明治印譜 いろいろ2
明治時代の印譜からですが、7月21日の記事続編として「いろいろ2」としてみました。
「2」を作ると次には「3」も作らなくてはいけませんが、今後は未定という事で。


毎回珍しい印影を探してこれればいいのですが、珍しいものばかり集めた印譜ではありませんので
このブログとしては普通の印影です。
「普通」と言っても二重枠のフルネーム印(実印)やこのような篆書体の崩しは珍しいですよね。
四角い実印も今では少ないです。

このような太枠細字に角ばった印篆という作風もこのブログ内では当たり前ですが、巷では非常に
珍しいタイプとなります。
珍しけりればいいってものでは決してありませんが、珍しい云々ではなく「古き良き作風」と考えて
いただければ、見方も変わってくるのではないでしょうか。

朱白混合(巴)の小判型印鑑と白文のフルネーム印ですね。
残念ながら今は白文(右側)では印鑑登録できない自治体がほとんど(だと思います)です。

印影のみで印材は残っておりませんが、印材そのものの輪郭は恐らく普通の丸型だったものと思われます。
彫刻であのような枠を作り出したものでしょう。
インプットされたデータで機械彫りしてしまった方が簡単に彫れるかも知れませんが、
これを手書きして粗彫りから始める事こそ真のハンコだと思うのですがいかがでしょうか。
今日は抽象的なコメントになってしまいました。
ブログ編集者
「2」を作ると次には「3」も作らなくてはいけませんが、今後は未定という事で。


毎回珍しい印影を探してこれればいいのですが、珍しいものばかり集めた印譜ではありませんので
このブログとしては普通の印影です。
「普通」と言っても二重枠のフルネーム印(実印)やこのような篆書体の崩しは珍しいですよね。
四角い実印も今では少ないです。

このような太枠細字に角ばった印篆という作風もこのブログ内では当たり前ですが、巷では非常に
珍しいタイプとなります。
珍しけりればいいってものでは決してありませんが、珍しい云々ではなく「古き良き作風」と考えて
いただければ、見方も変わってくるのではないでしょうか。

朱白混合(巴)の小判型印鑑と白文のフルネーム印ですね。
残念ながら今は白文(右側)では印鑑登録できない自治体がほとんど(だと思います)です。

印影のみで印材は残っておりませんが、印材そのものの輪郭は恐らく普通の丸型だったものと思われます。
彫刻であのような枠を作り出したものでしょう。
インプットされたデータで機械彫りしてしまった方が簡単に彫れるかも知れませんが、
これを手書きして粗彫りから始める事こそ真のハンコだと思うのですがいかがでしょうか。
今日は抽象的なコメントになってしまいました。
ブログ編集者
御朱印 (篆書体八方崩し)
昭和初期(戦前)のご朱印印譜から。

細い文字まで綺麗に押されていますね。

このブログを頻繁にご覧いただいている方はおわかりだと思いますが、本物の八方崩しです。

緩い崩しのようですが、それでも本物の八方崩しに多い唐草模様状の崩しが一部に見えますね。
太枠と細字のバランスが絶妙です。
いつもでしたらここから印相体の話に移ってしまうところですが、今回も控えましょう。

印影の周りに油分が滲み出ているところを見ると、ゴム印ではなく黒肉で押された
木口印章のようです。
印文を手掛かりに印影の主についてインターネットで調べてみるのも
古い印譜を見る楽しみの一つです。
ブログ編集者

細い文字まで綺麗に押されていますね。

このブログを頻繁にご覧いただいている方はおわかりだと思いますが、本物の八方崩しです。

緩い崩しのようですが、それでも本物の八方崩しに多い唐草模様状の崩しが一部に見えますね。
太枠と細字のバランスが絶妙です。
いつもでしたらここから印相体の話に移ってしまうところですが、今回も控えましょう。

