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小判型二重枠 横

新年明けましておめでとうございます。

今年の最初は明治時代の印譜からです。

手彫り印鑑

今回二つ失敗してしまいました。

一つは、印譜のページをとってしまった、いえ、わざとではないので「とった」のではなく「とれてしまった」のですが、

繋がっている部分がとれて、印譜がバラバラになってしまいました。

二つ目の失敗は、そのとれた部分を安易にセロハンテープで着けてしまった事です。

半紙などで再生すると、再びとれてしまうだろうと考え、セロハンテープでやむを得ずと考えた結果ですが、

貼った後で「失敗」と気付きました。

手彫り印鑑

その写真がこれです。

主人公は中心の小判型印影なのですが、セロハンテープが目立ってしまっています。

個性的な文字に素晴らしい小判型親子二重枠の印影ですが、どうも左のセロハンテープが気になってしまいます。

これ程の細かい二重枠は、素晴らしい技術なんですけどね。

手彫り印鑑

結構大きな小判型印鑑です。

手彫り印鑑

続いてこちらは畳篆風の割印です。

太枠・細字に畳篆(風)の素晴らしい印鑑です。

手彫り印鑑

最後はこちらの角印。

裁判所の公印のようですね。


ブログ編集者

親子二重枠

明治時代の実務印 印譜からです。

手彫り印鑑

本日紹介させていただく印影は、下段右から二番目の印影です。

手彫り印鑑

親子二重枠でも、重厚感のある太枠ですね。

今は印章字林によりひらがなの篆書体も作られていますが、それ以前のひらがなは楷書体が多かったです。

フルネーム印の場合、漢字部分が篆書体で、ひらがな部分が楷書体という書体を混ぜた作風もありました。

「ついでに写ってしまった」といったらご本人様に大変失礼な言葉ですが、右側の印影は画数(文字の混み具合)

が少ない文字も、折り畳みによって違和感無く仕上げる作風で、中輪(太枠細字)細篆書体です。

ありきたりの言葉ですが、古き良き時代の素晴らしい印影です。


ブログ編集者

明治初期の印譜から

いつもブログタイトルは似てしまいますが、同じ明治時代の印譜でも、明治初期の貴重な印譜からです。

(この印譜自体は江戸末期からのものです)

手彫り印鑑印譜

右の方に黒い線が見えるのは虫喰いの跡です。

穴があいてしまっているのは残念ですが、100年以上前の印章店の印譜が残されているだけでも貴重な事

ですのでこの位は仕方ないと考えております。

明治初期の手彫り印鑑印譜

太枠(中輪)細篆書体の印影です。

太枠細字の場合は文字を枠から離す(枠の内側に字配りする)のが一般的ですが、中にはこのように印面一杯に

字配りするタイプもありました。

明治初期の手彫り印鑑印譜

「七捨五積」・・・

意味はわかりそうでわかりません。

六の場合はどうするのでしょうか。

明治初期の手彫り印鑑印譜

これは女性の印鑑ですね。

私のお店の宣伝で恐縮ですが、電話やメール等でご相談いただければ、この様な字配りも問題なくお承りさせて

いただきます。

フルネーム印という事で、料金は実印のお値段となります。

明治初期の手彫り印鑑印譜

こちらは楷書体の回文印鑑です。

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今回の「趣味のコーナー(仮題)」は特段記事にするほどの事でも無いのですが、「週末郊外散策」の帰り道

夕日がきれいでしたので写真だけでも・・

手彫り印鑑ブログの写真

冬の田園風景はちょっと寂しいものがありますが、春夏秋冬あっての「日本の良き風景」だと思いますし、

仮に一年中夏だったら季節の楽しみが味わえませんので、冬は冬でその良さを楽しむ事としましょう。

(実は私は「郊外散策」冬の楽しみもあるのですが、写真を撮らなかったので次回にでも・・・)

