陵墓印 (6)
暫く更新が出来ておりませんでした。
戦前の陵墓印シリーズ自体も久しぶりの更新となります。
第十二代 景行天皇 山邊道上陵
蓮の葉が美しい太枠の印影です。
太枠に似合うよう空間が生かされていますね。
第十三代 成務天皇 狭城盾列池後陵

すみません。 印影が擦れてしまっていますね。
陵墓印印譜は5枚位あるのですが、古紙臭が強く別の場所に陰干しして保管しておりました。
今回はその中の1枚を持ってきたのですが、擦れに気付かづに持ってきてしまいました。
まあ、これも古い印影の味わいだとしてお許し下さい。
第十四代 仲哀天皇 恵我長野西陵(西陵という文字は印文中央)

第十五代 應神天皇 惠我藻伏崗陵

これも印影が擦れてしまっているのが残念ですが、私が押印したものではありませんのでご容赦下さい。
第十六代 仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵

第十七代 履中天皇 百舌鳥耳原南陵

ブログ編集者
-----------------------------------------------------------------------------------
冒頭にも書きましたが、8月はブログの更新がほぼ出来ませんでした。
「ほぼ」というより、ブログに「1カ月以上更新していない場合・・・」という説明と共に
記事冒頭に大きな広告が表示されてしまうので慌てて更新した次第です。
でも、広告あっての無料ブログですので広告に文句を言うとは筋違いですね。
更新出来なかった理由は・・・
仕事が忙しい事は忙しいのですが、別にお店が繁盛し過ぎて忙しい訳ではありません。
私は地に足が付いた商売で十分です。
更新できなかった理由は、膨大なお問い合わせです。
と書きますと、お問い合わせいただきましたお客様に大変失礼な表現になってしまいますが、
通常のお問い合わせではなく例の。
そうです。 開運印鑑についてです。
開運印鑑や印相体を扱っていない私に開運印鑑のお問い合わせが多く寄せられるとは
実に面白い事なのですが、日中は実店舗を運営しておりますし、メールは主にお店が終わった後
それに何せメールですと返信するのに時間が掛ってしまって。
・・・と、いつもでしたらここで開運印鑑につての説明が続いてしまうところですが、
今回は陵墓印の紹介ですので、開運印鑑や印相体などという縁起の悪い話題はやめておきましょう。
「忙しい」と言ってしまいましたが、休みの日はなるべく自然を求め郊外に行って気分転換をしてきました。

田んぼは人が管理しているものですので、「自然」とは言えないかも知れませんが、
それでも日本人にとって稲穂は心がなごみますね。

行動パターンがいつも似ておりますが、いい感じの古民家があったので写真を一枚。
前にも書きましたが、実際に家主さんが暮らしている家ですので車内から遠慮がちにパチリ。

これは比較的新しそうな長屋門ですが、写真左の方まで門が続いているのがわかりますか。
驚くほど広いお屋敷です。

茅葺屋根の長屋門ですね。
古風な建物ですのでもう少し近寄ってみたいものですが、このまま真っすぐ進むと、そのまま門をくぐって
敷地に入ってしまいそうですので、この辺から撮影。
田舎道ではよく有りがちな事ですが、いい雰囲気の古民家が遠くから見えたとします。
もっと近くで見ようかと思いナビにも載っていない道を勘を頼りに進んでいると、
あれよあれよという間にその家の敷地らしきところまで知らずして入ってしまうなんて事はよくあります。
「普通の道路に見えたけど、ひょっとしたらここは既に敷地の中なのかも知れない」という具合です。
不法侵入にならないよう気を付けながら探索しなければいけませんね。
植木の緑と茶色い茅葺屋根。
調和がとれていてとても良い雰囲気だと思います。

旅館みたいな佇まいですが、こちらも普通のお宅です。
二階建ての綺麗に整った茅葺屋根が美しいですが、一階の屋根は瓦葺きという珍しい家ですね。
(私は古民家の知識はありませんので、実際は珍しくないのかも知れませんが)
田園風景の中、ふと目にとまったお寺に立ち寄ってみました。

門構えも扁額も立派なお寺ですが、失礼ながらこのようなお寺でしたら他にも沢山あると思います。
本堂もさほど古くなさそうですが、この「雨戸が閉まった質素な雰囲気」が何ともいい感じがしたので
中へ入ってみる事にしました。


