お店の中だけ作務衣姿になっている方は結構居る様です。
ホームページを見ても作務衣姿で篆刻台に向かっている写真が多く見られます。
揶揄する言葉としてのパフォーマンスとは、本来こういう事を差すのだと思います。
いつもと変わらず仕事をしている場面を単に撮影する事をパフォーマンスとは言いません。
写真を撮れる環境があるのに、頑として写真撮影を断られる。
ここまで考えれば何か事情があると勘繰りたくなりませんか?
事情とはズバリ「手彫りじゃないから工程写真は撮れない」という知られたくない事情です。
高価な手彫り印鑑を注文するのであれば慎重になって下さい。
誤解しないでいただきたいのは、手彫りが望ましいですが、手彫り以外はダメだと言っている訳ではありません。
私が言いたいのは、機械彫りがいけないのではなく、虚偽表示=嘘がいけないのです。
(嘘がいけないなんて当たり前ですよね)
尚、本当に手彫りされていたとしても、それが印相体で彫られていたとしたら何の価値も無くなってしまいますので
書体の選択も十分気を付けて下さい。
最後にもう一度
手彫り印鑑をインターネットで注文する時は、必ず彫刻途中の写真撮影を依頼しましょう。
★くれぐれも、冷やかしはやめましょう★
真剣に手彫り印鑑の依頼を検討している方のみお店に問い合わせしてみて下さい。
最後になりましたが、写真の紹介で「※」の「ハンコは文字が命ですが、彫る工程も命同様大切です」について
ここまでお読みいただけた場合は、説明不用だと思います。
・天然ウナギの蒲焼と書いてあるので、高いお金を払ってお店に入ったら、実は養殖物だった。
・天然物の刺身だと思って買ったら、実は養殖物だった。
こんな事ではいけないのは説明するまででもありません。
店主が仮に「ウナギの蒲焼は味が命」 「刺身は味が命」 と言い訳したら、納得いきますか?
味以前に嘘を付く事が即アウトです。
食品の偽装は×でハンコの偽装が○という事はありません。
嘘ばかりの印章業界に注意して下さい。
手彫り印鑑の注文をご検討のお客様へ (免責事項)
当店では手彫り印鑑をご注文いただきました全てのお客様へ、彫刻途中の写真を差し上げております。
ホームページ上で紹介している写真は、写りが良いものを選んだ上でお客様のご承諾をいただき掲載
しているものです。
写真は素人撮影ですので、写り具合の悪い場合やデータの損失、またはうっかり撮り忘れも有り得ます。
(写真を差し上げるサービスを行ってから撮り忘れは一度もありません)
これらの理由により写真を差し上げられない場合でも、間違い無く手彫りを行っております。
その為、写りの悪い場合や、写真そのものが差し上げられない場合でも、返金等は出来ません事を
ご理解下さいませ。
(写真の写りの悪さ、及び差し上げられない場合差し上げられない事は免責とさせていただいております)
尚、当店の彫刻方法は「手彫り」と「手仕上げ」の彫刻方法でお承りさせていただいておりますが
写真サービスは手彫り印鑑のみとなります。
手彫り印鑑
屋号入りの印章
これは印文から戦前である事はまず間違いないのですが、正確な年月はわからない印譜です。

今回は左上の印影から。

江戸、明治に多かった屋号入りの角印です。
京都の「やまや」さんという屋号でしょうか。
親子二重枠に太細で濃淡を付け、それに加え屋号がいいバランスで、素晴らしい印影です。
こういう素晴らしい印影は、何度見ても飽きないです。

同じ印譜からこちらは隷書体の角印です。
隷書体の特徴である横に伸びた文字が生きる素晴らしい印鑑です。
---------------------------------------------------------
前の2記事でまた印章業界の批判文を書きました。
同業者さんからは「いい加減にしろよな」と思われている事でしょうし、懇意に読んでいただいているお客様も
「またか」と思われている事でしょう。
印章業界の二つの大きな汚点 ( 「開運印鑑」 と 「嘘の手彫り」 ) についての批判はもういい加減出尽くした感がありますが、
それでも私は書き続けます。
ネット上ではデタラメが溢れており、「多勢に無勢」 という感じで私が書く正しい情報が埋もれてしまっているからです。
批判ばかりしていると、嫌われてしまう事は承知しております。
しかし、開運印鑑が溢れ印相体がいい書体であるかの如く宣伝されている現状に、誰か一人でも真実を公表する事が必要です。
私はすぐ例え話を出す癖があり、この例えは適当ではないかも知れませんが、ここで一つ例え話を。
「偽札は、いくら創意工夫しようが偽札に過ぎません」
「 『このお札(偽札)かっこいいですね』 と真札に詳しくない人がいくら評価しようが、偽札は偽札に過ぎません」
当たり前の話ですよね。
印相体を「偽札」に例えてみた話です。
篆書体に美的観点から精通した方なら、印相体を 「かっこいい」 などとは間違っても思わないのですが、大半の消費者様は
篆書体の詳しい知識はありません。
参考として下の画像をご覧下さい。