手彫り印鑑ブログの写真

空気の澄みわたった冬の夕日は格別な景色ですね。

いえ、写真は大した事ありませんが、実際はこの何倍も綺麗な風景でした。

手彫り印鑑ブログの写真

夕日の綺麗な場所を探して出掛けた訳ではなく、普通に帰ってきただけなのですが、こんな景色をタダで見ながら

帰れる「郊外散策」、仕事も大切ですが、息抜きも大切だと思います。

ブログ編集者

陵墓印 (8)

戦前の天皇陵墓印です (現在使用されている印章の印影ではありません)

御朱印 陵墓印


御朱印 陵墓印
第22代 清寧天皇(せいねいてんのう) 河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)


御朱印 陵墓印
第23代 顯宗天皇(けんぞうてんのう) 傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)

雲入り前方後円墳型の印影で、現在使用されているものとは大きく雰囲気が異なり、自由な発想に基づく作風で

いかにも天皇陵墓印という雰囲気が感じられます。


御朱印 陵墓印
第24代 仁賢天皇(にんけんてんのう)埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)


御朱印 陵墓印
第25代 武烈天皇(ぶれつてんのう) 傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)

角型、親子二重枠に素晴らしい印篆という三拍子揃った素晴らしい印影です。

角印、二重枠、太枠が「凶印です」などと言っている印相屋さんは、天皇陵墓印をどう語るのでしょうか。

最後はいつもと同じお決まりの言葉で失礼致しました。


ブログ編集者

三井親和

今回は実務的印章ではなく、篆刻です。

以前に何度か紹介しました江戸時代の書家:三井親和の実押印影です。

三井親和 印影
印文は号である「龍湖」です。


三井親和は篆書、隷書、楷書、行書、草書など、あらゆる書体に精通した書家として有名ですが、何と言っても

「親和染」で知られる篆書体が一番素晴らしいと言っても過言ではないと私は思います。

そして三井親和といえば笹文字、柳葉篆である大篆風篆書体の書の第一人者ではないかと私見では

考えております。(上の印影は大篆風ではありません。 また、印章ではなく書についてです)


今回の余談コーナーは三井親和の揮毫した石碑:庚申塚です。

三井親和 石碑

書道誌に精通している方であれば、「あの石碑だ」とピンとくると思います。

夜に訪問したかのような写真ですが、時間は夕方五時半頃です。

この季節は早々と暗くなってしまいますので、懐中電灯を持って神社内に・・・

ここは近所に駐車スペースも無く、書道誌や他の資料を見ますと、神社ではあるものの個人の敷地内であるかも

知れませんので、今回場所は伏せさせていただきます。

とはいえ、誰もが参拝出来る造りですので、あからさまな民家の敷地に無断侵入した感じとは異なりますので、

誤解のないようお願いします。

篆書体の終筆が、まるで笹の葉か柳の葉であるかの如くの文字、これこそ今体(今體)派の笹文字・柳葉篆↑です。

p1935.jpg

懐中電灯を照らしての撮影ですので少々怪しい雰囲気の写真になってしまいましたが、「三井親和」と彫られています。

三井親和 石碑

三井親和の落款も見る事ができます。

ただ、この石碑は三井親和の没後78年後に建てられたとの記録がありますので、既存の庚申塚から拓本をとり

復元したものか、または庚申塚用の書からとったものと思われます。

(私は石碑の専門家ではありませんが、通常石碑は揮毫した人と彫る人は別です)



