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明治時代の公印

前の記事から2週間空いてしまいました。

9月最初の記事は明治時代の公印です。

明治時代の公印


明治時代の公印


明治時代の公印

紙は痛んでおりますが、印影ははっきり残っていますね。

明治時代の公印

今では印刷がほとんどですが、仮に印を使用するとしてもこのような場合はまずゴム印を使いますよね。

しかし、これも手彫り印鑑です。

ゴム印よりも一般的な時代だった事がわかりますね。




編集者 はんこの印善 










続く

明治初期の公印

今回も公印ですが、明治初期の貴重な印影です。

正確な年はわからないのですが、印譜を見ると明治7年以前のもののようです。

(印譜最後に明治7年と筆書きしてあります)

明治初期の手彫り印鑑

黒肉で押されたものも多いですが、朱肉で押されたものも混ざっていますので明治に入ってからのものですね。



明治初期の手彫り印鑑

これは写真からでは単なる薄い印影にしか見えないかも知れませんが、何と「緑肉」で押されたものです。

(滲んでいるように見えておりますが、印譜反対側の印影が写ってしまったものです)

(緑は印泥かも知れません)






明治初期の手彫り印鑑

もう一つ

これは黒肉で押されているので印影(印文)がハッキリと確認できますね。




ブログ編集者 はんこの印善



開運印鑑とは

大日本帝国賞勲局印

実は、前の記事の印譜から記事を続けようと思っていたのですが、角印ばかりでは見て下さる方に

つまらないのではと考え、この印譜は一旦休止します。

明治初期の貴重な実務印・印譜ですので、私自身は大好きなのですが、見て下さる方あってのブログ

ですので。

今回は大日本帝国賞勲局印を



大日本帝国賞勲局印

二重枠(親子枠)に細篆書体の素晴らしい印影です。

大日本帝国賞勲局印

大きさも二寸(60ミリ)で迫力があります。

右端を見ていただければおわかりいただけるかと思いますが、大正11年に発行されたもので

賞勲局とは、その名の通り勲章を発行する機関です。

勲章は伝統や形式を重んじるという事は私が言うまでもありませんね。

太枠(印章用語では中輪)、二重枠、細篆書体といい素晴らしいものです。

勲章の紹介記事で開運印鑑の話を出すのは、印影を汚(けが)すので最小限にしておきますが

太枠細字、二重枠、細篆書体そして十分にスペースをとった字配りなど

素晴らしいものが「凶印」などと称されている開運印鑑の販売手法はデタラメな事ばかりです。

それらがデタラメである事は、伝統や形式を重んじる賞勲局印は見事に証明しています。

私が別サイトで書いている事をこの印影に言い換えますと、

「それらが凶印という言い伝えがあるならば、伝統を重んじる賞勲局が印章にする訳ありません」

この一言でデタラメを語るに十分だと思います。

まあ、開運印鑑などという縁起の悪い話はここまでにして、同じ勲章の他の印影も


賞勲局総裁印

賞勲局総裁印


賞勲局書記官印

賞勲局書記官印

ここでお詫びを

「勲章ならもっと重要な印影があるはずじゃないですか?」というもっともなご意見の方。

大変申し訳ございません。

実は…

その印影は日本を代表する印影ですので、すみません もう少し後回しにさせて下さい。

その印影では二つ記事を書きますので、誠に申し訳ございませんが後日という事にさせて下さい。

尚、今回紹介した印影は印刷されたものです。

しかし、勲章そのものは本物ですので、印影の効力は本物と同様です。

(印刷されたものなのに一番下の二印影はなぜか曲がって押されていますね)