赤いアンダーラインに 「勝手なくずし方」 とあるのは、印相体が字典を無視して勝手に文字を崩している事に警報を鳴らす
意味で書かれているのです。
印相体を偽札に例えた意味はおわかりいただけますよね。
篆書体は時代や状況とともに形を変え、いろいろな作風も登場しましたが、印相体以外は学術的に認められてきた書体です。
もちろん、中には亜流、我流、装飾性過多で消えてしまった作風もありますが、広く使われている書体の中で学術的な観点で
認められていない書体は印相体だけです。
印相体が学術的に認められないのは、開運商法の商材として作られたものですので、成り立ちからして当然です。
もちろん字典にも歴史的な文献にも載っておりません。 (きちんとした字典・文献を基準とします)
だから 「偽札はいくら工夫してもしょせん偽札に過ぎない」 のと同じなのです。
話は飛びますが、私がネット上で印章業界の実態を公表している関係で、問い合わせは結構多くあります。
その問い合わせのやり取りの中で偶然出た言葉二つがお客様受けが良かったので、ここ最近よく使っています。
その①
「開運印鑑を知るには印相体を知る必要があります」
まさにその通りです。
普通の篆書体や、他の書体(隷書体、楷書体など)で彫られた開運印鑑はありません。
オリジナルまたは吉相体などという名前が付けられている場合もありますが、所詮 「印相体」 の名前を変えただけです。
開運印鑑を知るには、印相体を知る必要があるのです。
自画自賛は醜いと思いますが、お客様とのやり取りの中で生まれた最近のヒットです。
その②
「印相体は即アウト」
これもお客様とのやり取り(電話)の中で、私が思わず言った言葉ですが、このページ(印相体の説明)を見ていただいた方に
「印相体は即アウト」と説明すればそれこそ即わかっていただけます。
またまた自画自賛で恐縮ですが、お客様受けが良かった最近のヒットその2です。
これを多少アレンジして、
「手彫りとして売っていても、ほとんどが機械で彫られています」
「ハンコは文字が命と言っても、それ以前に嘘はいけませんよね」
「間違いは過失ですが、嘘は故意なので即アウトです」
など、アレンジして使っています。
まあ、こんな事を書き続けると、また痺れを切らした同業者さんから中傷されるかも知れませんが、中傷する印相屋さんも
「真実は強し」という事を計算に入れていないようです。
過去何回かネット上で中傷されましたが、私のお店の実名を晒す中傷より 「いつも開運印鑑を批判しているお店があります」
などという、名前こそ書かないものの、「私以外他に誰が居るのか」 と私を特定できる中傷の仕方が大半です。
店名さえ書かなければ、きっと何を書いてもいいと考えての事でしょう。
でも、中傷する印相屋さんは共通して二つの盲点があるんです。
・その一、 半分位は私が書いている内容の紹介ですが、残りの半分位は歪曲な説明をしている事です。
憎き相手である私を中傷するのですから、私を小馬鹿にしたりひねくれた表現で中傷するのです。
印相屋さんサイトを隈なく見る人は印相屋さんに興味がある人でしょうから、仮に中傷を見た10人中9人が印相屋さんの
言う事を信じたとします。
しかし、世の中賢明な人は当然居ります。
私が書いている文章を読みゆくうちに、印相屋さんの中傷が私の文章を歪曲したものだと気付いた瞬間に、印相屋さんの
信用はなくなります。
そこから先は書かなくてもわかりますよね。
・その二 、前述しましたが「真実は強し」です。
以前は私一人がいくら 「印相体は篆書体の慣習を無視したいい加減な形だ」 と強弁してもなかなか信じてもらえませんでした。
しかし、他の識者が公言している資料等をネット上で公開した後は、それを先入観無しにご覧いただいた方が賢明であれば
印相屋さんと私のどちらが正しいか、わかるのです。
やはり真実に勝るものはありません。
嫌いな人(私)を批判するには、少々事実をねじ曲げて伝えたい気持ちはわかりますが、読む側はそんなにバカじゃないんです。
印相屋さんが書く中傷と私が書いている印相体についての詳細をを読み比べ、仮に10人中9人が印相屋さんを信じても、
10人居れば1人ぐらいは 「おかしい」 と気付く人が居ます。
30人居れば3人、100人居れば10人は真実がわかるはずです。
仮にそれが10人中2人でしたら100人居れば20人がわかるはずです。
という事は、私から考えますと、印相屋さんの中傷はそれを読んだ何割かの人には当店の宣伝をしてくれているという
事になります。
その証拠(?)に、(多分)初めて印相屋さんに中傷された4~5年前は、急に注文が増え、「○○というお店が貴店の事を
書いている□□を見ました」 というお客様が多く、印相屋さんの中傷力に驚いたほどです。
私のお店は、地に足が付いた経営で十分ですので、その時は通常のご注文プラス約20名様の注文が数日に集中してしまい
告知している納期を守れず、お客様にご迷惑を掛けてしまう程でした。
「印相屋さんあっぱれ」 という感じでしたが、その後悪質な嫌がらせなどもあり、悪質なものは警察に被害届を出したり
しております。
だいぶ話が逸れましたが、多くの印相屋が誤った情報をネット上にばら撒いている現状では、例え嫌われようと
今後も印相体(開運印鑑)の真実を公開し、嘘の手彫り印鑑を無くす努力を続けていきたいと思います。
で、悪質な嫌がらせは即警察へ。
ここでも「即」という言葉を使ってしまいましたが、最近のヒットは暫く使わせていただきます。