この神社、石碑だけで大小100個以上、恐らく200個近くはあるのではないでしょうか。

異様な雰囲気、いえ失礼、他ではなかなか見られない雰囲気の神社で、住宅地にあるからいいものの

仮に山の中に建っていたとしたら、なかなか近寄り難い雰囲気を醸し出しております。


これは同じ神社の他の石碑です。
篆書 石碑
様々な書体で彫られており、中には九畳篆(中国名 上方大篆)で彫られた文字もありました。

篆書 石碑
石碑好き、篆書体好きの人にはたまりません。


これはまた別の石碑です。
青面王 篆書 石碑
彫刻文字は青面王。

真冬の寒い中、しかも真っ暗闇の中での石碑探索で風邪をひいてしまっては大変ですので、今回はこの辺で。

私は二度目の訪問でした。

三井親和に関する過去の記事はこちらこちら(後半)です。


ブログ編集者

写真

すっかりお馴染となりました「手彫り印鑑」の彫刻工程写真です。

まずはブログ掲載をお許しいただいたご厚意に心から御礼申し上げます。

手彫り印鑑

印章は丸型ですが、字割り線は四角くなっているのはご覧いただければわかると思います。

印章店の人からは 「何当たり前の事書いているんだ?」 と嘲笑されてしまいそうな事ですが、先日お客様から

「へ~丸いハンコでも文字の割り振りは四角くするんですね~」と言われ、「印章店の視点」 と 「お客様の視点」

の違いがわかり、参考になりました。 (注 この印鑑をご注文いただいたお客様との会話ではありません)


作風や職人による違いはありますが、印章文字は四角いマスにおさめて割り振るのが一般的です。

そして、四角に合う文字と言えば、方形(角)印に合わせて発展したこの印篆です。 

(もちろん好みや文字の形により違いはありますが)

手彫り印鑑

少々角ばった作風、そして一番下のこの曲線(「フ」を左右に書いた様な部分)こそ印篆の特徴です。

角ばってはいますが、決して単調ではなく適所に的確なカーブを入れ、終筆(各線の終わりの部分)の角度も最適な

形を考えて作るのが、いい印章の条件です。

手彫り印鑑

毎回同じ説明で恐縮ですが、枠どりから彫り始めるのが手彫り印鑑の基本です。

手彫り印鑑


手彫り印鑑

印材は象牙なので、手彫りが進んでいく過程は白くて凹凸がわかりづらいですが、文字の端部分の陰で

おわかりいただけるかと思います。

手彫り印鑑


手彫り印鑑


仕上げ彫りがしやすいように墨を打ち直して、最終工程の「仕上げ」です。
手彫り印鑑

前述した「終筆の角度」、その場所ごとの微妙な違い、おわかりいただけるでしょうか。





印章店主としての私見ですが、インターネット上で手彫り印鑑として販売されているハンコの99.9%は

手彫りされておりません。

手彫り印鑑を注文する際は、よく確認しましょう。

詳しくはこちら→ 手彫り印鑑の写真 をご覧下さい。




手作り印鑑ケース、手彫り印鑑の店

今體派

江戸時代の書状から。

何度か江戸時代の印影を紹介させていただきましたが、今回は今まで紹介した中でで最も古い印影だと思います。

手彫り印鑑 今體派

この書状、印影のみでなく、素晴らしい筆(文字)がひときわ光る古文書です。

手彫り印鑑 今體派

大きな書状です。

バックの色の違いは気にしないで、30センチの物差しと比べてみて下さい。

手彫り印鑑 今體派

実は包み紙と書状に分かれております。

上の2枚は包みの写真です。

手彫り印鑑 今體派

どうです? この作風。

ところどころ虫喰いが発生しているのが残念ですが、江戸時代中期の書状ですから、この位仕方無い事だと思います。

手彫り印鑑 今體派

訳は勘弁させていただき、ここは美しい文字の形をご覧下さい。

このまま印章にしても、この草書体の素晴らしさは再現できないところが書と印の違いです。

手彫り印鑑 今體派


手彫り印鑑 今體派

この書状の明和三年というと1766年です。

獨立や心越の渡来によって中国流の篆刻が伝わり、江戸で開眼した近代の日本篆刻である今體派(きんたいは)が

高芙蓉の登場によりそれまでの今體派の作風が雑體と否定され、徐々に古體派(こたいは)が主流となります。

と、突然偉そうな事を書いてしまいましたが、これはもちろん資料を基に書いたものです。

資料ついでにもう少々続けます。

獨立    1596-1772
心越    1639-1695
細井廣澤 1658-1735
池永一峯 1665-1737
三井親和 1700-1782
高芙蓉   1722-1784  (明和三年=1766年)

