明治印譜 (小判型・親子二重枠・柳葉篆)
再登場の印影が続いていましたが・・・という事は前記事で書きましたが、決して資料切れではありません。
今回も明治時代の実務印 印譜から。

「一日一印影の紹介」が目標と何度も書いてきましたが、今ではすっかり口先だけになってしまっております。
この印譜だけでも一日一印影ずつなら、かなり長くブログを続けていけそうなのですが、なかなか毎日
ブログの更新は出来ないので、そうなるとつい欲が出てまとめての紹介となってしまいます。
という事で、今回は多目に紹介させていただきます。
(黄色と水色の付箋は気になる印影のページに付けたものですので、それらはいずれ紹介させていただきます)
1
今まで記憶だけを頼りにランダムで紹介していた為、この印譜内のどれとどれをブログに載せたか、いまは大分
曖昧になってしまったので、今回は一番上の印譜の始めのページから。


このブログを懇意にしていただいている方は「太枠(右側)は運気が入らず良くない」など言う人は居ませんよね。
そういう事を言うのは、ペテン師印相屋さんだけでしょう。

久しぶりとはいえ「印相屋」という縁起の悪い言葉を使ってしまいましたので、お口直しに古き良き時代の
素晴らしい印影を続けます。

両方とも太枠ですが、右側は親子枠ですね。
今は二重枠では印鑑登録出来ない自治体もありますが、印章としては素晴らしいものです。
(もちろん二重枠でも印鑑登録可能な自治体もあります)
私のお店では親子枠でも細輪二重枠でも、どちらもお承りさせていただきます(恐縮ですがお値段は変わります)



別に珍しい印影をピックアップしているのではありませんよ。
印譜の最初のページを順番に載せているだけです。
左は笹文字の柳葉篆ですね。
今体派ですね、キンタイハ。

姓一文字、お名前二文字は印篆が一番似合います。
一枚の紙で続いている印譜ですので、本日はこの辺で。
ブログ編集者
今回も明治時代の実務印 印譜から。

「一日一印影の紹介」が目標と何度も書いてきましたが、今ではすっかり口先だけになってしまっております。
この印譜だけでも一日一印影ずつなら、かなり長くブログを続けていけそうなのですが、なかなか毎日
ブログの更新は出来ないので、そうなるとつい欲が出てまとめての紹介となってしまいます。
という事で、今回は多目に紹介させていただきます。
(黄色と水色の付箋は気になる印影のページに付けたものですので、それらはいずれ紹介させていただきます)

今まで記憶だけを頼りにランダムで紹介していた為、この印譜内のどれとどれをブログに載せたか、いまは大分
曖昧になってしまったので、今回は一番上の印譜の始めのページから。


このブログを懇意にしていただいている方は「太枠(右側)は運気が入らず良くない」など言う人は居ませんよね。
そういう事を言うのは、ペテン師印相屋さんだけでしょう。

久しぶりとはいえ「印相屋」という縁起の悪い言葉を使ってしまいましたので、お口直しに古き良き時代の
素晴らしい印影を続けます。

両方とも太枠ですが、右側は親子枠ですね。
今は二重枠では印鑑登録出来ない自治体もありますが、印章としては素晴らしいものです。
(もちろん二重枠でも印鑑登録可能な自治体もあります)
私のお店では親子枠でも細輪二重枠でも、どちらもお承りさせていただきます(恐縮ですがお値段は変わります)