ブログ編集者 はんこの印善         開運印鑑とは



陵墓印 (4)  と副島種臣の扁額

今回は天皇陵墓印の第四段です。


孝霊天皇片岡馬坂上陵

孝霊天皇陵墓印

これぞまさしく古墳といった印影ですね。




孝元天皇劔池嶋上陵

篆書体の筆法は今風と異なりますが、私はこういう雰囲気が大好きです。

孝元天皇




開化天皇春日率川坂上陵

開化天皇




崇神天皇 山邊道勾岡上陵

崇神天皇



今年の夏は旅行に行けなかったので、ちょっとした小旅行をしてみました。

最初は必要に迫られた単なる「用事」だったのですが、意外にいい気分の「一泊用事」となったので

勝手に「小旅行」と銘打って気に入っております。

夜に家を出て、一泊し翌日の午前中に出発し帰る旅行などといえない小旅行ですが、

東京に住んでいる私にとって、ドライブイン代わりに道中のコンビニで休憩し、山の中で一泊するというのは

とても新鮮な気持ちになれます。


今回は二回目ですが、残念ながら小雨

手彫り印鑑 散歩道

気に入った風景を車の中から撮りながらのドライブです。

手彫り印鑑 篆碑散歩道

よそ様のお宅ですが、立派な長屋門ですので歴史的建造物として(撮影は)まあヨシとして下さい。



これは山を抜ける道に古民家が立ち並ぶ中に建っているものですが、「旅舎」「ゑびすや」と書いてありますね。

現在は使われていないようです。

車が普及していないその昔、山越えを控えて一泊する為の宿だったのではないでしょうか。

そんな事を想像すると、車を停めざるを得ません。

手彫り印鑑 篆碑散歩道

雨も小降りになったので、(廃屋と思い)門が開いていたので少々足を踏み入れて一枚。

立派なお蔵がありました。

でも、植木が剪定されている事と、地震被害による雨よけブルーシートが被されているところを見ると、

もしかしたら私が勝手に廃屋と思い込んでいるだけかも知れないので、それ以上の見学はせず次へ

手彫り印鑑 篆碑散歩道

地元の方々にはどうって事ない風景かも知れませんが、私にはどれも新鮮に映ります。

時間が許せば、週末ごとにカメラ片手に宛てもなく古民家を訪ねる旅行でもしてみたいところですが、

まだそういう事ができる環境にありません。

それにしてもデジカメが登場してからは、フィルムの残量を気にせず気軽に撮影できるのは何とも便利に

なりましたね。

手彫り印鑑 篆碑散歩道


後ろに車を付かれたら譲ってのんびり行くドライブをしておりましたが、ごく普通の住宅街に

ハンコ屋の私をハッとさせる碑があり、思わず車を停めて見入ってしまいました。


手彫り印鑑 篆碑散歩道

太く目立つ篆書体で「青面金剛」とだけ彫ってあります。

青面金剛像が彫ってあるのではなく、あくまでも文字のみです。

仏教上の詳しい事はわかりませんが、像ではなく文字のみの石碑もあるんですね。

手彫り印鑑 篆碑散歩道

時代を見ると今から二百数十年前のようです。

今は住宅街にある舗装された道ですが、江戸時代はどのような道だったのでしょうかか。

手彫り印鑑 篆碑散歩道


手彫り印鑑 篆碑散歩道

青面金剛碑の登場で、のんびりとしたドライブから方針転換し、たまたま通った神社に寄ってみる事に

しました。

巴に紗綾形など興味あるところだけ撮って、後で見ると全体写真は撮っていなかったようです。

香取神社と書いてあります。

場所は利根川のすぐ西側でしたが、春日部市と書いてあります。

手彫り印鑑 篆碑散歩道

雰囲気から期待はしておりましたが、ありました 篆書の石碑が。

手彫り印鑑 篆碑散歩道

「昭和二」までしか写っておりませんが、昭和二十年です。↑


手彫り印鑑 篆碑散歩道

これは大正十年

これを直接仕事にという事にはなりませんが、作風は大変参考になります。

「神」という字も上と下では形が違いますね。

手彫り印鑑 篆碑散歩道

昭和三年とあります。

手彫り印鑑 篆碑散歩道


手彫り印鑑 篆碑散歩道
個性的な素晴らしい刻字の扁額ですが、何と副島種臣の作品でした。

郊外のどうって事無いところ(地元の方 申し訳ございません)で偉大な書家の作品が見られるとは

思ってもいませんでした。


一泊の小旅行 病みつきになりそうです。




最後は隣地にある草書体の石碑を。

手彫り印鑑 篆碑散歩道


手彫り印鑑 篆碑散歩道


やはり落款も気になります。

手彫り印鑑 篆碑散歩道


手彫り印鑑 篆碑散歩道


手彫り印鑑 篆碑散歩道



ブログ編集者 はんこの印善





プロフィール

Author:三代目印章店主
古い手彫り印鑑の印影資料を中心に印相体撲滅に向けてマイペースで記事を書きます。

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