著名な書家・篆刻家を古い順に書きましたが、三井親和までが今體派で高芙蓉は前述の通り古體派です。

その高芙蓉は20歳頃に名が知られる様になったそうですから、1722年生まれ+20歳=1742年頃

という事になります。

この記事の印章が誰によっていつ頃彫られたのかは、この書状からではわかりません。

しかし、年表的にみると古體派の時代だったかのようですが、作風は明らかに笹文字の今體派です。

まあ、印章は数十年前に彫られていたものかも知れませんが、それよりも高芙蓉が現れ、年表に線を引いたかの如く

急に今體派が否定されてしまったのではなく、古體派が全盛になるまでは盛んに彫られていたとの記述が資料には

あります。

ですので、下の印影はリアルタイムの今體派印章の印影と言えると思います。

手彫り印鑑 今體派(今体派)

「ところで貴方今まで 『今體派が素晴らしい』 と散々書いていたけど、古體派に否定されたってどういう事?」 

「今體派の 『雑體』 って何? いい加減な文字だったの?」 と思われる方も居らっしゃる事でしょう。

また、「よく調べたら、古體派の方が古い印章文字を基にした正統派の印章なんでしょ?」 と過大解釈をされて

しまう方も居らっしゃるかも知れません。

確かに今は古體派を好む方が多いかも知れませんし、今體派の当時は「新しい作風」という事だったようです。

でも、新しい作風と言ってもあくまでも江戸初期当時の「新しい」ですよ。

今となっては十分昔の作風です。

そして、何よりも今體派の篆書体は笹文字である大篆風の刀法が用いられている事が特徴です。

大篆というのは小篆よりも古い時代の篆書体です。

決して新しい奇抜なスタイルではないのです。

手彫り印鑑 今體派

後に古體派勢に否定されてしまう今體派ですが、それが逆に今となっては幻の作風と言えると思います。

ちょっと大げさでしょうか。

ブログ編集者

御条目五人組御仕置帳

寛政9年(1797年)の御条目五人組御仕置帳の続きです。

前の記事(今體派)の書状の発行日から約30年後の書類です。

江戸時代当時の30年というのは、どんなスピードで時代が進んでいたのでしょうか。

御条目五人組御仕置帳の手彫り印鑑

御条目五人組御仕置帳の手彫り印鑑

本日紹介するのはこのページです。

御条目五人組御仕置帳の手彫り印鑑

「弘法は筆を選ばず」という諺がありますが、悪い状態の筆ではこの切れ味は出ないと思います。

絶妙な筆使いがこの書類も引き立っております。

御条目五人組御仕置帳の手彫り印鑑

一番右は唐草の名残りがある作風です。

残念ながらどれも印文の判読は困難です。

御条目五人組御仕置帳の手彫り印鑑


御条目五人組御仕置帳の手彫り印鑑

こちらは向かって左側のページです。

御条目五人組御仕置帳の手彫り印鑑

小判型印鑑と唐草模様入りの印影で、文字もしっかりとした印篆で、素晴らしい印影です。

御条目五人組御仕置帳の手彫り印鑑

江戸時代の庶民の印鑑には「寶」という印文が多いです。(右)