消えかかってしまっていますが、古いまま修正していない扁額も、それはそれでいいと思いませんか。


年代はわかりませんが、もちろん全て手彫りでしょうね。
文字も立派ですが、文字が吉祥模様の紗綾形で囲まれているところなんかも、「紗綾形模様の線一本一本まで
丁寧に手彫りしていたんだろうな」など見入ってしまいます。
模様としては単調でしょうけど、紗綾形は私の大好きな模様です。

これもまた素晴らしいですね。
旬は過ぎた話かも知れませんが、「仏像ガール」という言葉を聞きますね。
「仏像ガール」に対抗し、「石碑・扁額ボーイ」とでも自称してみましょうか。
「ボーイ」と名乗って私みたいなオジサンが出てきたら驚かれてしまうと思いますが。

話が脱線してしまいましたね。
扁額に書かれた草書体は素晴らしいものがありますが、石碑はやはり私は篆書体が好きです。
といいつつこれは青銅製のようですが。

何故か年の部分が抜けておりますが、「安永」ですと約230年前になりますね。
古い篆書体を見る事は、印章人として大変勉強になります。
実際に石碑の文字を写真に撮って、具体的に同じ文字に生かすのではなく、「こんな崩しをしていたんだ」とか
「ここはこうやって曲げているのか」など偏やつくりの曲げなど先人の作風を参考にするのです。
(偉そうな事を書いてしまいましたが、あくまでも私が個人的に参考にしているだけです)


石碑を見ていたところ、ひときわ気になる石碑を見つけました。

江戸時代の作品のようです。
江戸時代の篆書体でこの作風とは、どんな書家の文字なのか興味深々です。




書は誰が書いたのか。
後で調べようと思い写真を沢山撮りましたが、私は不覚にも(現在の東京都台東区)「鴬谷の著名な書家
亀田さん」の書を弟子が石碑にしたものかとその時は思っておりました。
さて、どんな亀田さんなのか。
後で調べたことろ亀田鵬斎の孫(養子で血縁関係の無い孫)亀田鶯谷である事がわかりました。
石碑・扁額ボーイもまだまだですね。
書家:亀田鵬斎も調べるまで知りませんでした。
でも、ひょんな事から亀田鵬斎、そしてその孫:亀田鶯谷という書家を知る事が出来たという収穫が
何の気無しに立ち寄ったお寺から得る事ができたなんて。
気まぐれドライブもいいものです。
ブログ編集者
戦前の陵墓印シリーズ自体も久しぶりの更新となります。
第十二代 景行天皇 山邊道上陵

蓮の葉が美しい太枠の印影です。
太枠に似合うよう空間が生かされていますね。
第十三代 成務天皇 狭城盾列池後陵

すみません。 印影が擦れてしまっていますね。
陵墓印印譜は5枚位あるのですが、古紙臭が強く別の場所に陰干しして保管しておりました。
今回はその中の1枚を持ってきたのですが、擦れに気付かづに持ってきてしまいました。
まあ、これも古い印影の味わいだとしてお許し下さい。
第十四代 仲哀天皇 恵我長野西陵(西陵という文字は印文中央)

第十五代 應神天皇 惠我藻伏崗陵

これも印影が擦れてしまっているのが残念ですが、私が押印したものではありませんのでご容赦下さい。
第十六代 仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵

第十七代 履中天皇 百舌鳥耳原南陵

ブログ編集者
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冒頭にも書きましたが、8月はブログの更新がほぼ出来ませんでした。
「ほぼ」というより、ブログに「1カ月以上更新していない場合・・・」という説明と共に
記事冒頭に大きな広告が表示されてしまうので慌てて更新した次第です。
でも、広告あっての無料ブログですので広告に文句を言うとは筋違いですね。
更新出来なかった理由は・・・
仕事が忙しい事は忙しいのですが、別にお店が繁盛し過ぎて忙しい訳ではありません。
私は地に足が付いた商売で十分です。
更新できなかった理由は、膨大なお問い合わせです。
と書きますと、お問い合わせいただきましたお客様に大変失礼な表現になってしまいますが、
通常のお問い合わせではなく例の。
そうです。 開運印鑑についてです。
開運印鑑や印相体を扱っていない私に開運印鑑のお問い合わせが多く寄せられるとは
実に面白い事なのですが、日中は実店舗を運営しておりますし、メールは主にお店が終わった後
それに何せメールですと返信するのに時間が掛ってしまって。
・・・と、いつもでしたらここで開運印鑑につての説明が続いてしまうところですが、
今回は陵墓印の紹介ですので、開運印鑑や印相体などという縁起の悪い話題はやめておきましょう。
「忙しい」と言ってしまいましたが、休みの日はなるべく自然を求め郊外に行って気分転換をしてきました。