今回は左上の印影から。

江戸、明治に多かった屋号入りの角印です。
京都の「やまや」さんという屋号でしょうか。
親子二重枠に太細で濃淡を付け、それに加え屋号がいいバランスで、素晴らしい印影です。
こういう素晴らしい印影は、何度見ても飽きないです。

同じ印譜からこちらは隷書体の角印です。
隷書体の特徴である横に伸びた文字が生きる素晴らしい印鑑です。
---------------------------------------------------------
前の2記事でまた印章業界の批判文を書きました。
同業者さんからは「いい加減にしろよな」と思われている事でしょうし、懇意に読んでいただいているお客様も
「またか」と思われている事でしょう。
印章業界の二つの大きな汚点 ( 「開運印鑑」 と 「嘘の手彫り」 ) についての批判はもういい加減出尽くした感がありますが、
それでも私は書き続けます。
ネット上ではデタラメが溢れており、「多勢に無勢」 という感じで私が書く正しい情報が埋もれてしまっているからです。
批判ばかりしていると、嫌われてしまう事は承知しております。
しかし、開運印鑑が溢れ印相体がいい書体であるかの如く宣伝されている現状に、誰か一人でも真実を公表する事が必要です。
私はすぐ例え話を出す癖があり、この例えは適当ではないかも知れませんが、ここで一つ例え話を。
「偽札は、いくら創意工夫しようが偽札に過ぎません」
「 『このお札(偽札)かっこいいですね』 と真札に詳しくない人がいくら評価しようが、偽札は偽札に過ぎません」
当たり前の話ですよね。
印相体を「偽札」に例えてみた話です。
篆書体に美的観点から精通した方なら、印相体を 「かっこいい」 などとは間違っても思わないのですが、大半の消費者様は
篆書体の詳しい知識はありません。
参考として下の画像をご覧下さい。

