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朱白文相間印 回文

明治時代の印譜より

明治時代の手彫り印鑑

ここのところ毎回同じ言葉から始まりますが、この印譜は気に入っている印影が多い印譜なので

ブログ開設当時集中的に掲載した関係で、もしかすると既に紹介済の印譜かも知れません。

しかし、その場合は「いい物は何度紹介してもいい物だ」という事と解釈して下さい。


明治時代の手彫り印鑑

勘亭流というより、勘亭流風の楷書体でしょうか(中央・白文)

それに隷書体と楷書体の回文が和洋折衷の素敵なレストランを想像させてくれます。

この様な朱文(文字に朱が付くタイプ)と白文(白抜き文字)が一つの印鑑で合わさる作風を朱白文相間印と言います。

明治時代の手彫り印鑑

今の主流と比べると随分大きな印章です。


ブログ編集者

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お盆休みはとうに過ぎましたが、夏季休暇中に訪問した写真をいくつか紹介させていただきます。

扁額 豪徳寺

今回は東京都世田谷区の豪徳寺です。

お寺の名前がそのまま地名や駅名になっているので以前から知ってはいましたが、実際行くのは今回が初めてです。

扁額 豪徳寺

山門の扁額です。

草書体は縦に書くのが基本ですが、これほどまでに素晴らしい草書体扁額ですと、違和感がありませんね。

扁額 豪徳寺
こちらは本堂です。

扁額 豪徳寺
本堂の扁額です。


扁額 豪徳寺
仏殿の扁額です。

扁額 豪徳寺
同じく仏殿の扁額です。


扁額 豪徳寺 松福殿
松福庵(招福庵)の扁額です。



今回の目的はこちらです。↓

豪徳寺にある日下部鳴鶴の墓石 呉昌碩書

書家、日下部鳴鶴夫婦の墓です。

既にインターネット上で紹介されておりますので、ご存知の方も居らっしゃるとかとは思いますが

墓碑は画家であり、書家であり、篆刻家でもある呉昌碩の揮毫です。

資料で見てはおりましたが、実際に見てみたくて来てしまいました。

真筆の墓碑銘軸は京都国立博物館にあるそうなのですが、東京からではそう気軽に行けませんので。

豪徳寺にある日下部鳴鶴の墓石 呉昌碩書

筆の流れも丁寧に彫られておりますが、真筆とは若干違うようです。

自書自刻でない限り、多少違いは生じることは仕方ありませんが、じっくり見てその違いを見比べる楽しみもあります。

豪徳寺にある日下部鳴鶴の墓石 呉昌碩書


豪徳寺にある日下部鳴鶴の墓石 呉昌碩書

こちらも、もちろん呉昌碩の揮毫です。


豪徳寺にある日下部鳴鶴の墓石 呉昌碩書

京都国立博物館の資料を見ますと、落款の印文は「俊卿之印」のはずですが、だとすると左右反転でしかも

「之」が違う様に見えます。

作風も大きく異なりますので、落款は別の印影なのかも知れません。




三井親和

今回は篆刻ですが、まずはこの印影をご覧いただけますでしょうか。

三井親和

比較的読みやすい篆書ですので、わかる人はすぐにピンとくると思います。

これは心越の没後5年、1700年生まれの書家・三井親和(みつい しんな)の落款です。

なぜ三井親和の紹介にわざわざ心越を出したかと言いますと、私は両方大好きなので・・・

いえ、それはさて置き大篆風の印章文字(柳葉篆、笹文字)を語る上で、篆刻の今體派(きんたいは)に関係し

初期江戸に獨立→心越→北島雪山→細井廣澤→三井親和という書の流れがあるのではないかと

私見ですが考えているからです。

(矢印は師弟関係や影響し合った関係を差しております)