田んぼは人が管理しているものですので、「自然」とは言えないかも知れませんが、
それでも日本人にとって稲穂は心がなごみますね。

行動パターンがいつも似ておりますが、いい感じの古民家があったので写真を一枚。
前にも書きましたが、実際に家主さんが暮らしている家ですので車内から遠慮がちにパチリ。

これは比較的新しそうな長屋門ですが、写真左の方まで門が続いているのがわかりますか。
驚くほど広いお屋敷です。

茅葺屋根の長屋門ですね。
古風な建物ですのでもう少し近寄ってみたいものですが、このまま真っすぐ進むと、そのまま門をくぐって
敷地に入ってしまいそうですので、この辺から撮影。
田舎道ではよく有りがちな事ですが、いい雰囲気の古民家が遠くから見えたとします。
もっと近くで見ようかと思いナビにも載っていない道を勘を頼りに進んでいると、
あれよあれよという間にその家の敷地らしきところまで知らずして入ってしまうなんて事はよくあります。
「普通の道路に見えたけど、ひょっとしたらここは既に敷地の中なのかも知れない」という具合です。
不法侵入にならないよう気を付けながら探索しなければいけませんね。
植木の緑と茶色い茅葺屋根。
調和がとれていてとても良い雰囲気だと思います。

旅館みたいな佇まいですが、こちらも普通のお宅です。
二階建ての綺麗に整った茅葺屋根が美しいですが、一階の屋根は瓦葺きという珍しい家ですね。
(私は古民家の知識はありませんので、実際は珍しくないのかも知れませんが)
田園風景の中、ふと目にとまったお寺に立ち寄ってみました。

門構えも扁額も立派なお寺ですが、失礼ながらこのようなお寺でしたら他にも沢山あると思います。
本堂もさほど古くなさそうですが、この「雨戸が閉まった質素な雰囲気」が何ともいい感じがしたので
中へ入ってみる事にしました。


消えかかってしまっていますが、古いまま修正していない扁額も、それはそれでいいと思いませんか。


年代はわかりませんが、もちろん全て手彫りでしょうね。
文字も立派ですが、文字が吉祥模様の紗綾形で囲まれているところなんかも、「紗綾形模様の線一本一本まで
丁寧に手彫りしていたんだろうな」など見入ってしまいます。
模様としては単調でしょうけど、紗綾形は私の大好きな模様です。

これもまた素晴らしいですね。
旬は過ぎた話かも知れませんが、「仏像ガール」という言葉を聞きますね。
「仏像ガール」に対抗し、「石碑・扁額ボーイ」とでも自称してみましょうか。
「ボーイ」と名乗って私みたいなオジサンが出てきたら驚かれてしまうと思いますが。

話が脱線してしまいましたね。
扁額に書かれた草書体は素晴らしいものがありますが、石碑はやはり私は篆書体が好きです。
といいつつこれは青銅製のようですが。

何故か年の部分が抜けておりますが、「安永」ですと約230年前になりますね。
古い篆書体を見る事は、印章人として大変勉強になります。
実際に石碑の文字を写真に撮って、具体的に同じ文字に生かすのではなく、「こんな崩しをしていたんだ」とか
「ここはこうやって曲げているのか」など偏やつくりの曲げなど先人の作風を参考にするのです。
(偉そうな事を書いてしまいましたが、あくまでも私が個人的に参考にしているだけです)


石碑を見ていたところ、ひときわ気になる石碑を見つけました。

江戸時代の作品のようです。
江戸時代の篆書体でこの作風とは、どんな書家の文字なのか興味深々です。




書は誰が書いたのか。
後で調べようと思い写真を沢山撮りましたが、私は不覚にも(現在の東京都台東区)「鴬谷の著名な書家
亀田さん」の書を弟子が石碑にしたものかとその時は思っておりました。
さて、どんな亀田さんなのか。
後で調べたことろ亀田鵬斎の孫(養子で血縁関係の無い孫)亀田鶯谷である事がわかりました。
石碑・扁額ボーイもまだまだですね。
書家:亀田鵬斎も調べるまで知りませんでした。
でも、ひょんな事から亀田鵬斎、そしてその孫:亀田鶯谷という書家を知る事が出来たという収穫が
何の気無しに立ち寄ったお寺から得る事ができたなんて。
気まぐれドライブもいいものです。
ブログ編集者