印影の周りに油分が滲み出ているところを見ると、ゴム印ではなく黒肉で押された
木口印章のようです。
印文を手掛かりに印影の主についてインターネットで調べてみるのも
古い印譜を見る楽しみの一つです。
ブログ編集者
印鑑簿と印章カタログ
今回は印鑑簿 第三弾です。
第二段を紹介してからあまり(記事数として)経っておりませんが、今まではブログに載せる順番で
迷ったりしていたのですが、重複さえ気を付ければあまり気にしなくていいですよね。



中輪細篆書体(太枠・細字)で枠から文字を十分離した字配りですね。


枠が磨耗して消えてしまったのか、元々枠がない作風だったのか不明ですが、四角い印章を実印として
使う人も(丸型程ではありませんが)結構居ました。

こちら、ハッキリとした楷書体ですね。



書道の先生とかではなく、日常的に書類への記入は誰でも筆文字だった時代ならではですね。
【印章カタログ】 続編
上の印鑑簿は順番で掲載している関係で、写りのハッキリしない印影も掲載しております。
ブログを書く以上、見て下さる方を意識してなるべく見応えのある記事にしなくてはと考えております。
という事で、今回は他にも古い印章資料を載せようと思います。
大正時代の印章カタログの続編
(時代や金銭価値が今とは大きく異なるので金額は伏せずに載せておりましたが、一部モザイクをかけました)
◎今回は写真中心の記事となります。

角印(角天)の形状が現在のものと少し違うのがおわかりでしょうか。
そして、関東型と関西型とに分かれております。

台という文字が旧字で右から左へ読むところが時代を感じさせます。


途中から価格にモザイクを掛けましたので、結果的に気まぐれとなってしまいました。

今回はこの辺で…
見応えがあった記事でしたでしょうか。
第二段を紹介してからあまり(記事数として)経っておりませんが、今まではブログに載せる順番で
迷ったりしていたのですが、重複さえ気を付ければあまり気にしなくていいですよね。



中輪細篆書体(太枠・細字)で枠から文字を十分離した字配りですね。


枠が磨耗して消えてしまったのか、元々枠がない作風だったのか不明ですが、四角い印章を実印として
使う人も(丸型程ではありませんが)結構居ました。

こちら、ハッキリとした楷書体ですね。



書道の先生とかではなく、日常的に書類への記入は誰でも筆文字だった時代ならではですね。
【印章カタログ】 続編
上の印鑑簿は順番で掲載している関係で、写りのハッキリしない印影も掲載しております。
ブログを書く以上、見て下さる方を意識してなるべく見応えのある記事にしなくてはと考えております。
という事で、今回は他にも古い印章資料を載せようと思います。
大正時代の印章カタログの続編
(時代や金銭価値が今とは大きく異なるので金額は伏せずに載せておりましたが、一部モザイクをかけました)
◎今回は写真中心の記事となります。

角印(角天)の形状が現在のものと少し違うのがおわかりでしょうか。
そして、関東型と関西型とに分かれております。

台という文字が旧字で右から左へ読むところが時代を感じさせます。


途中から価格にモザイクを掛けましたので、結果的に気まぐれとなってしまいました。

今回はこの辺で…
見応えがあった記事でしたでしょうか。
九畳篆/佛法僧寶/扁額の旅
先日、同業者さんとの話で九畳篆の話題が出たので今回は九畳篆の印影を紹介させていただきます。

昭和初期(戦前)のご朱印 印譜より。

このブログを懇意にお読みいただいている方にはしつこい説明になってしまいますが
文字が九本以上折り畳まれていても九畳篆は九畳篆です。
印文は佛法僧寶。

堂々たる迫力の素晴らしいご朱印です。
----------------------------------------------------------
先日の連休に小旅行へ行ってきました。
こちら長野県のとあるお寺です。

どうです? いい感じの雰囲気でしょ?
素人の撮影ですので良さがいま一つ伝わらないかも知れませんが、実際の雰囲気は写真よりずっと良かったです。
聞くところによると、この石段は600年前に造られ、写真下半分の部分はその当時のままだそうです。