赤いアンダーラインに 「勝手なくずし方」 とあるのは、印相体が字典を無視して勝手に文字を崩している事に警報を鳴らす
意味で書かれているのです。
印相体を偽札に例えた意味はおわかりいただけますよね。
篆書体は時代や状況とともに形を変え、いろいろな作風も登場しましたが、印相体以外は学術的に認められてきた書体です。
もちろん、中には亜流、我流、装飾性過多で消えてしまった作風もありますが、広く使われている書体の中で学術的な観点で
認められていない書体は印相体だけです。
印相体が学術的に認められないのは、開運商法の商材として作られたものですので、成り立ちからして当然です。
もちろん字典にも歴史的な文献にも載っておりません。 (きちんとした字典・文献を基準とします)
だから 「偽札はいくら工夫してもしょせん偽札に過ぎない」 のと同じなのです。
話は飛びますが、私がネット上で印章業界の実態を公表している関係で、問い合わせは結構多くあります。
その問い合わせのやり取りの中で偶然出た言葉二つがお客様受けが良かったので、ここ最近よく使っています。
その①
「開運印鑑を知るには印相体を知る必要があります」
まさにその通りです。
普通の篆書体や、他の書体(隷書体、楷書体など)で彫られた開運印鑑はありません。
オリジナルまたは吉相体などという名前が付けられている場合もありますが、所詮 「印相体」 の名前を変えただけです。
開運印鑑を知るには、印相体を知る必要があるのです。
自画自賛は醜いと思いますが、お客様とのやり取りの中で生まれた最近のヒットです。
その②
「印相体は即アウト」
これもお客様とのやり取り(電話)の中で、私が思わず言った言葉ですが、このページ(印相体の説明)を見ていただいた方に
「印相体は即アウト」と説明すればそれこそ即わかっていただけます。
またまた自画自賛で恐縮ですが、お客様受けが良かった最近のヒットその2です。
これを多少アレンジして、
「手彫りとして売っていても、ほとんどが機械で彫られています」
「ハンコは文字が命と言っても、それ以前に嘘はいけませんよね」
「間違いは過失ですが、嘘は故意なので即アウトです」
など、アレンジして使っています。
まあ、こんな事を書き続けると、また痺れを切らした同業者さんから中傷されるかも知れませんが、中傷する印相屋さんも
「真実は強し」という事を計算に入れていないようです。
過去何回かネット上で中傷されましたが、私のお店の実名を晒す中傷より 「いつも開運印鑑を批判しているお店があります」
などという、名前こそ書かないものの、「私以外他に誰が居るのか」 と私を特定できる中傷の仕方が大半です。
店名さえ書かなければ、きっと何を書いてもいいと考えての事でしょう。
でも、中傷する印相屋さんは共通して二つの盲点があるんです。
・その一、 半分位は私が書いている内容の紹介ですが、残りの半分位は歪曲な説明をしている事です。
憎き相手である私を中傷するのですから、私を小馬鹿にしたりひねくれた表現で中傷するのです。
印相屋さんサイトを隈なく見る人は印相屋さんに興味がある人でしょうから、仮に中傷を見た10人中9人が印相屋さんの
言う事を信じたとします。
しかし、世の中賢明な人は当然居ります。
私が書いている文章を読みゆくうちに、印相屋さんの中傷が私の文章を歪曲したものだと気付いた瞬間に、印相屋さんの
信用はなくなります。
そこから先は書かなくてもわかりますよね。
・その二 、前述しましたが「真実は強し」です。
以前は私一人がいくら 「印相体は篆書体の慣習を無視したいい加減な形だ」 と強弁してもなかなか信じてもらえませんでした。
しかし、他の識者が公言している資料等をネット上で公開した後は、それを先入観無しにご覧いただいた方が賢明であれば
印相屋さんと私のどちらが正しいか、わかるのです。
やはり真実に勝るものはありません。
嫌いな人(私)を批判するには、少々事実をねじ曲げて伝えたい気持ちはわかりますが、読む側はそんなにバカじゃないんです。
印相屋さんが書く中傷と私が書いている印相体についての詳細をを読み比べ、仮に10人中9人が印相屋さんを信じても、
10人居れば1人ぐらいは 「おかしい」 と気付く人が居ます。
30人居れば3人、100人居れば10人は真実がわかるはずです。
仮にそれが10人中2人でしたら100人居れば20人がわかるはずです。
という事は、私から考えますと、印相屋さんの中傷はそれを読んだ何割かの人には当店の宣伝をしてくれているという
事になります。
その証拠(?)に、(多分)初めて印相屋さんに中傷された4~5年前は、急に注文が増え、「○○というお店が貴店の事を
書いている□□を見ました」 というお客様が多く、印相屋さんの中傷力に驚いたほどです。
私のお店は、地に足が付いた経営で十分ですので、その時は通常のご注文プラス約20名様の注文が数日に集中してしまい
告知している納期を守れず、お客様にご迷惑を掛けてしまう程でした。
「印相屋さんあっぱれ」 という感じでしたが、その後悪質な嫌がらせなどもあり、悪質なものは警察に被害届を出したり
しております。
だいぶ話が逸れましたが、多くの印相屋が誤った情報をネット上にばら撒いている現状では、例え嫌われようと
今後も印相体(開運印鑑)の真実を公開し、嘘の手彫り印鑑を無くす努力を続けていきたいと思います。
で、悪質な嫌がらせは即警察へ。
ここでも「即」という言葉を使ってしまいましたが、最近のヒットは暫く使わせていただきます。
江戸時代の御印鑑扣(控)
天保六年の御印鑑扣(控)で、このブログでは二度目の紹介となります。