向かって左側の印影は、これも実は左右に唐草模様の名残りが入れられている印影です。


五人組帳の印影は江戸時代の庶民のものですので、朱肉で押された印影はありません。

黒肉(墨で押された印鑑も多かったらしいです)で押された印影もそれはそれで情緒があっていいものですが、

印鑑はやはり朱肉で押されたものが美しいかと思います。

という事で、黒肉印影ばかりですと「つまらない」と言われてしまいそうですので、続いて明治時代後期の印譜から。

明治時代の手彫り印鑑



明治時代の手彫り印鑑

中輪細篆書体(太枠・細字)の実印と細輪二重枠の草書体角印。

ありきたりの言葉しか思い浮かびませんが、どちらも素晴らしい印影です。


ブログ編集者




印章技術競技会の受賞作品

随分と久しぶりの紹介となってしまいましたが、これは約80年前に開かれた印章技術競技会(展覧会)の

受賞作品です。

篆刻専門家ではなく、巷の印章店の職人の技術競技会作品です。

久しぶりの紹介ですので、どの印影を紹介したか、記憶があやふやになってしまったので、最初の印影からの

紹介とさせていただきます。

手彫り印鑑技術競技会受賞作品

技術競技会(展覧会)作品は皆素晴らしいので、私が評価したり「素晴らしいですね」という言葉を繰り返すより、

今回は写真中心としましょう。

手彫り印鑑技術競技会受賞作品


手彫り印鑑技術競技会受賞作品



手彫り印鑑技術競技会受賞作品
こちらは再登場の百壽図です。

その名の通り壽という文字が百個ある図(印影)です。

すみません。 下の方がちょっとピンボケしてしまいました。

手彫り印鑑技術競技会受賞作品


手彫り印鑑技術競技会受賞作品

斑点上の模様はカビではなく、下地の箔が経年劣化で茶色くなってしまったものです。

手彫り印鑑技術競技会受賞作品


手彫り印鑑技術競技会受賞作品



手彫り印鑑技術競技会受賞作品


今の篆刻はこのようなスッキリとした作風はほとんどありませんが、いい物は年月が経ってもいい物ですね。

やはり「素晴らしい」という言葉が出てしまいます。

ブログ編集者




朱印と黒印

何度も紹介させていただいている江戸時代後期から明治時代初期までの実務印印譜です。

明治初期の手彫り印鑑

明治初期の手彫り印鑑


先日 「黒肉で押された印影もそれはそれで情緒があっていいものですが、印鑑はやはり朱肉で押されたものが

美しいかと思います」と書いた言葉の前半についてです。

(印泥で押されたものもあるかも知れませんが、ここでは特別な事がない限り朱肉・黒肉と表現させていただきます)

いいハンコの朱肉で丁寧に押された印影は、それはそれは大変美しいものです。

しかし、私見ではあるものの、黒肉の方が似合う印影も中にはあります。

それは黒肉で押される事が普通だった書類に押される場合及びその様な作風の印章です。

明治初期の手彫り印鑑

中央の折り目を堺に左右にある大型の印影をご覧下さい。

もう私が何を言いたいのかおわかりですよね。

明治初期の手彫り印鑑

屋号は朱の付きが不十分なのが残念ですが、江戸情緒たっぷりの唐草模様はハッキリ写っています。

私の大好きな作風で、この印影だけで一つの記事を書きたい位好きな作風です。

何気に周囲に押されている印影も古式の伝統的な作風で、この印譜を見ているだけで私は時間を忘れそうです。

明治初期の手彫り印鑑

もう一つはこちら。

同じ印影で黒肉と朱肉で押されたものがあれば正当に比較できたのですが、それは無いので似た作風で比較します。

朱肉と黒肉、どちらで押した方がいいか、理屈は後回しにして直感ではどうでしょうか。

この様な作風の印章は、私は黒肉で押された方が好きですね。

朱色より黒の方が濃い色ですので、必然的にハッキリ見える事は間違いありません。

それなら個人の印章も黒肉で押された方がいいか?

答えは「状況によって良否は変わる」です。   (もちろん私見です)

状況とは。

例えば江戸時代の五人組台帳押されている印影が、朱肉で押されていたらどうでしょうか。

私は黒肉で押されているべき書類は、やはり黒肉が似合うと思います。

一方、現代の事務的な書類の印影が黒肉で押されていたらどうでしょうか。

やはり現代の書類に押す印章は、朱肉で押された印影が美しいと思います。

現代と江戸時代でハッキリと二分される訳でなく、それぞれの状況によって多少は変わりますが、

印影は、その書類と印章の作風によって朱肉で押した方が美しいか、黒肉で押した方が美しいかが分かれると思います。

明治初期の手彫り印鑑


たまにはこんなリンクを↓

印相体とは

印相体をネット上で一番正確に説明しているページです。
プロフィール

Author:三代目印章店主
古い手彫り印鑑の印影資料を中心に印相体撲滅に向けてマイペースで記事を書きます。

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