小雨降る中でしたが、石段を登ったところにこんな素晴らしいお堂がありました。
建立は室町時代だそうです。
実は葛飾北斎が描いた迫力満点の鳳凰図がある岩松院に行きたかったのですが、一人旅行ではなかったので、
立ち寄りは諦め、岩松院は横に眺めたのみで近くのお寺を散策したのでした。
(岩松院は7~8年前に一度行った事があるのですが、もう一度あの鳳凰を間近に見てみたかったです)
次は善光寺です。

以前このブログでも紹介しました。
私は三度目ですが、今回はあまり時間がない立ち寄りでした。
でも、善光寺の良さは十分堪能できたと思います。
ちなみにこれ(↑)は迫力満点の木造建築ですが、本堂ではなく山門です。
本堂はこちら↓

「遠くとも一度は詣れ善光寺」と言われますが、私は「何度行っても良かれし善光寺」とでも言いましょうか。
いや、それではちょっと語呂が悪い感じがしますね。
写真の関係で山門より小さく見えてしまうかも知れませんが、本堂はとてつもなく大きな木造建築です。
撮影はしませんでしたが、本堂に使われている柱は「一体どこにこんな真っ直ぐな巨木が生えていたのか」
と思わせてしまうほど太い柱です。

今回も石碑は見逃せません。
美しい篆書体の下にははっきりとした楷書体で彫られた建立年。
端に一部痛みはありますが、100年以上前に建立されたとは思えない(いい)保存状態ですね。

書は誰が書いたのか、今回も興味津々桂洲伊藤信平(さん)で調べてみたら書も石碑も見つかりました。
「篆書石碑:扁額探しの旅」
人それぞれ旅行には目的があると思いますが、型にこだわらずそれぞれの目的で楽しめるところが
旅行の良さですね。
(とはいえ、「扁額探しの旅」とはちょっと格好付け過ぎてしましましたが)

こちらは外側の門です。

ハト避けの金網でしょうか。
文化財を守る為ですので仕方ありませんね。

一人旅行ではなかったので足早の撮影となってしまいました。
善光寺本坊 大勧進の扁額

見事な彫刻よりも何故か紗綾形や唐草模様に目が行ってしまう私です。

善光寺大本願の扁額です。

ここからは善光寺周辺の宿坊の扁額です。
明治廿三年(23年)と書かれていますので、今から110年以上前の扁額ですね。


時間の関係で一つ一つゆっくり見る事はできませんでした。


塗装し直しでしょうか。
新しく見えますが明治四十三年とありますね。

見ているだけで得した気分になれるのも書の良いところですね。

年が彫られていない扁額でも、きっとそれなりの歴史が刻まれたものなのでしょう。

ところ変わってこちらは海野宿です。

ブログ編集者

昭和初期(戦前)のご朱印 印譜より。

このブログを懇意にお読みいただいている方にはしつこい説明になってしまいますが
文字が九本以上折り畳まれていても九畳篆は九畳篆です。
印文は佛法僧寶。

堂々たる迫力の素晴らしいご朱印です。
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先日の連休に小旅行へ行ってきました。
こちら長野県のとあるお寺です。

どうです? いい感じの雰囲気でしょ?
素人の撮影ですので良さがいま一つ伝わらないかも知れませんが、実際の雰囲気は写真よりずっと良かったです。
聞くところによると、この石段は600年前に造られ、写真下半分の部分はその当時のままだそうです。

小雨降る中でしたが、石段を登ったところにこんな素晴らしいお堂がありました。
建立は室町時代だそうです。
実は葛飾北斎が描いた迫力満点の鳳凰図がある岩松院に行きたかったのですが、一人旅行ではなかったので、
立ち寄りは諦め、岩松院は横に眺めたのみで近くのお寺を散策したのでした。
(岩松院は7~8年前に一度行った事があるのですが、もう一度あの鳳凰を間近に見てみたかったです)
次は善光寺です。

以前このブログでも紹介しました。
私は三度目ですが、今回はあまり時間がない立ち寄りでした。
でも、善光寺の良さは十分堪能できたと思います。
ちなみにこれ(↑)は迫力満点の木造建築ですが、本堂ではなく山門です。
本堂はこちら↓