別に珍しい印影をピックアップしているのではありませんよ。
印譜の最初のページを順番に載せているだけです。
左は笹文字の柳葉篆ですね。
今体派ですね、キンタイハ。

姓一文字、お名前二文字は印篆が一番似合います。
一枚の紙で続いている印譜ですので、本日はこの辺で。
ブログ編集者
関野香雲展
先日銀座の老舗さんで開催された関野香雲展に行ってきました。
知人でも弟子でもないのに「関野香雲先生」と言うのは図々しい気がしますし、「関野香雲さん」ですと慣れなれしいでので
あえて敬称は付けません。 (まあ、そんな前置きはどうでもいいでしょうけど)
偉大な篆刻家(書家)の作品は見るだけで勉強になります。
(すみませんが関野香雲展の写真はありません)
画廊のビル入り口で関野香雲のお弟子さんの先生とバッタリ。
私、印章業界では知人の少ない方だと思いますので、展示品を見る前から何か得をした気分になったりして・・・
先生は帰るところでしたので少ししか話はできませんでしたが、気分上々でいざ画廊へ。
いや~ 素晴らしかったです。
今はインターネットで昼夜問わず多くの事を調べる事が出来る便利な時代になりましたが、やはり実物には
到底及びませんね。(当たり前ですが)
画像検索で「関野香雲」 「関野香雲 篆刻」 「関野香雲 書」を調べてみても、ほんの一部の印影が見られるだけです。
関野香雲を知らない方には、印影写真で紹介できず、思わせ振りな文章で申し訳ございませんが、ホントに来て
良かったです。
じっくり2周ぐらい見ましたが、何と見覚えのある印影を発見!

ちなみにこれは私のお店にある印譜です。 (関野香雲展の写真ではありません)
写真右側の日付から昭和6年のものである事がわかります。

出雲大社の御朱印です。
実はこの作風、素晴らしいなと前から思っていたのですが、何と関野香雲の作品だったのですね。
印影と印章(鋳造印でした)が展示されていました。
こちらは「出雲大社 御朱印」で画像検索すると沢山見る事ができますが、実押印影を見たい方は当店まで(笑)
ここで当店にある江戸時代の印譜を。

本日は左下を紹介。

関野香雲展が開催されていた老舗さんと同名の印影を発見。(印文から推測するとおそらく同一だと思います)
いや本当に素晴らしいものをありがとうございました。
知人でも弟子でもないのに「関野香雲先生」と言うのは図々しい気がしますし、「関野香雲さん」ですと慣れなれしいでので
あえて敬称は付けません。 (まあ、そんな前置きはどうでもいいでしょうけど)
偉大な篆刻家(書家)の作品は見るだけで勉強になります。
(すみませんが関野香雲展の写真はありません)
画廊のビル入り口で関野香雲のお弟子さんの先生とバッタリ。
私、印章業界では知人の少ない方だと思いますので、展示品を見る前から何か得をした気分になったりして・・・
先生は帰るところでしたので少ししか話はできませんでしたが、気分上々でいざ画廊へ。
いや~ 素晴らしかったです。
今はインターネットで昼夜問わず多くの事を調べる事が出来る便利な時代になりましたが、やはり実物には
到底及びませんね。(当たり前ですが)
画像検索で「関野香雲」 「関野香雲 篆刻」 「関野香雲 書」を調べてみても、ほんの一部の印影が見られるだけです。
関野香雲を知らない方には、印影写真で紹介できず、思わせ振りな文章で申し訳ございませんが、ホントに来て
良かったです。
じっくり2周ぐらい見ましたが、何と見覚えのある印影を発見!

ちなみにこれは私のお店にある印譜です。 (関野香雲展の写真ではありません)
写真右側の日付から昭和6年のものである事がわかります。

出雲大社の御朱印です。
実はこの作風、素晴らしいなと前から思っていたのですが、何と関野香雲の作品だったのですね。
印影と印章(鋳造印でした)が展示されていました。
こちらは「出雲大社 御朱印」で画像検索すると沢山見る事ができますが、実押印影を見たい方は当店まで(笑)
ここで当店にある江戸時代の印譜を。

本日は左下を紹介。

関野香雲展が開催されていた老舗さんと同名の印影を発見。(印文から推測するとおそらく同一だと思います)
いや本当に素晴らしいものをありがとうございました。
古印体
相変わらず明治時代の印譜からです。
明治時代ばかりですが、印譜自体はいろいろなそれぞれ別のものからランダムで紹介しております。
まあ、そのランダムが混同してしまう原因なのですが・・・