もちろん、実際は矢印で示した様な直線的な流れではなく、池永道雲(一峯)などもこの時代の作風に多大な

影響を与えた事は言うまでもありません。

このブログを懇意にしていただいてる方は、「今體派など、急に知識人ぶってどうしたのですか?」と誰もが

思われる事でしょう。

もちろん、これらは資料を元にして書いた事ですが、私は今體派の作風が大好きです。

偉そうに「今體派」などという言葉ではなく、ここではなるべく大篆風とか柳葉篆と呼ぶようにしましょうか。

(注 上の印影は今體派の作風とは異なります)


前回に引き続き夏季休暇中に出掛けたところを紹介させていただきます。

今回は東京都江戸川区江戸川の明福寺です。

ブログでの紹介は今回初ですが、私は二度目になります。

明福寺 三井親和


本堂の扁額です。

残念ながら誰の書かはわかりませんでした。
明福寺 三井親和



明福寺 三井親和

今回の目的は参道の横にある太子堂です。


明福寺 三井親和
扁額左側に彫られている文字は見えますでしょうか。

「深川三井親和書」と彫られております。

そうです。

深川をこよなく愛した江戸時代の書家・三井親和の書です。

扁額で用いられる楷書体は比較的形の整ったものが多いようですが、これは三井親和らしい豪快な作風です。

篆、隷、楷、行、草、全てに精通した三井親和ですが、やはり親和と言えば篆書体でしょう。

それ(篆書体)は改めての紹介とさせていただきます。

明福寺 三井親和


明福寺 三井親和

実は当店には三井親和の書がごっそりあるので、いずれ「三井親和展」なるものを開いてみたいという夢もあります。

狭い店内では無理ですので、ネット上で「三井親和展」など出来たら・・・

ですので、一番上の印影は掛け軸の一部ですが、主役の「書」は勿体ぶってその時まで伏せさせていただきます。


ブログ編集者




陵墓印(7)

久しぶりの紹介となりますが、戦前の陵墓印です。   (現在使用されている物ではありません)

手彫り印鑑 陵墓印



第十八代 反正(はんぜい)天皇 百下鳥耳原北陵
第十八代 反正(はんぜい)天皇 百下鳥耳原北陵


第十九代 允恭(いんぎょう)天皇 恵我長野北陵
第十九代 允恭(いんぎょう)天皇 恵我長野北陵


第二十代 安康(あんこう)天皇  菅原伏見西陵
手彫り印鑑 陵墓印


第二十一代 雄略(ゆうりゃく)天皇 丹比高鷺原陵
手彫り印鑑 陵墓印

写りは決して良好とは言えませんが、それぞれの個性豊かな印影は、やはり戦前ならではの印章だと思います。


今回最後に紹介した雄略天皇・丹比高鷺原陵印ですが、普段印面一杯に字配りした印影を見慣れている方は

違和感を持たれるかと思いますが、上に戻って遠目に見てみて下さい。

畳篆とまでは言えないものの、太枠から十分にスペースをとり、角ばった印篆で構成され「ハンコっぽさ」を感じられる

のではないかと思います。 (一番上の写真、下段右から二番目の印影の事です)

全ての印章がこの様な字配りになってしまっては面白みが無いかも知れませんが、数ある中に一つこの様な

作風があるのも、個性が光りいいものだと思います。

ブログ編集者

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前回に引き続き夏季休暇中に訪問した扁額・石碑の紹介です。

夏季休暇はとうに終わりましたが、ブログの更新自体がなかなか出来ませんでしたので、遅ればせながら

写真を紹介させていただきます。


東京都台東区の浅草寺です。

浅草寺 三井親和
(写真は本堂の裏からです)