「遠くとも一度は詣れ善光寺」と言われますが、私は「何度行っても良かれし善光寺」とでも言いましょうか。
いや、それではちょっと語呂が悪い感じがしますね。
写真の関係で山門より小さく見えてしまうかも知れませんが、本堂はとてつもなく大きな木造建築です。
撮影はしませんでしたが、本堂に使われている柱は「一体どこにこんな真っ直ぐな巨木が生えていたのか」
と思わせてしまうほど太い柱です。

今回も石碑は見逃せません。
美しい篆書体の下にははっきりとした楷書体で彫られた建立年。
端に一部痛みはありますが、100年以上前に建立されたとは思えない(いい)保存状態ですね。

書は誰が書いたのか、今回も興味津々桂洲伊藤信平(さん)で調べてみたら書も石碑も見つかりました。
「篆書石碑:扁額探しの旅」
人それぞれ旅行には目的があると思いますが、型にこだわらずそれぞれの目的で楽しめるところが
旅行の良さですね。
(とはいえ、「扁額探しの旅」とはちょっと格好付け過ぎてしましましたが)

こちらは外側の門です。

ハト避けの金網でしょうか。
文化財を守る為ですので仕方ありませんね。

一人旅行ではなかったので足早の撮影となってしまいました。
善光寺本坊 大勧進の扁額

見事な彫刻よりも何故か紗綾形や唐草模様に目が行ってしまう私です。

善光寺大本願の扁額です。

ここからは善光寺周辺の宿坊の扁額です。
明治廿三年(23年)と書かれていますので、今から110年以上前の扁額ですね。


時間の関係で一つ一つゆっくり見る事はできませんでした。


塗装し直しでしょうか。
新しく見えますが明治四十三年とありますね。

見ているだけで得した気分になれるのも書の良いところですね。

年が彫られていない扁額でも、きっとそれなりの歴史が刻まれたものなのでしょう。

ところ変わってこちらは海野宿です。

ブログ編集者
柳葉篆 蔵書印・小判型印・
明治後期の印譜より

印章が作られたのは明治38年である事がわかります。

歴史上の出来事はインターネットで調べますが、明治38年の出来事は何といっても日露戦争ですね。
他にインターネットで調べるとこのブログと意外な繋がりを発見しました。
政治家であるものの個性的な作風で有名な書家:副島種臣の亡くなった年のようです。
副島種臣の記事(扁額の紹介)はこちら→ 陵墓印(4)
今回は柳葉篆をピックアップ

囲まれているような文字の形の場合柳葉篆は苦労しますが、「田」は墨溜りのような形で表現していますね。
比べる物がないと大きさがわかりませんが、結構大きい印影です。


変わってこちらは柳葉篆の蔵書印ですね。 (右の擦れた印影は捺印ミスのようです)
上と同じ印判師による彫刻ですが、「田」は上と異なる形をしております。
囲われた文字をどうやって笹文字に表現するか、工夫が感じられます。
ブログ編集者

印章が作られたのは明治38年である事がわかります。

歴史上の出来事はインターネットで調べますが、明治38年の出来事は何といっても日露戦争ですね。
他にインターネットで調べるとこのブログと意外な繋がりを発見しました。
政治家であるものの個性的な作風で有名な書家:副島種臣の亡くなった年のようです。
副島種臣の記事(扁額の紹介)はこちら→ 陵墓印(4)
今回は柳葉篆をピックアップ

囲まれているような文字の形の場合柳葉篆は苦労しますが、「田」は墨溜りのような形で表現していますね。
比べる物がないと大きさがわかりませんが、結構大きい印影です。


変わってこちらは柳葉篆の蔵書印ですね。 (右の擦れた印影は捺印ミスのようです)
上と同じ印判師による彫刻ですが、「田」は上と異なる形をしております。
囲われた文字をどうやって笹文字に表現するか、工夫が感じられます。
ブログ編集者