今日は向かって右側のページ、左列の上から二番目の印影を紹介させていただきます。

公印のようですね。
古印体は印文(印影文字)が読みやすいので、そのまま検索してみました。
さすが公印、奈良県吉野郡の四郷村というところの村長さんで、実在した方だったんですね。(当たり前ですが)
あくまでもネット情報ですが、このブログと馴染み深い副島種臣も関係あるようです。
これも何かの縁でしょうか。
ブログ編集者
明治時代ばかりですが、印譜自体はいろいろなそれぞれ別のものからランダムで紹介しております。
まあ、そのランダムが混同してしまう原因なのですが・・・

今日は向かって右側のページ、左列の上から二番目の印影を紹介させていただきます。

公印のようですね。
古印体は印文(印影文字)が読みやすいので、そのまま検索してみました。
さすが公印、奈良県吉野郡の四郷村というところの村長さんで、実在した方だったんですね。(当たり前ですが)
あくまでもネット情報ですが、このブログと馴染み深い副島種臣も関係あるようです。
これも何かの縁でしょうか。
ブログ編集者
御朱印 (畳篆・本能寺ほか)
更新がすっかりご無沙汰になってしまっておりましたが、年末はどこの印章店も忙しいものですので
ご容赦下さい。
少々体調も崩してしましましたので、今回はほぼ写真のみの記事で。
戦前の御朱印帳からです。




これは有名なあのお寺ですね。
お寺のホームページを見ますと、焼失の10年後に再建されたそうです。



印文の判読は困難ですが、今はほとんど彫られていない畳篆、私の大好きな作風です。
ブログ編集者
ご容赦下さい。
少々体調も崩してしましましたので、今回はほぼ写真のみの記事で。
戦前の御朱印帳からです。




これは有名なあのお寺ですね。
お寺のホームページを見ますと、焼失の10年後に再建されたそうです。



印文の判読は困難ですが、今はほとんど彫られていない畳篆、私の大好きな作風です。
ブログ編集者
印鑑簿
明治時代の印鑑簿 続編です。
何回か説明させていただきましたが、この印鑑簿は印影が少ないので、一回に一印影の紹介とさせていただきます。
勿体ぶって申し訳ございませんが、何せ印影が少ないので・・・


今回は一番右の印影を紹介させていただきます。

典型的な太枠細字(中輪細篆書体)です。
単に篆書体を細くしただけではありません。
向かって左側(名前部分)中央と下の「崩し」が、今はほとんど使われない崩しです。
変わってこちらは別の印譜から御朱印です。

出雲大社の御朱印のようです。

笹文字または柳葉篆と呼ばれる作風ですね。
「笹文字」「柳葉篆」と言えばいつもでしたら大篆風といいたいことろですが、文字の形からして大篆風という
雰囲気ではありません。
3記事前に紹介した出雲大社の御朱印とは、作者が異なる様な気がしますが、どうなんでしょうか。
左右に十分空間をとり、中央縦に文字を配置し、その左右に対称的な文字を配置する字配り。
私の言葉ではわかりづらいでしょうが、要はこの印影の様な字配りの事ですが、この字配りは昔の大型印に
多かった作風です。
またの機会に別の印影を紹介させていただこうかと思います。
昭和の「昭」の字が写真から欠けてしまいましたが、昭和7年の印影です。
ブログ編集者
何回か説明させていただきましたが、この印鑑簿は印影が少ないので、一回に一印影の紹介とさせていただきます。
勿体ぶって申し訳ございませんが、何せ印影が少ないので・・・


今回は一番右の印影を紹介させていただきます。

典型的な太枠細字(中輪細篆書体)です。
単に篆書体を細くしただけではありません。
向かって左側(名前部分)中央と下の「崩し」が、今はほとんど使われない崩しです。
変わってこちらは別の印譜から御朱印です。