今回の目的はこれです。
浅草寺 三井親和

本堂裏手にあるこの石碑です。

浅草寺 三井親和

札の説明では宝篋印塔(ほうきょういんとう)と書かれております。

写真からでは読みづらいかも知れませんが、札の中央(5行目)をご覧下さい。

そうです 前回に引き続き今回も三井親和の揮毫したものを見るのが目的です。

浅草寺 三井親和

書道のお手本の様な形の整った美しい楷書体ですね。

浅草寺 三井親和

石碑に痛みがあるのは戦災が原因ではないでしょうか。

浅草寺 三井親和

正直言いまして、説明や予備知識無しで碑文だけを見ても三井親和の書だとは(私は)わかりません。

しかし、それでも「三井親和の書を見てみたい」という思いで今回は来ました。

ちなみに今回初めてではなく、私は浅草寺に来る度時間があれば石碑に立ち寄る事にしています。

美術館へよく行かれる方は、この気持ちをきっとわかって下さると思います。

例えば、今度国立博物館に「漢委奴国王印」の金印が期間限定で展示されます。

印章に興味の無い人でも、この金印を写真で見た事無い人はほとんど居ないのではないでしょうか。

私のお店にレプリカならありますし、ネットで検索すればアップ写真を簡単に見る事ができます。

それでもやはり期間中は大混雑なのでしょうね。

「写真で見た事はあっても、本物を見てみたい」

大混雑で遠目に僅かな時間でしか見られなくても、皆さんこんな気持ちで訪れる事だと思います。


浅草寺 三井親和

もう一つの目的はこの石碑です。

浅草寺 三井親和

私が偉そうに語るより、説明は上をご覧下さい。

浅草寺 三井親和

「書案之紀」 (これで紀と読むのでしょうか↓)

私はこの様な今體派(きんたいは)を感じさせる作風が大好きです。  

浅草寺 三井親和


浅草寺 三井親和

文化14年の建立であろう事はわかりましたが、痛みがあり誰の揮毫かは残念ながらわかりませんでした。

朱白混合と心越の扁額

明治時代の印譜からです。

明治時代の手彫り印鑑


最初は向かって右下の印影から。

明治時代の手彫り印鑑

隷書の朱文と白文、細篆書体とロゴ、そして区切り線がいいバランスで入った太枠の角印です。


明治時代の手彫り印鑑

完全な二重枠ではないものの、外枠は太枠で、内側は一部ではありますが細枠部分があり、

親子二重枠の雰囲気を出しています。

「あまり拡大して見てしまうのは良くない」 と口癖のように書いておりますが、やはり見るのは原寸がいいです。

どちらも今はほとんど見られない「古き良き時代」の素晴らしい印鑑です。

(この様な朱文と白文が一つの印鑑で存在する作風を朱白文相間印と言います)

ブログ編集者


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もう間もなく10月になろうという頃ですが、夏季休暇中に訪問した写真を今回も紹介させていただきます。

「いつまで続けるの?」という声もあろうかとは思いますが、夏季休暇中の写真は今回で最後です。


東京都杉並区高円寺南にある普明山 西照寺です。

手彫り印鑑 明治印譜と心越

心越揮毫(心越が書いた文字)の扁額です。

素晴らしい隷書体ですが、ちょっとピンボケ気味かも知れません。

本堂や庭も撮ったのですが、どれもうまく撮れていませんでした。

まあ、写真より実際に見てみる事が目的なので構わないのですが、少々残念です。

手彫り印鑑 明治印譜と心越

上 心越子章(朱文)

下 東皐野老(白文)


手彫り印鑑 明治印譜と心越

中央部に見える小判型を下に拡大しました。

手彫り印鑑 明治印譜と心越

印文は「曹洞正宗」です。

これは印影ではなく、扁額に彫られたものですので柳葉篆の特徴はあまり見えておりませんが、

実物の印影は「これぞ今體派(きんたいは)」というのにふさわしい素晴らしい印影です。


お寺の前(道路)は質素な雰囲気の通りでしたが、意外と人通りはありました。

しかし通る人は、おそらくこれが江戸時代の偉大な篆刻家(書家・画家)の作品だとは、誰も気付いていない

事でしょう。

今回も資料を見ての訪問でしたが、資料を見なければ誰も気付かないという様な 「隠れた扁額めぐり」

全くの自己満足ですが、結構楽しいですよ。


ブログ管理人







プロフィール

Author:三代目印章店主
古い手彫り印鑑の印影資料を中心に印相体撲滅に向けてマイペースで記事を書きます。

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