江戸時代の荷物貫目改所の通行手形のような書類だと思いますが、私が破ってしまったのではありません。
天保六年からの約180年間のうちに何か(ネズミ?)の状況で破損してしまったものです。
印章資料としては貴重なものだと思いますが、残念でなりません。
残念がっても仕方ないので、前回の続きを紹介させていただきます。

破損が無く、印影が鮮明であれば店頭に飾っておきたい素晴らしい柳葉篆です。
柳葉篆の場合は細枠(細輪)にする場合が多いのですが、太枠(中輪)も似合っています。

向かって左から。

印影が薄いのが残念ですが「岩淵改」

こちらは「内藤新宿改」
右に2文字、左に3文字ですが、違和感を与えない素晴らしい字配りで、「内」の崩しなんか素敵ですね。

こちらは向かって右側のページ。
印影の上に「印鑑」と書かれておりますが、この作風は江戸時代の特徴的な作風で、特に「印」の字が個性的です。
こうして見てみると恐らく同じ職人が彫った事がわかりますね。
それぞれの宿で彫るのではなく、通行手形の様な役割をしていたので、江戸幕府がまとめて印判師に彫らせていたのでしょう。
(これらは推測です)

「上板橋改」
こちらも江戸時代の宿場街です。

印影が欠損しておりますが、かろうじて文字には掛かっていないのが不幸中の幸いです。
印影も鮮明で柳葉篆及び江戸印判師の腕の良さが際立つ印影です。

この様な大きな印章は彫刻技術のみを考えると、難易なものではありません。
(もちろん大きいので彫る作業に時間は要しますが)
腕の良さとは手先の彫刻技術のみの事ではなく、印章で重要な「文字」にもあります。
模刻、模写、形臨ではなく、この様な素晴らしい柳葉篆の作風を考え文字にする事は、一流の職人にしか出来ない
技術ではないかと思います。
ブログ編集者

江戸時代の荷物貫目改所の通行手形のような書類だと思いますが、私が破ってしまったのではありません。
天保六年からの約180年間のうちに何か(ネズミ?)の状況で破損してしまったものです。
印章資料としては貴重なものだと思いますが、残念でなりません。
残念がっても仕方ないので、前回の続きを紹介させていただきます。

破損が無く、印影が鮮明であれば店頭に飾っておきたい素晴らしい柳葉篆です。
柳葉篆の場合は細枠(細輪)にする場合が多いのですが、太枠(中輪)も似合っています。

向かって左から。

印影が薄いのが残念ですが「岩淵改」

こちらは「内藤新宿改」
右に2文字、左に3文字ですが、違和感を与えない素晴らしい字配りで、「内」の崩しなんか素敵ですね。

こちらは向かって右側のページ。
印影の上に「印鑑」と書かれておりますが、この作風は江戸時代の特徴的な作風で、特に「印」の字が個性的です。
こうして見てみると恐らく同じ職人が彫った事がわかりますね。
それぞれの宿で彫るのではなく、通行手形の様な役割をしていたので、江戸幕府がまとめて印判師に彫らせていたのでしょう。
(これらは推測です)

「上板橋改」
こちらも江戸時代の宿場街です。

印影が欠損しておりますが、かろうじて文字には掛かっていないのが不幸中の幸いです。
印影も鮮明で柳葉篆及び江戸印判師の腕の良さが際立つ印影です。

この様な大きな印章は彫刻技術のみを考えると、難易なものではありません。
(もちろん大きいので彫る作業に時間は要しますが)
腕の良さとは手先の彫刻技術のみの事ではなく、印章で重要な「文字」にもあります。
模刻、模写、形臨ではなく、この様な素晴らしい柳葉篆の作風を考え文字にする事は、一流の職人にしか出来ない
技術ではないかと思います。
ブログ編集者