出雲大社の御朱印のようです。

笹文字または柳葉篆と呼ばれる作風ですね。
「笹文字」「柳葉篆」と言えばいつもでしたら大篆風といいたいことろですが、文字の形からして大篆風という
雰囲気ではありません。
3記事前に紹介した出雲大社の御朱印とは、作者が異なる様な気がしますが、どうなんでしょうか。
左右に十分空間をとり、中央縦に文字を配置し、その左右に対称的な文字を配置する字配り。
私の言葉ではわかりづらいでしょうが、要はこの印影の様な字配りの事ですが、この字配りは昔の大型印に
多かった作風です。
またの機会に別の印影を紹介させていただこうかと思います。
昭和の「昭」の字が写真から欠けてしまいましたが、昭和7年の印影です。
ブログ編集者
日本國賞勲局印
タイトルの通り、賞勲局の印です。
このブログを懇意にお読みいただいている方、もしくは「業界を批判している腹立たしい奴のブログ」として日々ここを
チェックしている印章業界の方は、「これは再登場でしょ?」と思われるかも知れませんが、この印影は初登場です。

印影右側は3文字、中央と左は2文字ずつ。
文字数が異なる場合でも違和感なく並べられるのは、篆書体だからできる字配りです。
(古印体でもその様に配置する場合があります)
これが仮に楷書体だった時の事を想像してみて下さい。
楷書体の見本は載せておりませんので、想像だけで恐縮ですが、その違いは想像だけでもおわかりいただけますよね。
親子二重枠に文字と枠との空間を十分生かした素晴らしい印鑑です。
ちなみに再登場の印影は戦前のものであるこちら↓です。

作風はほとんど同じですのでそっくりですが、印文(彫刻文字)は「大日本帝國賞勲局印」です。
3文字ずつの印文ですが、横に線を引くと均等な字配りではない事がおわかりいただけるかと思います。
画数の多い文字と少ない文字を、縦長が似合う文字とそうでない文字など、様々な角度から文字バランスを考えて
字配りをするのがきちんとした印鑑です。(もちろん均等がいい場合も多くあります)
これは二重枠、太枠、細篆書体、空間を十分に生かした作風、どれをとっても印章として素晴らしいものです。
さすが勲章を発行する賞勲局ならではの印鑑です。
太枠や二重枠、枠から文字を離す印は凶相?
いえいえ。
そんな言い伝えが本当にあるならば、伝統やしきたりを重んじる賞勲局が印章に用いるはずはありません。
凶相だ何だというペテン師のセールストークも、賞勲局印の前にはなす術もありません。
あっ、このくだりは再登場ですね。
ブログ編集者
このブログを懇意にお読みいただいている方、もしくは「業界を批判している腹立たしい奴のブログ」として日々ここを
チェックしている印章業界の方は、「これは再登場でしょ?」と思われるかも知れませんが、この印影は初登場です。

印影右側は3文字、中央と左は2文字ずつ。
文字数が異なる場合でも違和感なく並べられるのは、篆書体だからできる字配りです。
(古印体でもその様に配置する場合があります)
これが仮に楷書体だった時の事を想像してみて下さい。
楷書体の見本は載せておりませんので、想像だけで恐縮ですが、その違いは想像だけでもおわかりいただけますよね。
親子二重枠に文字と枠との空間を十分生かした素晴らしい印鑑です。
ちなみに再登場の印影は戦前のものであるこちら↓です。

作風はほとんど同じですのでそっくりですが、印文(彫刻文字)は「大日本帝國賞勲局印」です。
3文字ずつの印文ですが、横に線を引くと均等な字配りではない事がおわかりいただけるかと思います。
画数の多い文字と少ない文字を、縦長が似合う文字とそうでない文字など、様々な角度から文字バランスを考えて
字配りをするのがきちんとした印鑑です。(もちろん均等がいい場合も多くあります)
これは二重枠、太枠、細篆書体、空間を十分に生かした作風、どれをとっても印章として素晴らしいものです。
さすが勲章を発行する賞勲局ならではの印鑑です。
太枠や二重枠、枠から文字を離す印は凶相?
いえいえ。
そんな言い伝えが本当にあるならば、伝統やしきたりを重んじる賞勲局が印章に用いるはずはありません。
凶相だ何だというペテン師のセールストークも、賞勲局印の前にはなす術もありません。
あっ、このくだりは再登場ですね。
ブログ編集者